トップQs
タイムライン
チャット
視点

MSXのゲームタイトル一覧

ウィキメディアの一覧記事 ウィキペディアから

Remove ads

MSXのゲームタイトル一覧(エムエスエックスのゲームタイトルいちらん)では、MSX1MSX2MSX2+MSXturboR対応の日本国内向けゲームソフトを発売順に列記する。

発売されたソフトの経緯・変遷

要約
視点

規格の提唱元であるアスキーは、1983年にMSXが誕生した当初からソフトを展開していた[1][注 1]。加えて、ソニーといったMSX参加企業[3]に加え、ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)をはじめとするゲーム会社、さらにはポニーキャニオンなどのレコード会社[4]からソフトウェアが発売されていった。初期のMSX作品はほのぼのとした内容の作品が多い傾向にあり、『MSXマガジン』1984年4月号によると、一般家庭を対象としているためではないかといわれている[5][注 2]

1984年にはバンダイといったホビーパソコン事業から撤退したおもちゃメーカーもソフトハウスとしてMSXに参入してきたほか、年末にはホビーパソコン「PV-2000」で知られるカシオ計算機も低価格帯の「PV-7」を引っ提げてMSXハードメーカーとして参入する[9]。その結果、ROMカートリッジでの供給を中心としていたMSXは、(ホームパソコンとして売り出すつもりだったアスキーや電機メーカーにとって不本意なことに)家庭用ゲーム機に近いという意味での「ホビーパソコン」のイメージを持たれてしまう[9]。実際、『MSXマガジン』1984年8月号に掲載されたランキング「MSX SOFT TOP 10」[注 3]では、1位の『マッピー』や3位の『パックマン』をはじめ、アーケードゲームからの移植作が半数を占めていた[11]。同誌はこの結果がMSXのソフトの現状を示しているようだとし、これではMSXがゲームマシンとみなされてもおかしくないと分析している[11]。その後、ソフトの多様化が進み、『MSXマガジン』1984年10月号に掲載された人気投票「読者人気投票 ボクらが選んだソフトBEST100」では、アーケードゲームからの移植である『ハイパーオリンピックI・II』[12]が首位を獲得した一方、2位以降は『黄金の墓』(テープ版)といったアドベンチャーゲームや、『SASA』(3位)や『フラッピー』(4位)、そして『I love 地理 けっきょく南極大冒険 ANTARCTIC ADVENTURE』(7位)といったかわいらしいキャラクターが出てくる作品がランクインした[13]。さらにそのころ、ゲームセンターで人気のあったピンボールをコンピュータゲームとして再現する試みはあったが、物理的な挙動の多さが障壁となり、市場に出回ったソフトはあまり多くなかったといわれている[14]。このようなソフトのうち、T&Eソフトの『トリックボーイ』はコンピュータならではの多彩な仕掛けやリアルな動きが人気を集め、前述の「読者人気投票 ボクらが選んだソフトBEST100」では9位にランクインした[15]

1985年には、MSXの上位互換であるMSX2が登場し、グラフィック機能の強化などが図られた[9][16]。当初はMSX1を入門用と位置づけるため、MSX2用の機種は10万円から20万円と高く設定されていたが、1986年に主要機能を統合したチップ「MSX ENGINE」が出たことで製造コストが下がり、参加企業であるソニーと松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)から低価格帯の機種が登場したことで、MSX市場は盛り上がりを見せた[16]

このうち、MSX初期からソフトを供給してきたコナミ工業は、独自開発したチップを搭載した1メガビットのROMカートリッジを用いて自社のアーケードゲーム『グラディウス』(1986年)をMSX1へ移植することに成功した[17]。これがきっかけでアスキーはメガROMマークを制定し、ハード末期まで使われることとなった[17]。また、コナミはこの時期だけでも『ツインビー』(1986年)などのヒット作を連発した[18]。さらに、1987年に発売したMSX2用ソフト『メタルギア』は、MSX2におけるスプライトの表示制限などを逆手に取るかたちでステルスゲームというジャンルを確立した[19]。加えて、『THEプロ野球 激突ペナントレース』(1988年)では、わかりやすい操作体系やチーム育成機能などが評判を呼び、当時のMSXでは珍しかった野球ゲームの分野で成功を収めた[17]

その他、コンパイルはポニーキャニオンからの委託で開発した『ザナック』(1986年)で知名度を上げ、のちに同社の縦ロールシューティングゲームの基礎となった[20]

