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青崎地区 (広島県広島市・安芸郡府中町)
広島県広島市・安芸郡府中町の地区 ウィキペディアから
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青崎(あおさき)は、広島市南区及び安芸郡府中町に位置する地区であり、ここでは町名に「青崎」を冠する地区の総称として用いる。
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概要
地理
隣接している地区
- 北側:安芸郡府中町桃山、柳ヶ丘。
- 東側:広島市南区堀越及び安芸区船越。
- 南側:広島市南区向洋本町。→ 向洋地区 (広島市南区)
- 西側:広島市南区小磯町。(マツダ本社工場が所在)
町名と地誌[2]
広島市南区
- 青崎1丁目・2丁目
- 東青崎町
安芸郡府中町
- 青崎南
- 青崎東
- 青崎中
歴史[3]
→「仁保村 (広島県) § 歴史」も参照

- 1776年(安永5年) - 青崎新開の干拓が完了
- 1890年(明治23年)- 青崎新開で入浜式塩田による塩づくりが始まる。(明治38年(1905年)の塩の専売制に伴い、明治44年(1911年)塩田廃止)
- 1894年(明治27年)- 山陽鉄道(現JR西日本(株)の山陽本線)の神戸から広島間が開通する。(山陽鉄道は同年、旧国鉄に吸収される。)
- 1920年(大正9年) - 向洋駅が開業する。(開業当時の駅舎は、現駅舎より200メートル東寄りにあった。昭和17年、乗降人員の増加に伴い、現在の所に移転改築。)
- 1929年(昭和4年)- 広島市、仁保村(青崎地区は同村内)を合併する。
- 1931年(昭和6年)- 東洋工業(株)(現在のマツダ(株))が広島市吉島町から府中町新地の現在地へ移転する[4]。
- 1937年(昭和12年)- 広島鉄道学園(当時、広島鉄道局教習所)が開設される。
- 1938年(昭和13年)- 国道2号(現在の県道広島海田線)が開通する。
- 1945年(昭和20年)- 広島市に原爆が投下される。(終戦)
1945年、米軍作成の広島市地図。地図の東部、猿猴川の東岸に”AOSAKI”という表記が見られる。原爆投下での被害は市中心部と比べ、少なかった。 - 1967年(昭和42年)- 黄金橋が完成する。新国道2号が開通する。
- 1975年(昭和50年)- 山陽新幹線 岡山から博多間が開業する。
- 1987年(昭和62年)- 国鉄改革。広島鉄道学園、廃止される。
- 1999年(平成11年)- 向洋駅周辺青崎土地区画整理事業が都市計画決定される。(連続立体交差事業(鉄道の高架化事業)も同時に都市計画決定)
- 2002年(平成14年)- 同事業の事業計画が決定される

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経済・産業
前述の通り、製塩産業が20世紀初頭頃までは盛んであった。今では、マツダの本社工場が近いために、その関連工場が存在する。
主要施設
- 広島市立青崎小学校
- 向洋駅
- マツダ病院
- 広島南警察署 青崎交番
- 広島東警察署 向洋駅前交番
- 広島市消防局南消防署 青崎出張所
- 藤三 向洋店
- アルゾ 青崎店
- コスモ石油 青崎SS(現:コスモ石油 セルフむかいなだSS)
- 小糸製作所 広島支店[5]
以前は広島鉄道学園(1987年廃止)やユアーズ青崎店(2016年閉店)が存在した。
交通
- 鉄道
- 向洋駅(JR山陽本線)
- バス
- つばきバス - 府中町のコミュニティバス。
- 広島バス - 21号線(宇品線)が通過する。
- 広電バス - 2-6号線(府中ニュータウン線)が通過する。また40号線(熊野線)も通過する。
- 芸陽バス - 40号線:阿戸線・三迫線・畑賀線・南幸線・西条広島線(海田町、阿戸町、西条駅等方面)が通過する。
- 道路
スポーツ
出身・ゆかりのある人物
脚注
関連項目
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