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1993年の西武ライオンズ
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1993年の西武ライオンズ(1993ねんのせいぶライオンズ)では、1993年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の8年目のシーズンであり、4年連続15度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
この年から2年間、一軍投手コーチを務めた杉下茂は「西武は黄金時代の真っ最中だった。清原和博、秋山幸二、辻発彦、石毛宏典、伊東勤、投手で、郭泰源、渡辺久信、工藤公康、石井丈裕・・・。はっきり言って、寝ていても勝てるような布陣だった。」[3]と述べている。4年連続のリーグ優勝&日本一が期待されたが、4月を9勝6敗1分で終える平凡なスタート。投手陣は前年MVPの石井丈裕を筆頭に、工藤公康・渡辺久信・郭泰源らの先発陣、さらに新谷博・内山智之・鹿取義隆・潮崎哲也といったリリーフ陣が中心になって3点差や4点差以上の試合で勝ち5月には上旬に4連勝、下旬に8連勝をマークし月間16勝7敗とするなどチーム防御率2.96はリーグ1位で、投手陣が健闘した1年となった。チームは6月5日から12日と、6月26日から7月4日にかけ2度の5連勝をマークするなど4連覇秒読みと言われたが、8月中旬に日本ハム戦3連敗などで1勝7敗と負け越し、首位陥落。しかし8月25日からの5連勝で首位を奪い返すと、最後まで守り抜いた。2位日本ハムの全日程は10月3日に終了し、同日時点で10試合を残し4.5ゲーム差をつけていたが、その直後から1分を挟んで4連敗し優勝マジック1で足踏み状態。10月13日のロッテ戦に勝ち、ようやく4連覇を決めたが、その後残り4試合は全敗、最終的に日本ハムとは1.0ゲーム差となった。全球団から勝ち越したものの日本ハム・近鉄にそれぞれ13勝12敗1分と苦戦した。杉山賢人はリーグ最多の54試合に投げて、7勝5セーブで新人王に輝いた[3]。打撃陣はオレステス・デストラーデの移籍でチーム本塁打も114本まで落ちこんだが、この年首位打者の辻発彦が奮闘した。日本シリーズはヤクルトと2年連続の対戦となり最終戦までもつれ込むが第7戦でチームは2対4で敗戦、パ・リーグ球団初の4年連続日本一達成を逃した。シーズン終了後秋山、渡辺智男、内山とダイエー佐々木誠、村田勝喜、橋本武広との交換トレードが発表された。
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チーム成績
要約
視点
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 74 | 53 | 3 | .583 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 71 | 52 | 7 | .577 | 1.0 |
3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 70 | 56 | 4 | .556 | 3.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 66 | 59 | 5 | .528 | 7.0 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 51 | 77 | 2 | .398 | 23.5 |
6位 | 福岡ダイエーホークス | 45 | 80 | 5 | .360 | 28.0 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム1993
→詳細は「1993年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1993年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 網掛けの選手は逆指名による入団
脚注
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