また、1985年当時は電電公社の民営化によってネットワークへの期待が高まり、MSX2の仕様もネットワークを想定したものだった[注 4]。その一方で、MSXの提唱に携わった西和彦は、親類とのやり取りからネットワークが充実していなかったことが「一家に一台」という普及目標の障壁になっていたと判断し、パソコン通信の一種である「アスキーネット」を立ち上げた[22][注 5]。また、この当時は個人運営の草の根BBSも人気があり、アスキー自身もホストコンピュータツール『網元さん2』を発売するなど、支援策を打ち出していた[21]。これにより、アマチュア制作者による同人ゲームの制作・頒布の土台が出来上がった[21]。同時期には、日本テレネット[注 6]もMSX向け商用パソコン通信サービス「THE LINKS」を開始しており、こちらもフロッピーディスクを用いたゲームの配信を展開していた[24]。このシステムにはMSX用ソフトを展開していた多くの企業が参加しており、多人数同時参加型カーレース『ミッドナイトラリー』(コナミ)などが誕生した[24]。また、既存のソフトにおいても、チャット機能による複数人プレイ(例:『ディーヴァ』)や、スコアアタック大会(例:『レイドック』、『ツインビー』ほか)といったサービスも展開された[24]。同時期にサービスを開始したブラザー工業のダウンロードサービスソフトベンダーTAKERUには取扱い機種の一つとしてMSXが含まれており、TAKERU専売ソフトもあった[25]。例えばアスキーは「ゲームを作りたいが、プログラミングの勉強が難しい」というユーザからの要望を受けて、ゲーム制作ソフトの開発にも乗り出した[26]が、このうちTAKERUで販売された『アクションRPGコンストラクションツール Dante 2』は、のちにツクールシリーズとして発展していった[27]。また、『パーフェクトトライアングル』のように、同社のツールを使用して作られた作品が製品化された例もあった[28]

一方、ソニーと松下電器産業の安売り競争によって、この2社と三洋電機を除くMSX参画企業が撤退した[29][30]。1989年には、MSX2の後継規格・MSX2+が誕生したが、対応製品はこの3社から合計7機種が発売された程度にとどまり、MSX2+に対応したソフトも『レイドック2』や『吉田建設』などごくわずかだった[31]。また、MSX2+の目玉となるはずだった横スクロール機能は同様の表現技法[注 7]が確立していたことから、MSX2に対する決定的な優位性にはならなかった[31]

1990年には、既存の家庭用ゲーム機の普及およびスーパーファミコンをはじめとする次世代の家庭用ゲーム機の発売に加え、マイクロソフトからはグラフィカルユーザインタフェースを搭載したオペレーティングシステムWindows 3.1が発表されるなど、MSXの競合機種が急増していった[32]。それに対して16ビットCPUを搭載したMSXturboRが発表されたものの、松下電器産業が参入しただけだった[32][30]。加えて、MSXは上位互換性を実現すべく、新しい規格が出るたびに機能の追加や仕様の変更を繰り返した結果、ハードの部分が複雑化してしまい、MSXturboRの時点では持ち味を引き出すために相応のプログラミング能力が求められると指摘する声もあった[33]

やがて、アダルトゲームの割合が増え、ハード末期の1991年には大半を占めるようになった[18][34]。その中には『フェアリーテール海賊版』[35]のようにTAKERU限定で発売されているケースや、ディスクマガジンに一般向け作品とともに成人向け作品などが収録されているケース[注 8]もあった。一方で、これらの作品には遊びにくかったり、コンピュータゲームとしての品質に難がある作品もあった[注 9]。成人向けではない作品においても、性的な要素が含まれている例もあった[注 10]。また商用ソフトが減少する一方で同人ソフトの割合が増えていった[32]

このように、MSX用ソフトは時代の移ろいとともに展開されるソフトの性質が変化していった。なお、日本国外で発売された作品の中には、『スイートアーコン[注 11][38]や、『Donkey Kong[39]のように日本で発売されなかったものもあった。

MSX用ソフトはのちに、『コナミアンティークスMSXコレクション』をはじめとするオムニバス作品への移植や、バーチャルコンソールプロジェクトEGGといったダウンロードサービスを通じて後世のパソコンや家庭用ゲーム機といったほかのプラットフォームにも展開された。またアリスソフトの「配布フリー宣言」のように条件付きでユーザによる再配布を許可する例や[40]、TAKERUでソフトを販売していた同人サークルがサービス終了後に自分たちのウェブサイトでソフトを無料公開していたケースもあった[41]

なお、21世紀以降もMSXの新規タイトルを制作する動きはあり、例えば2021年に無料公開されたMSX2用ソフト『10 Lines Hero』は、エミュレータ上でプレイすることが可能である[42]

Remove ads

発売されたタイトル

要約
視点

表記については以下の通り。

  • 学習ソフトや実用ソフト、ツール類、拡張ハードウェアや別売OSは一覧に含めない。(ただし、これらに準ずるソフトであってもゲームとして扱われている場合は除く。)
  • ゲームユーティリティーやデータ集は一覧に含む。同人ソフトについては、タケルで発売されたもののみ正規流通と看做して掲載した。
  • ディスクマガジンの収録内容については、基本的にその号で作品として完結している作品のみを記載する。(体験版といった未完成のものや、スクリーンセーバー等鑑賞目的のコンテンツは記載しない。)
  • 作品に明確な年齢制限が設けられていなくても、一次もしくは二次資料で成人向け作品と扱われている場合はそれに従う。

ソフト形態は以下のものがある。

さらに見る ソフト形態, 説明 ...

全年齢

1983年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1984年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1985年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1986年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1987年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1988年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1989年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1990年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1991年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1992年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1993年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1994年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

成人向け

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

同人

1992年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1993年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1994年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1995年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

1996年

さらに見る 発売時期, 作品名 ...

2006年以降

さらに見る 発売時期, 作品名 ...
Remove ads

発売されなかったタイトル

さらに見る 作品名, 発売元 ...

脚注

Loading content...

参考文献

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads