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南豊島郡
日本の東京府にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
消滅時の郡域は、概ね渋谷区および新宿区の一部(旧淀橋区の区域である戸塚町、西早稲田、戸山、大久保、歌舞伎町、西新宿以西および新宿の一部)にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、豊島郡のうち後の当郡域および隣接する区域の支配は以下の通り。幕府領は代官・松村忠四郎(長為)支配所が管轄した。●は村内に寺社領が存在。×は町地(町奉行支配地)と代官支配地の両方が存在。全域が町地である内藤新宿各町は掲載されていない。(14町27村)[1]
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治初年 - 竜土町が麻布竜土町・麻布材木町・麻布六本木町・三田古川町に分割。(17町27村)
- 明治2年(25町27村)
- 明治4年
- 明治5年(27町26村)
- 千駄ヶ谷町の一部より千駄ヶ谷西信濃町・千駄ヶ谷甲賀町・千駄ヶ谷一丁目・千駄ヶ谷二丁目・千駄ヶ谷三丁目・千駄ヶ谷仲町一丁目・千駄ヶ谷仲町二丁目が分立(千駄ヶ谷町1町として数える)。
- 麻布今井町が赤坂檜町、赤坂新坂町として分立。
- 1873年(明治6年) - 東大久保砂利取場跡新田が東大久保村に編入。(27町25村)
- 1874年(明治7年)(29町24村)
- 2月18日 - 中豊沢村が中渋谷村に編入。
- 東大久保村の一部より東大久保町が、西大久保村の一部より大久保百人町がそれぞれ起立。
郡発足以降の沿革

- 1878年(明治11年)
- 1879年(明治12年)
- 4月22日 - 上豊沢村、下豊沢村がそれぞれ上渋谷村、下渋谷村に編入。(12町23村)
- 東大久保町が東大久保村に編入。(11町23村)
- 中里村が早稲田村に編入。(11町22村)
- 四谷区の一部(千駄ヶ谷西信濃町・千駄ヶ谷甲賀町・千駄ヶ谷一丁目・千駄ヶ谷二丁目・千駄ヶ谷三丁目・千駄ヶ谷仲町一丁目・千駄ヶ谷仲町二丁目)が千駄ヶ谷村に編入。(10町22村)
- 1880年(明治13年) - 下戸塚村の一部が牛込区に編入。(10町22村)
- 1885年(明治18年) - 牛込村が早稲田村に編入。(10町21村)
- 1889年(明治22年)5月1日
- 市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。
- 四谷区 ← 千駄ヶ谷村の一部(旧千駄ヶ谷7町の内、千駄ヶ谷二、三丁目及び千駄ヶ谷仲町一、二丁目を除く区域)
- 牛込区 ← 早稲田村
- 町村制施行により以下の町村が発足。(2町6村)
- 内藤新宿町 ← 内藤新宿一丁目、内藤新宿二丁目、内藤新宿三丁目、内藤新宿北町、内藤新宿番衆町、内藤新宿北裏町、内藤新宿南町、内藤新宿添地町[大部分](現新宿区)
- 千駄ヶ谷村 ← 千駄ヶ谷村[大部分]、穏田村、原宿村[大部分](現渋谷区)
- 渋谷村 ← 上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村[大部分]、麻布区の一部[渋谷下広尾町、渋谷広尾町、渋谷神原町および麻布広尾町、渋谷上広尾町の各一部)、赤坂区の一部(青山南町七丁目、青山北町七丁目、渋谷宮益町](現渋谷区)
- 代々幡村 ← 幡ヶ谷村、代々木村(現渋谷区)
- 淀橋町 ← 柏木村、角筈村、内藤新宿添地町[飛地](現新宿区)
- 大久保村 ← 東大久保村、西大久保村[大部分]、大久保百人町、諏訪村[飛地](現新宿区)
- 戸塚村 ← 戸塚村、下戸塚村、源兵衛村、諏訪村[大部分]、西大久保村[飛地]、北豊島郡高田村[飛地](現新宿区)
- 落合村 ← 上落合村、下落合村[大部分]、葛ヶ谷村(現新宿区)
- 下渋谷村の一部は麻布区へ編入。
- 下落合村の一部が高田村へ、飛地が北豊島郡長崎村へそれぞれ編入。
- 原宿村の飛地の内北半分が赤坂区へ、南半分が麻布区へ分割編入。
- 市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。
- 1891年(明治24年)3月18日 - 内藤新宿町の一部(大字内藤新宿一丁目の一部及び大字添地町の一部)を東京市四谷区に編入。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 南豊島郡・東多摩郡の区域をもって豊多摩郡が発足。同日南豊島郡廃止。
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行政
- 歴代郡長
郡役所
はじめ内藤新宿二丁目にあり、1889年12月に淀橋町大字柏木291に移転。
脚注
参考文献
関連項目
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