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第14回NHK紅白歌合戦
1963年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから
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『第14回NHK紅白歌合戦』(だいじゅうよんかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1963年(昭和38年)12月31日(JST)に東京宝塚劇場で行われた14回目のNHK紅白歌合戦。21時5分から23時45分(JST)に総合テレビ・ラジオ第1で生放送された。
全編の映像がNHKに現存する最古の回である。2025年(令和7年)3月8日、NHKの放送100年プロジェクトに当たって『みんなのベスト紅白 懐かしの「NHK紅白歌合戦〜第14回」(リマスター版)』が全編放送された。これ以前には、NHK衛星第2テレビジョンの『思い出の紅白歌合戦』で2度の再放送(1989年は短縮版、2001年は全編再放送)が行われたほか、放送ライブラリーでも視聴可能である。
この回で記録した視聴率81.4パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は、ビデオリサーチによる視聴率調査が始まって以来の最も高い視聴率となった[注釈 1]。なお、同時期に視聴率調査を行っていたニールセンの調査では、89.8パーセント(関東地区)を記録している。
翌1964年に開催される東京オリンピックにちなんで、五輪のマークと聖火台を模した舞台セットが特徴となり、オープニングでは聖火ランナーに扮した渥美清が登場して、オリンピック開会式風の演出が行われた。また、エンディングでは例年の「蛍の光」ではなく「東京五輪音頭」が合唱された。「蛍の光」が歌われなかったのは紅白史上この年だけである。
第4回(1953年)からラジオ・テレビでの同時放送となった紅白は、第10回(1959年)や翌年の第11回(1960年)からテレビを意識した視覚的演出を取り入れ、放送台本や演出にも変化が現れるようになった。視聴率81.4パーセントを記録したこの回は、その後の紅白が「国民的番組」と称されるきっかけを作った。 [2]
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出演者
要約
視点
司会者
当初、両組司会は前回に引き続き森光子・宮田輝に内定していたが、発表2日前の12月10日夜になってから森が辞退。森は翌年1月2日に芸術座で『越前竹人形』の主演を務めることになっており、12月30日に舞台稽古の予定だったが、台本の遅延でこれが翌31日にずれ込む可能性が発生したためである。慌てたNHKは直ちに「紅白実施委員会」を開き、代わってこの1年舞台・映画・ミュージカル・放送に大活躍しこれまで紅白11回連続出場の実績を持つ江利チエミを起用することを決める。チエミは12月11日夜に1度断りを入れるが再度の交渉に12月12日朝、ようやく了解し同日出場歌手と共に司会が発表された。それまでは出場歌手の中から司会が選ばれることはなかったが、今回はチエミの登板が緊急であったこともあり初めての掛け持ちとなった[3][注釈 2]。
大会委員長
- 春日由三 - NHK専務理事
出場歌手
初出場、 返り咲き
選考を巡って
演奏
審査員
- 長澤泰治 - NHK芸能局長(審査委員長)。
- 細川隆元 - 政治評論家。
- 丹羽文雄 - 作家。
- 實川延若 - 歌舞伎俳優。この年、三代目・實川延若を襲名。
- 中西太 - 西鉄ライオンズ選手兼任監督。選手兼任監督(プレイング・マネージャー)としてライオンズをパ・リーグ制覇に導く。
- 栃ノ海晃嘉 - 大相撲・大関。この年の大相撲・九州場所で優勝。
- 飯田蝶子 - 女優。この年、紫綬褒章受賞。
- 貞閑晴 - 1964年東京オリンピック女子選手村責任者
- 新珠三千代 - 女優。
- 花柳壽輔 - 舞踊家。この年、花柳流宗家家元三世・花柳壽輔を襲名。
- 佐久間良子 - 女優。
- ほか視聴者代表が会場に2名、札幌・仙台・名古屋・大阪・広島・松山・福岡より地方審査員として2名ずつ計14名
他のゲスト
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当日のステージ・エピソード
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 江利は後に「出演する方を目立たせるために、地味な格好を自分はしたり、夢中で頑張った」と語っている。また、江利の出番での曲紹介は宮田が行った。
- のちに史上最多の出演50回を誇る北島三郎が初出場。
- 坂本九は、本番直前に衣装全てが盗まれたため、家から持ってきた私物で本番に臨んだ。
- 第9回におけるグループの出場解禁後、前回までグループは全てグループ同士で対戦していたが、今回以降はグループ対ソロ歌手の組み合わせが行われるようになる。
- 19対8で紅組が優勝(通算7勝7敗)。
- 今回使用したマイクロホンは、歌手・司会者用共にAIWA VM-17S(BTS呼称、RV2-2)とされている(翌年の第15回にも同じタイプのものが使われているが、マイク自体を支える両脇のアームが無い試作品)。雪村いづみ、三波春夫はワイヤレスマイクを衣装に付けてセット中央の階段から歌い始めた。
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後日譚
江利・宮田の両軍司会は好評となり、第15回もこのコンビが続投することとなった。ただ前者は当初「『1回でやめておけば良かったのに』、などと言われたら・・・」という気持ちに苛まれ再三断っていた。「私のPRをしてくれない」「自分ばかり売り込んで」という周囲の声にも悩まされ、憂欝になったという。本人曰く「ダーリン(高倉健)もあんな疲れる仕事はもうしない方がいいって言っていたんです」とのことだが、結果的に熱心なNHKのラブコールに折れる格好で続投を決意した。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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