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1993年の近鉄バファローズ
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1993年の近鉄バファローズ(1993ねんのきんてつバファローズ)では、1993年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、鈴木啓示監督の1年目のシーズンである。
概要
1989年にチームを9年ぶりの優勝に導き、その後もAクラスを守った仰木彬前監督の勇退を受け、往年の300勝投手・鈴木啓示がこの年から新監督に就任。戦力面では仰木前監督が育てた野茂英雄や吉井理人、石井浩郎などが主力選手に育つなど戦力は前年まで3連覇の西武と大差がなく、この年も優勝候補にあげる声が多かった。鈴木監督は投手コーチに佐藤道郎、ヘッド兼打撃コーチに藤井栄治を招聘し、藤井は開幕して5試合目の4月20日、体調不良により退団した[2]。しかし開幕ダッシュした過去2年と比べて4月を6勝7敗で終える平凡なスタート。6月に12勝7敗と勝ち越して借金を返済しオリックスに代わって3位に浮上するが、7月以降は負け越してAクラス入りが絶望的となった。9月以降は20勝12敗と大きく勝ち越して借金生活から抜け出し西武や日本ハムといった上位陣を脅かしたが、時すでに遅く66勝59敗5分で勝率5割入りこそ果たしたものの最下位に転落した1987年以来のBクラスでシーズンを終えた。投手陣では2年目の高村祐が成績を落としたものの、不動のエース・野茂が4年連続で最多勝を獲得。その一方で野茂は四球や暴投で崩れる試合も目立ったことから鈴木監督の信頼を得られず(投手陣全体でも520四球はリーグワースト)、打撃陣ではベテラン大石大二郎が盗塁王を獲得した。山崎慎太郎は「監督派なんて一人もいなかったですよ。一、二軍の入れ替えだって「え、なんで俺?」みたいなのがよくあった。鈴木さんも頑固だから折れるわけないし、選手と首脳陣の間に完全に溝ができていました。野茂英雄についてはエースだし、やってもらわないと困ると思っていたはずですが、野茂には入団時に「フォームを触らない」との条件があった。でも制球難や肩の調子がよくないということで、鈴木さんが触ろうとしたんです。普通なら触らないでしょ。結果が出なくなるといじられやすいんですよね。野茂もその辺は従順ではないからどちらも歩み寄ろうとしない。鈴木さんは自分の言うことが一番。」[3]と述べている。立花龍司コンディショニングコーチは同年限りで退団した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 74 | 53 | 3 | .583 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 71 | 52 | 7 | .577 | 1.0 |
3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 70 | 56 | 4 | .556 | 3.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 66 | 59 | 5 | .528 | 7.0 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 51 | 77 | 2 | .398 | 23.5 |
6位 | 福岡ダイエーホークス | 45 | 80 | 5 | .360 | 28.0 |
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オールスターゲーム1993
→詳細は「1993年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1993年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 網掛けの選手は逆指名による入団
脚注
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