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群馬中央バス
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群馬中央バス株式会社(ぐんまちゅうおうバス)は、群馬県前橋市、高崎市を中心に乗合バス・貸切バス・旅行業を行うバス会社である。略称は「中央バス」「群中バス」(英略称は「GC」)、主催旅行はオレンジツアーと呼称する。群馬県前橋・高崎地域のバスで利用できる群馬県共通バスカードぐんネット加盟事業者。1950年(昭和25年)群馬バスより分かれて成立。1980年代より冷房車の導入や大型方向幕の採用など、利便性向上を図っている。

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事業所
会社沿革
- 1950年(昭和25年)9月6日 - 岩崎半之助が、群馬合同バス株式会社の分割により前橋市に群馬中央バス株式会社を設立。当時従業員50名、車両数17両。
- 1962年(昭和37年)9月 - 本社社屋を前橋駅前に新築
- 1972年(昭和47年)3月 - 前橋営業所を天川大島町に移転
- 1995年 (平成7年) 4月 - 前橋営業所を小屋原町に移転
- 199x年 - 高崎営業所を閉所[要出典]。
- 2007年(平成19年)5月 - 本社を前橋駅前から前橋営業所敷地内(小屋原町)へ移転。
- 200x年 - 伊勢崎営業所、伊勢崎市連取町から曲輪町(伊勢崎駅南口近く)へ移転[要出典]。
- 2012年(平成24年) - 高崎営業所を開設(高崎市飯塚町)[1]。
- 2023年(令和5年)4月 - ジェイアールバス関東より運行委託されて運行中の新宿 - 伊勢崎線を前橋駒形(前橋営業所)まで延伸、東京駅にも乗り入れ開始。
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営業路線
要約
視点
※は地域間幹線系統として国の補助を受ける[2]。スマーク伊勢崎系統を除き、元日は全線運休する。
前橋営業所所管
伊勢崎営業所管轄
受託運行
- ▼…下りは乗車のみ、上りは降車のみの扱い
- ▲…上りは乗車のみ、下りは降車のみの扱い
- ▽…下りは乗車のみの扱い、上りは通過
- △…上りは降車のみの扱い、下りは通過
- *…休憩停車
- ∥…通過
- 2019年(令和元年)7月16日、ジェイアールバス関東からの管理委託により当時の新宿- 本庄・伊勢崎間の路線のうち2往復の受託開始。
- 2021年(令和3年)3月1日より1日4往復に拡大[3][4]。
- 2023年(令和5年)4月1日より、当地側起終点が当社前橋営業所(前橋駒形)に、東京側起終点が東京駅高速バスターミナルへとそれぞれ延長し、それに伴い嵐山パーキングエリアにて途中休憩を導入。
- JRバス関東から運行を受託している新宿 - 本庄・伊勢崎線で使用されている車両
廃止路線
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車両
2015年11月1日現在の車両数は乗合27両・貸切36両[1]。 近年はノンステップバスの導入も進められているが、乗合車両の大半は三菱ふそう製の中古車両で、京阪バスからの譲受車が最も多い。1990年頃まではバス窓の車両が多く見られ、特にセンターアンダフロアエンジンバスの日野BT100型は同社が使用した最後の事業者だった。また、関東で最後と言われたモノコック車両も2007年春をもって全車廃車となっている。関東では数が少ないエアロスターKは多数が残っている。
乗合車のカラーリングは1980年代に制定されたもので、白地にイエローとグレーの細線が施されている。但し、近年は車体広告車が多いため、オリジナルデザインの車両はほとんど見ることが出来ない。以前は窓上がイエロー、窓下がホワイトの帯が入り、下半分はブルー、裾部分はレッドだったが、1992年(平成4年)頃に現行のカラーリングに変更されている。また、1980年代より大型方向幕への改造が行われた。
貸切バスは自社発注車が多く、新車も積極的に導入されている。カラーリングは白地にオレンジ、車体側面中央に大きく「CHUO BUS」のロゴが施されている。2010年(平成22年)には韓国製のヒュンダイ・ユニバースも購入した[6]。
- 旧塗色
- 1988年まで使用していた日野BT100
- 1988年まで使用していた三菱ふそうMR470
- 数少ないいすゞ車(ジャーニーQ)
- ジェイアールバス関東から譲受した高速バス専用車両
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群馬中央バス事件
要約
視点
1957年(昭和31年)、群馬中央バスは草津温泉までのバス開設で運輸大臣に一般乗合旅客自動車運送事業の免許を申請した。同社は第二次大戦後の混乱に乗じて経営権を乗っ取られた群馬バスの創業者岩崎半之助が改めて設立した会社であり、群馬バスとは法的紛争が絶えなかった。群馬バスの社長であった自民党議員の木暮武太夫は、この群馬中央バスの免許申請に対して運輸省東京陸運局長の聴聞、運輸審議会に諮問における公聴会を通じて反対運動を行っていた。そして自らが運輸大臣に任命されると、大臣として1961年(昭和36年)6月に申請に対する却下処分を下した(木暮は同7月に大臣を退任し群馬バスの社長に復帰した)。さらには翌1962年1月に群馬バスが本件と同じ路線の免許申請を行なった。
これに対し、群馬中央バスが処分の取り消しを求めて東京地裁に出訴したところ、1審(裁判長白鳥、2006年10月まで最高裁判所長官であった町田顯も加わっていた)は運輸審議会での公聴会の手続に不備があるとして処分を取り消した。控訴審の2審東京高裁では判断を覆した。
最高裁第一小法廷(民集29巻5号662頁)も1975年(昭和50年)請求を棄却したが、運輸審議会での審理の不備を指摘した。この事件は、行政手続における審議会の審議の手続の瑕疵が処分の取消し事由にもなりうるという点で行政法上重要な判例として残っている。
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その他
テレビ番組『タモリ倶楽部』では2011年(平成23年)3月4日に「解剖!バス運賃箱」という特集を放映し、刻印した紙でなくプラスチック板を使用した、日本初のバス用整理券発行機を紹介した。番組中では使用具合の再現として、群馬中央バスの社名が入ったプラスチック板を使用した。
→詳細は「乗車整理券 § プラスチック式バス整理券」を参照
脚注
外部リンク
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