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金周燦
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金 周燦(キム・ジュチャン、韓国語: 김주찬、1981年3月25日 - )は、大韓民国・京畿道水原市出身の元プロ野球選手、野球指導者。
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経歴
三星時代
2000年2次ドラフトで三星ライオンズに指名された。
ロッテ時代
2001年に馬海泳などとのトレードでロッテジャイアンツに移籍した。
快足を武器に、2004年内外野守れるユーティリティープレイヤーとして120試合に出場し、レギュラーに定着した。しかし2004年秋に韓国プロ野球界に衝撃を与えた兵役不正免除問題の容疑者となり、軍へ入隊した。
2007年に除隊されロッテに復帰すると、113試合に出場した。
2008年に北京五輪世界最終予選に出場したが、本大会の最終エントリーには登録されなかった。同年には打率.313を記録し、自身初のシーズン3割を記録しチームの3位進出に貢献した。
2009 ワールド・ベースボール・クラシックの予備選手だったが、最終エントリーには登録されなかった。
2010年は自己最多となる65個の盗塁を記録したが、惜しくも1個差で李大炯(LGツインズ)との盗塁王争いに敗れた。
2011年は肩への死球で骨折し2ヶ月近く戦線から離脱したこともあり、86試合のみの出場にとどまった。
2012年は118試合に出場、通算300盗塁を記録した。
起亜時代
同年オフに初のFA(フリーエージェント)を行使し、2013年より4年契約で起亜と契約し移籍した。彼の補償選手には洪性民が選ばれた。だが同年は負傷でわずか47試合の出場に終わった。
2014年と2015年も負傷による戦線離脱の時期が長く規定打席に達しなかった。
2016年4月15日、ネクセン・ヒーローズ戦で前身のヘテ・タイガースも含め起亜タイガース史上初のサイクルヒット達成者となった。同年は自身初となる20本塁打・100打点以上を記録し、また自身初となるゴールデングラブ賞外野手部門を受賞した。
2017年シーズンオフに2度目のFAを行使し起亜に残留した。
2020年は柳旻相にレギュラー1塁のポジションを奪われ出場機会が減少。シーズン終了後、2021年保留選手名簿から外され自由契約選手となった[1]。
その後は現役続行を希望していたが契約するチームはなく現役を引退した。
引退後
2021年から2023年まで斗山ベアーズのコーチ[2]、2024年はロッテ・ジャイアンツのコーチだった。2025年からは起亜のコーチとなる[3]。
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プレースタイル・人物
快足だが守備に難があるため、外野だけでなく一塁での起用も目立つ。
詳細情報
年度別打撃成績
- 太字はリーグ最高
背番号
- 10 (2000年)
- 12 (2001年 - 2004年、2007年 - 2012年)
- 16 (2013年 - 2020年)
- 85 (2021年 - 2024年)
脚注
外部リンク
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