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高田明浩
日本将棋連盟の棋士 ウィキペディアから
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高田 明浩(たかだ あきひろ、2002年6月20日 - )は、日本将棋連盟の棋士[1]。森信雄七段門下。棋士番号は328。 岐阜県各務原市出身。岐阜県立各務原高等学校卒業[2]。
棋歴
小学生3年の時に、家に将棋教室の先生が来てくれたのがきっかけで将棋を始める[1]。3年の冬には東海研修会に入会[3]。
2014年、第39回小学生将棋名人戦準優勝[4]。同年夏に新進棋士奨励会に入会する[3]。この頃ある研究会で藤井聡太と指すことになり、右玉戦法で藤井を圧倒したため、以後しばらくは右玉戦法を主力としていた[3]。
三段昇段後2期目の第68回三段リーグ(2020年度後期)で13勝5敗の成績を修め、長沼洋(1986年四段昇段)以来35年ぶりの岐阜県出身プロ棋士誕生となった[5](なお岐阜県出身女流棋士には山口仁子梨・山口稀良莉姉妹がいる)。
第35期竜王戦6組ランキング戦準決勝にて門倉啓太を破り、決勝進出。5組昇級を決める。
棋風
居飛車力戦を得意とする[1]。兄弟子にあたる糸谷哲郎の将棋に幼い頃から憧れていたと発言している[6]。直感を大事にする早指し派である[7]。
エピソード
- 2021年6月7日、デビュー4戦目となる第63期王位戦予選トーナメント1回戦・対西川和宏六段戦が関西将棋会館で行われたが、高田は46分遅刻した[8]。規定により遅刻時間の3倍である2時間18分を持ち時間の4時間から引くペナルティーが科せられたが、千日手指し直しの末に持ち時間29分を残して勝利してデビュー以来4連勝となった[8]。宿泊していた大阪市内のホテルの目覚ましアラームが鳴らなかったという[8]。後にこの寝坊については「ガラケーからスマホに変えたばかりで、アラームをかけたつもりが電源を切っていた」と語っている[9]。また千日手になったのは「まだ眠かったので午前中の戦いを避けたくて。それで相穴熊にしたら、たまたま千日手になった」という[9]。西川六段はかつて高田が所属していた関西奨励会の幹事を務めており、高田にとっての恩師にあたる[8]。
人物
- 幼いときに母親とともにテコンドーを学び、母親は全日本チャンピオンになるが、高田本人はやめてしまった[10][11]。
- 小学校時代は野球をやっていた[3]。
- けん玉が趣味と語る[1][10]。
- 高校時代は将棋の勉強のために積極的に記録係等の仕事を引き受けており、年間100日以上は関西将棋会館に泊まっていた[3]。
- 女流棋士の磯谷祐維とは同じ各務原市鵜沼地区に住んでいたこともあり、将棋大会でも対戦があった[12][13]。
- 2022年9月、大阪府高槻市に転居した。高槻を選んだ理由は、関西将棋会館が2024年にJR高槻駅前に移転予定であることに加え「練習将棋を指す機会を増やす」ことが目的。引越し後も故郷の各務原市には定期的に帰郷しているが「この先(各務原に)戻るつもりはない」という[14]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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脚注
関連項目
外部リンク
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