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Nobodyknows+

日本のヒップホップグループ ウィキペディアから

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nobodyknows+(ノーバディーノウズ)は、日本男性5人組ヒップホップグループ1999年結成。所属レコード会社レーベルは$TAX RECORDS。

概要 別名, 出身地 ...

概要

要約
視点

2007年3月まで、5MCに1DJという珍しい編成だったが、現在は4MCに1DJの編成である。

2000年、DJ MITSUが主宰するレーベル『$TAX Records』より、"nobodyknows"、2001年に"nobodyknows 2"を発表。当初のメンバーはg-ton、Crystal Boy、DJ MITSU。また同レーベルはシーモネーター(現・SEAMO)やDJ TAKI-SHITを始めとする、様々な名古屋在住のアーティストの作品を次々と全国流通させ、それまで東京中心であったHipHopカルチャーへのカウンター的レーベルとして高く評価されている[要出典]

2002年 SONY MUSICと契約。大ヒットとなる"ココロオドル"を含む1stアルバム『Do You Know?』(2004年)がオリコンアルバムランキング1位を達成。前代未聞となる『所属事務所無し』でのNHK紅白歌合戦出場、同年の有線大賞新人賞を始めとする様々な賞を獲得。

2006年、国内HipHopグループとしては初となる『全国47都道府県ツアー』を開催。

その後『エル・ミラドール~展望台の唄~』(『モード学園』CF曲)や『シアワセナラテヲタタコウ』(映画『カンフーハッスル』日本版イメージソング)、『Hero's Come Back!!』(アニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』OPテーマ)を始めとするヒットを連発させるが、オリジナルメンバーでもあるg-tonの脱退や、それぞれの活動が多岐に渡り、そのほとんどが名古屋を中心とする事などから、ベストアルバムを最後にSONY MUSICとの契約を終了させる。

また結成から現在に至るまで地元が名古屋という関係から、近年は中日ドラゴンズとの関係が深い。2010年にはドラゴンズのチアリーディングチームであるチアドラゴンズのダンス曲「Winds of Wins」を提供し、浅尾拓也投手に登場曲「1-9(theme from No.41)」を提供した。チアドラゴンズに2011年「Fly High」、2012年「JOIN US」、2013年「Let's Dance」を提供しているほか、ナゴヤドームでの中日戦の場内演出などを現在に至るまでDJ MITSUが総合プロデュースしている。

2011年、DJ MITSUの呼びかけで、nobodyknows+とともに名古屋を拠点に活躍し交流のあるHOME MADE 家族SEAMOのコラボレーションで東日本大震災のチャリティーソング「HOLD MY HAND」を作成。期間限定リリースながら、iTunes HipHopチャートで1位を記録。収益金の全てを名古屋市に寄付する。

唯一の主催イベントとなる年末の恒例ワンマンライブ『出張ネバーランド・大忘年会スペシャル』には、名古屋ゆかりのアーティストや著名人、格闘家やプロ野球選手などがゲストとして登場している。

2012年より地元愛知県公認の「あいち音楽大使」を委嘱。

2019年、音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』に書き下ろし楽曲『Bad Ass Temple Funky Sounds』を提供。同楽曲を収録したアルバムはオリコンシングルチャートで週間1位を獲得した[1]

2022年にはYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で歌った代表曲の「ココロオドル」が、公開2週間で1000万回再生を突破した[2]。ちなみに「THE FIRST TAKE」については、メンバー全員がその存在を知らず一度出演オファーを断ったが、「周りの若い子とか友達の娘さんなどが『それは絶対出た方がいい』と」出演を勧めるため、一転して出演を決めたというエピソードが残っている[3]。同年大みそかには『ももいろ歌合戦』(BS日テレニッポン放送ABEMAなどが生中継)へ初出場。

