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平均律クラヴィーア曲集(へいきんりつクラヴィーアきょくしゅう、原題:独: Das Wohltemperirte Clavier、現代のドイツ語表記では独: Das Wohltemperierte Klavier)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した鍵盤楽器[1]のための作品集。1巻と2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されている。第1巻 (BWV 846〜869) は1722年、第2巻 (BWV 870〜893) は1742年に完成した。
原題の"wohltemperierte"は、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「良く調整された(well-tempered)」という意味であり、広い意味で転調自由な音律を指す。しかし和訳ではいまだに「平均律」が用いられている[2]。鍵盤楽器奏者の武久源造は、2019年に自らの全曲CDをリリースした際、従来誤訳ではないかとして議論されてきた《平均律》を《適正律》と改め、「適正律クラヴィーア曲集」とした。
バッハは第1巻の自筆譜表紙に、流麗な渦巻き模様の装飾を施し、その下に次のように記した:
指導を求めて止まぬ音楽青年の利用と実用のため、又同様に既に今迄この研究を行ってきた人々に特別な娯楽として役立つために(徳永隆男訳)
第2巻には「24の前奏曲とフーガ」とだけ記した。
調律を変更せずに、あらゆる調で演奏可能な音律として、当時鍵盤楽器では平均律よりもむしろ様々な不等分音律が開発・提唱されていた。バッハが意図した音律については諸説あり、20世紀の研究ではヴェルクマイスターの調律法などがそれに当たると比定されていたが、1999年ドイツの数学者アンドレアス・シュパルシューによって、バッハが曲集第1巻自筆譜表紙に、渦巻装飾を通じて音律と調律法に対する指示を出していたという説が提出され[3]て以来、アメリカのチェンバロ奏者ブラッドリー・レーマン[4]や著名なクラヴサン製作者でパリ音楽院の古楽学教授のエミール・ジョバン[5]らがさらなる研究を発表している[6]。
バッハ以前にも何人かの作曲家が多くの長短調を駆使した作曲を試みている。中でもヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャーの「アリアドネ・ムジカ」は、20の調による前奏曲とフーガを含んでいる。
またバッハが第1巻を記した1722年に、ドレスデン近郊のオルガン奏者フリードリヒ・ズーピヒが31平均律の鍵盤楽器を用いて24の調すべてに転調する長大な「ラビュリントス・ムジクスのファンタジア」を作曲し、ヨハン・マッテゾンがドイツ最初の音楽批評誌である「音楽批評(Critica musica,1722)」でズーピヒの作品を紹介していること、またズーピヒの論文「カルキュルス・ムジクス」の表紙にはバッハの第1巻の表紙とよく似た手書きの渦巻き模様が描かれていることから、ジョン・チャールズ・フランシスをはじめとする研究者たちはバッハがこれらにヒントを得て、息子たちの教育用に書き溜めていた曲を中核として第1巻を完成させ、翌1723年にライプツィヒの聖トーマス教会カントルへの就職試験に提出したと考えている。
逆に、フレデリック・ショパンの「24の前奏曲」や、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」は、バッハの曲集から直接に触発されたものである。
バッハのこの曲集は、現代においてもピアノ演奏を学ぶものにとって最も重要な曲集の一つである。ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローは、この曲集とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノソナタを、それぞれ「ピアノの旧約聖書と新約聖書」と呼び、賛賞した。
第2巻の『前奏曲とフーガ ハ長調 BWV870』のグレン・グールドによる演奏の録音は、人類を代表する文化的作品の一つとして、ボイジャーのゴールデンレコードに収録されている。
長短24調による前奏曲(Preludium)とフーガ(Fuga)からなる曲集。1722年成立[7]。
単独に作曲された曲集ではなく、その多くは既存の前奏曲やフーガを編曲して集成されたものである。特に前奏曲の約半数は、1720年に息子の教育用として書き始められた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」に初期稿が「プレアンブルム」として含まれている。
様々な様式のフーガが見られ、中でも3重フーガ(嬰ハ短調 BWV849)や拡大・縮小フーガ(嬰ニ短調 BWV853)は高度な対位法を駆使した傑作とされる。
長短24調による前奏曲とフーガからなる曲集の第2巻。
第1巻同様に単独に作曲された曲集ではない。初稿を伝えるものを初め、多数の原典資料が現存する。ロンドン大英博物館に現存する自筆浄書譜は1738-42年頃に書かれ、1742年に完成した[7]。しかし弟子のアルトニコル(Johann Christoph Artnicol, 1719-1759)による1744年の筆写譜は、バッハによる散逸した修正稿に基づくものと考えられている[8]。新バッハ全集(Neue Bach-Ausgabe, NBA: V-6/2. Durr校訂, 1995年)は曲ごとに自筆譜と筆写譜のどちらを採用するかを決め、従となる譜も併録する方法を取っている。
練習曲としての性格が強かった第1巻に比べ、より音楽性に富んだ作品が多くなっており、前奏曲にはソナタに類似した形式のものも見られる。フーガにおいても対位法の冴えを見せ、二重対位法を駆使した反行フーガ(変ロ短調 BWV891)などは「フーガの技法」に勝るとも劣らない高密度な作品である。
主な校訂版には以下のようなものがある:
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