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野村宏伸

日本の俳優・歌手(1965-) ウィキペディアから

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野村 宏伸(のむら ひろのぶ、1965年5月3日[1] - )は、日本の俳優歌手

概要 のむら ひろのぶ 野村 宏伸, 本名 ...

血液型はB型。身長178cm。靴サイズ26.0cm。東京都出身[1]

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経歴・人物

要約
視点

父親が会社経営(2代目の社長)をしていたことから裕福な家庭環境で育つが、高校1年生の時に経営の化学工場倒産したことで一家離散となり、年子の妹とは別々に親族の家を数か月単位で転々と暮らすこととなる。父はタクシー運転手になり、10か月後に家族が再び一緒に暮らすようになるも、以前とは程遠い生活状況に陥ることになった。後に両親は離婚[2]

1984年、映画『メイン・テーマ』の薬師丸ひろ子の相手役のオーディションを妹が雑誌で見つけ、野村に参加することをすすめた。野村自身は気は進まなかったが、優勝者500万円・推薦人100万円という賞金目当てにオーディションに応募(推薦人は妹)する。23,000人が参加したオーディションで優勝し、俳優デビューすることとなり[3][1]、デビュー作で第8回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞[2]

その後、1浪での大学再受験も全て不合格だったことから役者一本でいくことを決心し、角川春樹に報告。

1986年には角川春樹事務所創立10周年記念作品となる映画『キャバレー』で初めて主演に抜擢される[2][1]

その後、所属していた角川春樹事務所が芸能部門を閉鎖することになり、これを契機に所属事務所を移籍。移籍後すぐにオーディションもなく、1987年に『ラジオびんびん物語』(フジテレビ)でテレビドラマ初出演を果たす。この出演を契機に、その後はとんとん拍子に仕事が舞い込みスターダムを駆け上がる。しかし、このドラマの榎本役のイメージが固定してしまい、それを野村自身が嫌ったことが後の凋落のきっかけとなった[2]

教師びんびん物語』でアイドル系の俳優としてブレイクしたこともあり、デビューから数年間はアイドル要素の強い芸能活動であったが、後に役者としての活動を主力としていく。

歌手としてのデビュー曲「ウィンク・キラー」(作詞:松本隆 / 作曲:和泉宏隆 / 編曲:大村雅朗)はTHE SQUAREの「OMENS OF LOVE」(THE SQUAREのアルバム『R・E・S・O・R・T』の1曲目に収録)のカバーであり、小泉今日子もカバーした。

デビュー以来、順調に芸能活動を続け、1993年ごろには年収が1億円を突破、世田谷区に敷地110坪、建物80坪の豪邸を2億4,000万円で購入する。しかし、その後は自身の慢心などもあって仕事が激減し、友人などへの貸付金が返済されないという詐欺被害(合計約1億円弱)を受けるなど生活が困窮していく。俳優業だけでは生活が出来なくなり、友人の自動車会社を手伝うなどして生計を立てた時期もあった。その後は借金返済のために豪邸を売却し、1億円以上あった借金はゼロになったという[2]

2005年に映画『コアラ課長』に主演したことで、新たなる路線に活路を見出す。役を選り好みし転落した過去を反省し、与えられた役を全力で演じることで再評価されていった。

2009年6月から別居、独身生活を始めた。7月に協議離婚が成立、離婚届を提出したが2010年5月まで元妻と同居を続けた。子供2人の親権は母が持った。2013年2月から母と同居。

2015年6月、15歳年下の女性と結婚を前提にした交際をし、同居していることが明らかになる[4]。同年6月29日、前述の記事が掲載された時には既に再婚をしていたことが明らかになった。野村の50歳の誕生日である5月3日に婚姻届を提出していたという[5]。同年7月4日には結婚報告会見を行い、夫人とのツーショット写真を披露[6]2016年7月25日、自身のブログにて再婚した妻との間に女児が誕生したことを発表[2][7]

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所属事務所遍歴

角川春樹事務所→ヒロ・プロダクションJVCエンタテインメントアワーソングスクリエイティブ→野村宏伸事務所[8]

ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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ベスト・アルバム

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出演

テレビドラマ

映画

舞台

  • 太陽と月に背いて(1999年4月)- 主演
  • 青春・最終章〜僕たちの決算〜This is our Youth(2000年9月)- 主演 ひょうご舞台芸術第22回公演
  • やとわれ仕事(2004年10月)- 主演 ひょうご舞台芸術
  • がんぜない瞳の殺人者(2012年4〜5月) - 主演 NOMUZUプロジェクト第1回公演
  • BUTTERFLY INTO THE BUS(2012年8月) プロデュース by スタジオ E-Style
  • World(2013年10月)Askプロデュース
  • 俺たちの明日(2014年1月)ドリームプラス
  • どーしんぼの浜(2014年6月) - 主演 NOMUZUプロジェクト第2回公演
  • ヘブンイレブン!(2015年3月) - 主演 SOLID STAR プロデュース Vol.3
  • 愚か者(2015年7月) - 主演 NOMUZUプロジェクト第3回公演
  • 明るい葬式(2016年5月) - 主演 SOLID STAR プロデュース Vol.7
  • 主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。(2016年10月) - 主演 SOLID STAR プロデュース Vol.8
  • 手塚治虫 生誕90周年記念 原作:手塚治虫「ダスト8」より 舞台「悪魔と天使」(2019年1月) - 柏木守
  • レ・ミゼラブル〜惨めなる人々〜(2022年5月) - ジャベール[13]
    • レ・ミゼラブル〜惨めなる人々〜(2023年7月) - ジャベール[14]
  • 後鳥羽伝説殺人事件(2024年5月) - 浅見陽一郎 [15][16]
  • PLAY(2024年9月) - 主演[17]

ドキュメンタリー

  • ネイチャリング・ドキュメンタリー「灼熱のベトナム国境地帯〜野村宏伸・幻の民族と生きる〜」(1995年8月、テレビ東京系列)
  • ネイチャリング・ドキュメンタリー 野村宏伸アジアをゆく第2弾「赤道直下!インドネシアの秘島〜密林の大家族と生きた30日」(1996年8月、テレビ東京系列)
  • 東京電力スペシャル 夢ある社会へ「野村宏伸のロビンソン・クルーソーを探して」(2001年1月 - 2月、フジテレビ系列)
  • 経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「ソニー ウォークマンの逆襲」(2010年1月21日 テレビ東京系列)
  • 金曜プレミアム 連続企業爆破テロ 40年目の真実(2015年5月22日、フジテレビ系列) - 福井惇 役(ドキュメンタリードラマ)

バラエティ・その他の番組

CM

ラジオ

  • 野村宏伸のブルースしたって始まらない(1985年 - 1986年、ニッポン放送制作。「島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧」の内包番組)
  • メニコン・グッドフィーリングマイヒーロー(1989年4月 - 1991年3月、毎週日曜深夜0時30分 - 1時。エフエム愛知制作。TOKYO FMほか全国10局程度をネット)
  • 野村宏伸のスーパー&NEW イカした仲間たち(1991年4月 - 1996年3月、毎週日曜深夜0時30分 - 1時。エフエム愛知制作。TOKYO FMほか全国10局程度をネット)

吹き替え

  • ユートピア中国語版(2016年公開) - ジャッキー・チャオ中国語版(明鏡台/明哥 役)の日本語吹き替え[18]
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脚注・出典

参考文献

外部リンク

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