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メンバー

要約
視点

全員が名古屋市およびその近隣で定職に就いており、それぞれの仕事の傍らライブ活動を行っている。

  • DJ MITSU
(ディージェイみつ)1972年3月12日53歳) - 本名:山本 充洋
A型。愛知県名古屋市千種区出身。
「nobody knows」時代からのメンバーでありリーダー。 サウンドを作りあげ曲としてまとめ上げている。ライブでは裏方に徹する事が多い。
プロダクトの要となる『Sigma Sounds Studio』の運営、 $TAX RECORDS(ドルタックス・レコーズ)の設立者。
様々なアーティストへの曲提供や、2010年より中日ドラゴンズ戦におけるナゴヤドームで使用されるほとんどの映像楽曲、また松平健が歌う同球団公式歌『昇竜〜いざゆけドラゴンズ〜』の作曲、プロデュースも手掛ける他、別名義では海外を中心としたアンダーグラウンドなクラブ向けのアナログレコードを継続的にリリース。
行政との関わりも深く、2015年よりスタートした名古屋市が若い音楽家を支援する事業『NAGOYA POP UP ARTIST』の発案者であり、唯一のスペシャルサポーターも務めている。
宅地建物取引士の資格を持っており、2022年現在は不動産業も営んでいる[3]
  • Crystal Boy
(クリスタルボーイ) (1977-07-04) 1977年7月4日(48歳) - 本名:加藤 正道
O型。岐阜県多治見市出身。
「nobody knows」時代からのメンバー。 CHEMISTRYの「君をさがしてた」のリミックスバージョンにSEAMO(参加当時の名義はシーモネーター)と共に参加。また、SEAMOが主催した「男塾伝説」の「正義と微笑~純情派~」にソロで参加している。
2010年、ソロアーティストとしてデジタルシングル「夜は短し踊れよ男子」、「夜の蝶」、「言葉以上…feat.AZU」を3カ月連続ドロップ。同年10月27日、1stミニアルバム「クリスタルボーイ」をリリース。
2018年現在はセレクトショップ「BPM」のオーナーも務めている。また、専門学校の講師として週1回ラップを教えている[3]
  • ヤス一番?
(やすいちばん)1978年11月29日46歳) -本名:鈴木 保幸
A型。岐阜県多治見市滝呂町出身。
1995年16歳でマイクを握りそれと同時に名古屋市で活動を始める。
Kamaholicks、buzzer beater(木曜会) 、わかば塾など様々なグループで活動の末、2004年「nobody knows」に加入。2009年「nobodyknows+」の活動と平行し、ソロ活動を始動。
2022年時点で、愛知県名古屋市中区栄にある居酒屋「わかば屋」のオーナー。
  • HIDDEN FISH(ヒッデンフィッシュ)→漫☆画次郎(まんがじろう、2012年より)→ちびまるお2013年より)→魚太郎☆サラダ味☆(うおたろうサラダあじ、2015年12月28日より)→ホクロマン半ライス!!!(ほくろマンはんライス、2017年12月28日より)→ノリノリで歌う坂梨(のりのりでうたうさかなし、2024年1月1日より)
(1979-07-21) 1979年7月21日(46歳) - 本名:坂梨 博樹
A型。岐阜県出身、岐阜県立土岐商業高等学校経理科卒。
HIDDEN FISH時の名前の由来は、本名の「坂梨」に「さかな(魚)」が隠れていることから。以降幾度か名前を変えているが、周辺からは結成当時から「ナシ」の愛称で呼ばれている。
愛知県名古屋市中区にある「ホルモン酒場 ちから」のオーナー。
2022年時点で、愛知県名古屋市中村区名駅3丁目で「餃子酒場 ちゃおまる」の店長をしている。また、卓球のTリーグに参戦するトップおとめピンポンズ名古屋の応援団長として、試合時のMCを担当している[3]
  • ノリ・ダ・ファンキーシビレサス
(1980-08-20) 1980年8月20日(45歳) - 本名:岡村 典幸
O型。愛知県名古屋市千種区出身。
ダミゴエフロウと呼ばれる声質を持つ。メンバーの中では最年少だった。
大のプロレス好きであり、度々プロレス会場で目撃され、TV中継が入った試合では、観戦している模様が映り実況アナウンサーに紹介される場面もあった。2010年5月5日、プロレス興行今池プロレスでプロレスラーデビュー。その後も今池プロレス所属選手として主に名古屋で開催される大会に出場していたが[4]2018年10月19日にレスラー最後の試合を行ってプロレスラーとしての活動を引退した。
2018年時点では、愛知県長久手市のTaskファームで農場長を務める傍ら、ジャパンラグビートップリーグ三重ホンダヒートのスタジアムMCも務めている[5]。その後拠点を岐阜県可児市に移し、2022年時点では主にハーブ類とさつまいもの栽培を手掛けている[3]
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元メンバー

