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仲宗根美樹

日本の女性歌手 (1944-2024) ウィキペディアから

仲宗根美樹
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仲宗根 美樹(なかそね みき、1944年6月23日 - 2024年2月24日[4])は日本の歌手

概要 仲宗根 美樹, 基本情報 ...

東京都 出身[5]。本名は國場 勝子(くにば かつこ)。東洋高等学校音楽科出身[5]ミュージック・オフィス合田に所属した。『川は流れる』などのヒット曲がある。

経歴

要約
視点

1944年(昭和19年)、両親は共に沖縄出身[6]であったが第二次世界大戦の戦火を逃れるために沖縄から東京に疎開して、勝子が生まれる。

1960年(昭和35年)、テレビドラマ『東京物語』(日本テレビ)に出演した。

1961年(昭和36年)5月、『東京物語』の挿入歌『愛に生きる』(キングレコード)で歌手デビューした[7]。 同年9月にリリースした『川は流れる』は、川の流れに人生を託す内容の歌詞を無表情のまま歌い上げて大ヒット[8](年末にはミリオンセラーを達成[9])した。同年12月、第3回日本レコード大賞の新人奨励賞を受賞した。

1962年(昭和37年)12月、第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、紅組のトップバッターを務めた。この頃は空手道キックボクシングで一時代を築いた山崎照朝の熱狂的ファンとなり、自身の事務所に山崎を招待している[10]有馬温泉兵衛向陽閣のCMソング『有馬兵衛向陽閣』(作曲・キダ・タロー)は彼女が「有馬兵衛の向陽閣へ」と唄っている。その後は『島育ち』『奄美恋しや』『ドリームファイブ』『海と野菊と船頭さん』『恋しくて』など、ヒット曲を次々とリリースした。

1971年(昭和46年)、歯科医師と結婚するために芸能界を引退した。

1972年(昭和47年)11月23日 、長男・一成を出産後に離婚し、白橋栄治と再婚した。

1975年(昭和50年)、夫の白橋が沖縄国際海洋博覧会に合わせて、地元の政財界の人々の協力を得て海洋博の会場入口にショッピングセンター「ビックマート」(テナント数 230店舗)を開設したが、開催時期がオイルショック直後ということ、海洋博が不人気であったことなどから事業は破綻して、多額の借金を負う。

1975年(昭和50年)12月、東京・神田に「東京エレガンスルーム」を開業した。

1977年(昭和52年)3月5日、次男・雄大を出産した。陣痛から出産までは30分で、当時の病院記録であった。

1977年(昭和52年)12月、銀座の目抜き通りに「仲宗根美樹<審美容>サロン」を開設し、フランチャイズを展開した。

1978年(昭和53年)6月12日、長女・亜紀を出産した。

1981年(昭和56年)1月、ミキ・コーポレーション(加盟 600店舗)が6億5千万円の負債を出して倒産した[11]。その後は自己破産の手続きを行って、夫と離婚した。

1998年(平成10年)、テレビ東京『年忘れにっぽんの歌』で歌手として25年振りに復帰した。

2000年(平成12年)、初のバースデーライブを開催した。『しらばかプラス』(フジテレビ)、『ルックルックこんにちは』(日本テレビ)、『夏まつりにっぽんの歌』(テレビ東京)、『うた世紀ベスト10』などに出演した。

2001年(平成13年)、映画『バックステージ』に出演し、主題歌『I'm a singer』を30年振りにシングルで発売した。この映画は次男の雄大と長女の亜紀が出演した。

2008年(平成20年)10月9日、長男の一成ががんのため35歳で死去した[12][13]

2012年(平成24年)2月12日、『日曜ビッグバラエティ 懐かしの昭和メロディ』(テレビ東京)にゲスト出演した。

2012年(平成24年)10月10日、ゆうぽうとで開催された『秋の歌謡フェスティバル』に出演した。

2017年(平成29年)2月15日、『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した。トーク番組は初出演となった。

2017年時点では『クラブ美樹』を銀座で経営していた。

2024年(令和6年)2月24日肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去した[4][14]79歳没

2024年(令和6年)11月21日、同年12月30日の「第66回輝く!日本レコード大賞」において特別功労賞を贈られることが発表された[15]

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ディスコグラフィ

シングル

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デュエット・シングル

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企画シングル

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委託制作盤

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アルバム

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タイアップ曲

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NHK紅白歌合戦出場歴

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エピソード

  • 『川は流れる』は『雨の花園』のB面だったが歌声喫茶から火が付いて、1961年11月にA面とB面を入れ替えたシングルレコードを再発売。発売後に大ヒットした。2002年、原由子がアルバム『東京タムレ』でカバーして話題となった。
  • 『島育ち』は競作で田端義夫朝丘雪路等がカバーした。仲宗根盤も当初はヒットを見せていたがレーベル側の諸事情で発売中止となった。
  • ワン・レニー・ナイト・イン・トウキョウ/夏の日の想い出』など競作も多数リリースしている。[※日野てる子(日野盤の表記はワン・レイニー・ナイトイン・トーキョー)らと競作]
  • 女優の大空眞弓は母兄弟の娘で、いとこの関係に当たり、同じ東洋音楽学校出身である。
  • 同じ沖縄出身のフィンガー5のアルバム『フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん』(1974年)にゲスト出演している。
  • 長女は國場亜紀(くにば亜紀)として『地球防衛少女イコちゃん』のイコ役や[16]、テレビのリポーターなどを務めていたが芸能界を引退している。
  • 次男の國場雄大は2019年4月、品川区議会議員に当選し1期務めた。
  • 1964年に早川電機(現在のシャープ)が発売した白黒テレビ『シネスコ19』のイメージキャラクター(沖縄限定)を務めた。本土のイメージキャラクターはフランキー堺が務めた。
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映画

  • うるさい妹たち(1961年、大映
  • 東海一の若親分(1961年、東映
  • 海猫が飛んで(1962年、松竹
  • しのび逢い(1962年、松竹)
  • 太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年、大蔵映画
  • 川は流れる(1962年、松竹)
  • その結婚異議あり(1963年、大映)
  • 独立美人隊(1963年、松竹)
  • 魚河岸の旋風娘(1963年、松竹)
  • BACK STAGE/バックステージ(2001年、日活

テレビ番組

脚注

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