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1991年の全日本ロードレース選手権
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1991年の全日本ロードレース選手権 (1991ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1991年(平成3年)3月3日の鈴鹿2&4レースで開幕し、同年10月27日のWOWOWカップ第28回MFJグランプリ (筑波)で閉幕した1991年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
1991年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1990 | 翌年: | 1992 |
1991年シーズン
要約
視点
500cc
ヤマハの藤原儀彦(2勝)と、前年チャンピオンとなったホンダの伊藤真一(2勝)の両メーカーエースが軸となり、伊藤は予選で速く、5度のポールポジションを奪った。ここに、前年のTT-F1クラスチャンピオンを獲得し500ccクラス参戦へと転向した岩橋健一郎(ブルーフォックス・ホンダ)が割り込んでいく。岩橋は2戦目にして500cc初優勝を挙げ、第9戦SUGO、第14戦鈴鹿でも優勝と計3勝を挙げる活躍を見せた。また、これまで250ccでタイトル争いをしていた本間利彦(ヤマハ)が500ccにデビュー、徐々にYZR500のパワーに適応すると、最終戦では首位争いに加わり、3位表彰台を獲得した。このほか、プレイメイトRTの大石敬二(ヤマハ・YZR)が、第8戦筑波と第12戦西日本大会でポールを奪い、存在感を示した。
チャンピオン争いは、第16戦TBCビッグロードレースを終えた時点で伊藤がトップ、7ポイントの僅差で藤原がつけており、2人のタイトル争いの決着の場となる最終戦・MFJグランプリ筑波を迎えたが、大雨に見舞われ荒れた展開が待っていた。追う立場の藤原はヘビーウェットの路面でペースが上がらず、10位争いから浮上できない。トップグルーブでこのまま走り切れば王者となる伊藤だが、NSRのエンジンと電気系にトラブルが発生、コーナー脱出時に加速がままならない状態に陥り、ストレートで順位を下げていく。明らかに速度が上がらないマシンだがポイントを獲得するため走行を続けるも、12周目第1コーナー立ち上がりでマシントラブルに起因するハイサイドが発生し転倒リタイア、伊藤のタイトル獲得は消滅した。
スタート前の時点でランキング4位だった「伏兵」ピーター・ゴダード(伊太利屋チームハヤシ/ ヤマハYZR)がこのレースを優勝したが、本人はポイント状況を知らず、チェッカーを受けピットに帰還した後で初めて自分がチャンピオン獲得したことを知らされた。ゴダードの大逆転となった全日本500ccは初のオーストラリア人選手による制覇となった。このタイトル獲得を足掛かりに、ゴダードは翌年ROCヤマハよりWGP500(現MotoGP)へのチャレンジを開始する[2]。
250cc
2年連続チャンピオンの岡田忠之(ホンダ・レーシング)が序盤なかなか勝利を挙げられなかったが、終わってみればホンダ・NSR250で5勝を挙げ、貫禄のクラス3連覇を達成。ランキング2位には原田哲也(ネスカフェ・ヤマハ・2勝)が入るが、原田の証言によると、「'91年のTZMは僕の要求でリヤ下がり姿勢のマシンで、曲がるためにアクセルやブレーキでの操作が(余分に)必要な仕様だった。」というセッティングの試行錯誤が多い段階であり[3]、岡田に戦いを挑める状況にならない我慢のレースも多かった[4]。同3位となった青木宣篤(カップヌードル・ホンダNSR・3勝)はその原田の前を走ることも多く、第6戦からの3連勝やポールポジション獲得4回、レース最終盤に岡田攻略に成功し、ブレーキング競争で抜き去っての優勝など、度々好走を見せた[5]。
125cc
最終戦を前にランキングトップに立っていたのは104ポイントを獲得したベテラン島正人(ハルク・プロ)だったが、予選中に第1コーナーでオイルに乗り転倒、左手首を骨折。決勝への出場が断念され、初タイトル獲得のチャンスを逃した[6]。第16戦SUGOでA級初優勝を挙げて「チャンピオン獲得が視野に入った」という前年ランキング3位の小野真央(ホンダ・RS125R)が初タイトル獲得を達成した。
TT F1
HRCのダリル・ビーティー(RVF750)が連勝で幕を開けるが、an チーム・ブルーフォックスからRVF750で参戦する宮崎祥司が第3戦で優勝して以後追走。HRCの方針によりビーティーが7月の鈴鹿8時間耐久終了後に500ccへと参戦クラスを変更したため、以後すべて4位以内という安定感だった宮崎が1988年以来となる3年ぶり2度目のチャンピオンを獲得した。同クラスでは、第8戦筑波大会で宗和孝宏(カワサキ・ZXR-7)、第12戦西日本大会で永井康友(ヤマハ・YZF750)がA級初優勝を挙げるなど、新しい力の台頭もみられた[7]。
TT F3
前年シーズンから2ストローク車両が別カテゴリ(全日本格式の「MFJカップ」シリーズへ分離された。)へと分けられ、4ストローク車両のみとなった全日本TTF3クラスは国内A級と国際A級の混走となりトータルでの参戦台数はフルグリッドの盛況となったが、国際A級の参戦者に限れば台数が減少に転じ[8]、本年度が最後の開催となった。全5戦での開催となったこのクラスでは、ポイントを全戦で獲得したRC SUGOの高橋勝義(ヤマハ・FZR400R)が最後の国際A級F3王者となった。SP忠男レーシングの茨木繁と加藤義昌も勝利を挙げ速さがあったが、ノーポイントのレースを作ったことが響きそれぞれランキング2位・3位となった[9]。
シーズン終了後の動き
シーズンオフに入った年末、全日本500三連覇やWGP250での優勝、'90鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝と一時代を築いた平忠彦の去就について「引退するのではないか」との報道がされ始め、平自身も「もうレースに出ない可能性もあるのですか?」との記者の質問に対し、「そうなることもあります。決まれば、ヤマハから正式に発表があるでしょう。正式にヤマハと話し合うのはこれからですが。(11月3日、大宮市内での講演会にて)」とコメント[10]。年が明け、1991年度をもって現役引退すると正式に発表された[11]。
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スケジュールおよび勝者
- 第1戦のTT F3クラスは、別途3月24日の世界選手権・鈴鹿ラウンドで併催。
- 第10戦は国内A級鈴鹿6時間耐久レース、国際A級のレース開催はなし。
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シリーズポイントランキング
- 最終戦MFJグランプリでは、入賞者に既定のポイントにプラスして3点のボーナスポイントが与えられる。
500cc
- 太字はポールポジション。
250cc
- 太字はポールポジション。
125cc
- 太字はポールポジション。
TT F1
- 太字はポールポジション。
TT F3
- 太字はポールポジション。
ジュニア区分
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関連項目
脚注
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