  • g-ton
(ジートン) (1975-01-22) 1975年1月22日(50歳) - 本名:後藤 和幸
B型。愛知県出身。
「nobody knows」時代からのメンバー。ドレッドヘアーがトレードマークだったが現在は坊主にしている。
2007年、音楽の方向性に違いが出てきた為、脱退。以降、ソロ活動を行う。
2010年頃にニューヨークブルックリン区に移住し、以後ずっとブルックリン在住[3]
2020年8月に放送された『CDTVライブ!ライブ!スペシャル』(TBSテレビ)では13年ぶりにnobodyknows+のメンバーとして参加し、共に「ココロオドル」を披露した。2022年6月には「THE FIRST TAKE」に参加。同年9月には『ミュージックステーション』(テレビ朝日)にnobodyknows+のメンバーとして出演、「ココロオドル」を歌唱した[6]

来歴

  • 1999年10月1日 - 愛知県名古屋市で結成(当時のユニット名は「nobody knows」、メンバーはg-ton、DJ MITSU、crystal boyの3人)。
  • 2000年8月29日 - はじめてインディーズCD「nobody knows」をリリース。地元名古屋HMVで4位にチャートインする。
  • 2001年5月5日 - 「nodody knows2」をリリース。 オリコンインディーチャートで19位にランクインする。
  • 2002年2月1日 - SMEと契約。
  • 7月1日 - 「わかば塾」というマスクマンユニットをDJ MITSUのプロデュースの元に結成。この時既にnobodyknowsでDJ MITSU名義を使用していたので「BLACK TIGER」と名乗る。そしてインディー1st EP CD「お前は平田だろ?」をリリース。このわかば塾の3名こそ、ヤス一番?、HIDDEN FISH、ノリ・ダ・ファンキーシビレサスである。名古屋の老舗クラブ「LUSH」の最上階にあるDJ MITSUが経営する「SIGMA SOUNDS STUDIO」で活動していた。
  • 2003年2月19日 - 『nobody knows3』をリリースし、メジャーデビューを果たす。
  • 6月1日 - メジャーとの契約上、「わかば塾」への曲の提供が難しくなったため、ヤス一番?、HIDDEN FISH、ノリ・ダ・ファンキーシビレサスの3人を加え「nobodyknows+」を結成する。
  • 8月27日 - 「nobodyknows+」として初めてのシングル「以来絶頂」をリリース。
  • 11月3日 - FMフェスティバル03の愛知代表に選ばれる。
  • 11月19日 - ミニアルバムとして『ススミダス→』をリリース。
  • 2004年2月25日 - シングル「ポロン2」リリース。
  • 5月9日 - 「Sony Music Fes.2004」に出演。
  • 5月26日 - シングル「ココロオドル」リリース。
  • 6月3日 - ファーストアルバム『Do You Know?』リリース。70万枚の大ヒットを記録し、nobodyknows+が全国区のアーティストとなった事を象徴するようだった。
  • 12月31日 - NHK紅白歌合戦初出場。
  • 2005年1月13日 - 「シアワセナラテヲタタコウ/T.R.U.E」をリリース。
  • 4月27日 - 「メバエ」をリリース。
  • 7月6日 - 「エル・ミラドール~展望台の唄~」をリリース。
  • 10月19日 - 「どうよ?」をリリース。TVCMでは同名のお笑い芸人「どーよ」を起用する。
  • 2007年3月24日 - アメリカ・ロサンゼルスにてTokyo Night2007にメインアーティストとして出演。
  • 4月1日 - 公式サイトにてg-tonの脱退を発表。
  • 4月25日 - 「Hero's Come Back!!」をリリース。
  • 8月22日 - サードアルバム『vulgarhythm』をリリース。
  • 2008年4月9日 - 「アンダーレイン」をリリース。
  • 7月30日 -「Villain's Pain (Hero's Come Back!!~Other Side~)/イマイケサンバ」をリリース。
  • 2009年2月11日 - 「Fallin'」をリリース。
  • 2009年3月11日 - 初のベストアルバム『best of nobody knows+』をリリース。
  • 2010年 - DJ MITSUが設立したレーベル、ドルタックスレコーズが復活。ソニーとの契約を解除し、同レーベルへ移籍。
  • 6月24日 - 中日ドラゴンズチアドラゴンズ公式テーマソング「Winds of Wins」を限定流通シングルとしてリリース。この年から、4年連続で同球団チアドラゴンズにテーマソングを提供している。
  • 2013年9月25日 - 約6年ぶりにオリジナルアルバム『nobodyknows+ is dead?』をリリース[7]
  • 2014年5月7日 -2004年にリリースされた「ココロオドル」が10年ぶりにiTunes HipHopチャート3週連続で1位を記録。
  • 2014年6月28日 - ロシア第3の都市 ノボシビルスク市より招聘を受け、同市のフェスにメインアーティストとして出演。
  • 2015年9月16日 - 約2年ぶりにレゲエシンガーmachacoとフィーチャリングをした『あの夏の日 feat.machaco』を含めた4曲入りミニアルバム『PLATINUM 4』をリリース。
  • 2017年12月6日 - 約4年ぶりにオリジナルアルバム『THE FIVE WAYS』をリリース。
  • 2020年8月 - 「CDTVライブライブ」(TBS系)にて、約13年ぶりにg-tonを含めた6人で「ココロオドル」を披露。
  • 2022年6月 - 「THE FIRST TAKE」にg-tonを含めた6人で参加。「ココロオドル」を歌唱した[6]。この動画は公開2週間で1000万回再生を突破した[2]
  • 8月22日 - HIKAKINとのコラボレーション動画を投稿。
  • 11月30日 - 2枚目となるベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリース。同日からSony MusicのYouTubeチャンネルより複数に分けて過去のミュージックビデオが投稿された。
  • 12月 - 日本武道館で開催されるライブイベント『ももいろ歌合戦』(BS日テレニッポン放送ABEMAなどが生中継)への初出場が決定。
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ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

