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第18回NHK紅白歌合戦

1967年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから

第18回NHK紅白歌合戦
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第18回NHK紅白歌合戦』(だいじゅうはっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1967年昭和42年)12月31日東京宝塚劇場で行われた、通算18回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。

概要 ジャンル, 司会者 ...
概要 ジャンル, 放送方式 ...
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概要

放送時間は徐々に拡大していたが、今回以降第40回1989年)に2部制に移行するまでこの放送時間に固定されるようになる。

出演者

要約
視点

司会者

紅組司会については、前回担当者のペギー葉山は産休中となり、過去2回紅組司会を務めた江利チエミは、司会自体は乗り気であったものの、前回特例で認められた出場歌手との兼任が今回は認められなかったため辞退[注釈 1]。最終的に、ペギー降板後に『ファミリーショー』のホステス役を引き継いでいた九重佑三子が司会に選ばれた。選考の過程ではほかに、越路吹雪岸洋子中尾ミエ金井克子石井好子水の江瀧子南田洋子森光子松村満美子(NHKアナウンサー)、真帆志ぶき那智わたる宝塚歌劇団)らが候補に挙がっていたという[1]

出場歌手

      紅組      白組      初出場      返り咲き

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選考を巡って

演奏

審査員

その他ゲスト

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当日のステージ・エピソード

  • 今回の会場である東京宝塚劇場定員は2300人であったが、今回の入場券の申し込みは12万4765通であった。今回の前後しばらくは平均12万通だった。元旦の消印で年末入場券を申し込む視聴者もいたという。そのため当日は会場前にダフ屋が出る程だった。
  • 今回の先攻後攻は両組司会のジャンケンで決められ、結果紅組の先攻でスタートした。
  • 前回までバックコーラスは紅組は女性・白組は男性が受け持っていたが、この回から曲によって両方受け持つようになる。(梓みちよ「渚のセニョリーナ」はレコードでのバックコーラスが男性だったので、紅白でも男性のバックコーラスを採用)
  • ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」は演奏にティンパニを使っており、梓みちよ・中尾ミエ・園まり・伊東ゆかりがティンパニの生演奏で応援している。
  • 両組トリは通算4度目のトリの組み合わせとなる美空ひばり三波春夫。通算4度のトリでの組み合わせは第71回2020年) - 第74回2023年)のMISIA福山雅治に並び最多記録である。
  • 紅組が優勝(通算9勝9敗)。
  • 本放送はカラー放送であるが保存されていない。本放送は、放送用ビデオテープ(2インチVTR)に収録されたと言われているが、当時のビデオテープは非常に高価で大型であるため、放送終了後に消去されて他番組に使い回された。視聴者提供の白黒VTRが現存するが、映像が全体的にぶれて大変見にくく、後年の『思い出の紅白歌合戦』(BS2)での再放送時には弘田三枝子が出演する部分など一部がカットされて放映された。ただし、九重のオープニングの宣誓場面や舟木一夫が出演する部分は映像状態が良い。写真はカラー版が現存しており、全出場歌手が舞台に整列したオープニングシーン、エンディングの投票数を数えるシーン、ステージでは北島、ピーナッツ、ひばりらの歌唱シーンが存在する。
  • 今回使用したステージメインマイクホンは、司会者・歌手用共にSONY PC-2。

後日譚

  • 第13回1962年)から6年連続司会を務めてきた宮田だったが、翌年の第19回および第20回1969年)は白組司会を坂本九に譲り、自身は総合司会を担当することになったため[3]、白組司会担当は今回で一旦ストップ。宮田は第21回1970年) - 第24回1973年)に白組司会に復帰した。
  • 翌年も九重は紅組司会の候補に挙がるも、紅組司会は水前寺清子に交代となる(九重の紅組司会担当は今回1度限り)。また、前回のペギー・今回の九重は「たとえ歌手であっても司会に専念してもらう」という方針で出場歌手には非選出で司会に徹したものの、翌年の水前寺・坂本が歌手兼司会となったことでこれは解禁された。なお、九重も翌年は出場歌手として返り咲き出場を果たした。
  • 今回で開始以来続いた組司会にNHKアナウンサーが起用される体制は一旦終了となる。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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