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ハイ・ファイ・セット
日本のコーラスグループ (1974-1994) ウィキペディアから
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ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) は、日本のコーラスグループ。1974年結成、1994年解散。
来歴
要約
視点
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デビューまで
フォークグループ「赤い鳥」が路線上の違いから1974年9月に解散。「赤い鳥」のメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦(1947年2月23日 - 2014年3月27日、大阪市出身)、大川茂(1945年9月6日 - 、三重県出身)の3人が同年10月に結成した。グループ名は細野晴臣の案による。
デビュー後
1975年、「卒業写真」(作詞・作曲:荒井由実、編曲:服部克久)と同名のアルバムの同時リリースでレコード・デビュー。以降「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井の曲を数多くヒットさせ、後に荒井自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まった。
1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。第28回NHK紅白歌合戦にも出場。以降、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。
一時期、広松三和子[注 1]を「サポートメンバー」として、4人でコンサートをしていたことがある。
エフエム大阪のステーションミュージック「My Beautiful Music」(竜真知子/山本俊彦、編曲:井上鑑)(「マイ・ワンダフル・ミュージック」という曲名で表記されているものもある)もハイ・ファイ・セットが担当したものである。
1980年にいったん活動停止するが、1年後に活動再開し、4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓した。1984年には「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散。
解散後
山本潤子はシンガー・ソングライターとして活動していたが、喉の不調から、2014年2月23日に静岡県沼津市の沼津市民文化センターで行ったコンサートで、同年5月6日に名古屋で行われるコンサートをもって無期限休養に入ることを報告。2月25日にはブログでも公表した[1][2]。
山本俊彦は音楽プロデューサーとして活動していたが、妻の潤子が無期限休養を公表した直後の2014年3月27日、虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。67歳没。3月28日の午前6時50分、自宅の2階で倒れているのを潤子が発見し、救急隊員が駆けつけたが、その場で死亡が確認されたという[3]。
大川茂は1995年、横浜市青葉区のスーパーマーケットにて窃盗未遂事件を起こし逮捕。その後不起訴処分となったが、音楽活動には戻っていない[4][5]。
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メンバー
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ベストアルバム
ライブ・アルバム
参加作品
映像作品
タイアップ曲
社歌
未発表曲
- 『スクエアライト ラブ』 - スタンレー電気CMソング(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦、編曲:新川博。1979年)
非売品レコードのみ製作。
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NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
NHKみんなのうた
脚注
関連項目
外部リンク
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