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ミニアルバム

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アルバム

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映像作品

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参加作品

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収録作品・カバー

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楽曲提供

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ミュージックビデオ

監督 曲名
ウスイヒロシ(ウスイ☆ヒロシ) 「Hero's Come Back!!」、「SUMMER」、「T.R.U.E.」、「アンダーレイン feat.プリメラ」、「イマイケサンバ」、「エル・ミラドール~展望台の唄~」、「シアワセナラテヲタタコウ(カンフーハッスル Ver.)」、「メバエ」
先田友康 「ススミダス→」、「ポロン2
桜井舞子 「さくら(CRYSTAL BOY feat.ヤス一番?)」
竹内鉄郎 「どうよ?」「好きだぜ、マリー。」
P.M.KEN + カイガタカシ 「以来絶頂」
福居英晃 「Fallin'」
若野桂 「ココロオドル」
倉橋拓也 「あの夏の日 feat.machaco」「The Blue feat.大迫 佑磨(Orland)」
林田達樹 「いい歳こいて」

主なライブ

ワンマンライブ、主催イベント

  • 2005年 - nobodyknows+ tour 2005 spring "シアワセナラテヲタタコウ"
  • 2006年 - nobodyknows+ tour 2006 "5MC&1DJ"~くりぼうの面食い道中膝栗毛~
  • 2011年 - 出張ネバーランド2011~大忘年会スペシャル~
  • 2012年 - 出張ネバーランド2012~大忘年会スペシャル~
  • 2013年 - 出張ネバーランド2013~大忘年会スペシャル~
  • 2014年 - 出張ネバーランド2014~大忘年会スペシャル!!!~【番外編】
  • 2015年 - 出張ネバーランド2015~大忘年会スペシャル~
  • 2016年 - 出張ネバーランド2016~大忘年会スペシャル~
  • 2017年 - 出張ネバーランド2017~大忘年会スペシャル~ 

出演イベント

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脚注

外部リンク

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