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日本のお笑いタレント、グルメリポーター、俳優 (1962-) ウィキペディアから
石塚 英彦(いしづか ひでひこ、1962年〈昭和37年〉2月6日 - )は、日本のお笑いタレント、グルメリポーター、俳優。お笑いコンビ・ホンジャマカのボケ担当。相方は恵俊彰。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。ワタナベエンターテインメント所属。身長175 cm、体重117 kg(ピーク時には135kg)。愛称は「石ちゃん」。既婚。
横浜市立富士見台小学校[1]、横浜市立岩井原中学校、横浜市立桜丘高等学校、関東学院大学経済学部卒業(大学では途中2年間の休学期間あり)。スポーツは中学時代に水泳、高校時代に柔道をやっていた[2]。高校時代に自主制作映画の制作に参加。俳優を目指したきっかけは、映画『ロッキー』を観たことで、大学も演劇サークルがあるという理由で決めた。しかし、そのサークルは英語劇がメインだったため、自分の希望と違うと思い途方に暮れた後[3]、大学を休学して20歳の時劇団ひまわりに入団し、基礎から2年間レッスンに専念。なお、現在の妻はこの劇団ひまわり在籍中に出会った同期生であり、石塚の食い気に惹かれて付いて来たとのこと[2]。この当時、『お笑いスター誕生!!』に出演したこともある。また、いいとも青年隊のオーディションは1982年の初代のオーディションを含めて2回受けたが、いずれも落選している[4]。
大学在籍中の1984年、当時渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメントの親会社)が立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」の第1期生として参加(同期には中山秀征がいる)[5]。立花理佐の3rdシングル「キミはどんとくらい」のバックダンサーをしていた時期もある。11人体制でお笑いグループ「ホンジャマカ」のメンバーとしてデビュー。しかし、メンバーが次々と脱退して最終的には恵俊彰と2人だけになり、改めて恵とコンビ「ホンジャマカ」を結成。以来、お笑いライブやテレビ番組などを中心に活動している。
この頃、妻とは約9年の交際を経て、妻の父親の最大限のサポートもあって結婚[2]。
現在でも恵と組んでのホンジャマカ単独ライブを行うことはあるものの、1990年代末期からは石塚個人でのソロ活動が目立つようになった。特にグルメ番組への出演やテレビドラマへの出演が多い。
グルメリポーターになる転機となったのは1996年頃、相方の恵に単独での仕事が多く入るようになったその時、石塚にもある朝番組の豪邸訪問リポートの仕事が入り、最初は玄関や掛けてある絵画など装飾の方を褒めていたが、訪問先で食事が出され、石塚はその時が一番生き生きしていたと周囲が気付いたことだった[3]。
1年のうちの約半分はグルメ番組のロケで日本全国を食べ歩いていて、これまでに色々な料理を食べてきた。グルメ番組ではただ料理を食べて感想を言うのではなく、ダジャレを交えながらリポートするという手法を取っている。石塚曰く「誉めることしか考えず、料理した人の情熱をしっかり楽しく伝える」という仕方を通しているとのこと[6]。
テレビ東京の『元祖!でぶや』出演以来、グルメリポートで料理を頬張った後に「まいうー」(「美味い」の業界用語)と発言するのが定番。この言葉には「ありがとう」の思いを込めているとのこと。ロケで自分のキャラを貫き通して、普通じゃないことをやっているという姿勢は、石塚が慕っているという忌野清志郎の考えを表している[6]。滅多に言わないが、「まいうー」の対義語として「ずいまー」(「不味い」の業界用語)も存在する。
大食いキャラクターであるが、あくまでキャラクターとしてであり、実際には大食いではない。石塚は“グルメショー”として、むしろ料理の見映え、作った人の気持ちの方に着目してリポートをしている[3]。
これに関連して、1992年から2011年までTBSにて放送された『関口宏の東京フレンドパークII』では、最後のコーナー「ハイパーホッケー」において恵共々コスチューム姿で登場した際、食べ物が絡んだギャグを披露して恵にツッコまれることもあった。また、同番組では2010年3月まで視聴者プレゼントを発表した際に、毎回1つダジャレを披露するのが恒例だった。
デビュー当時は二枚目タイプで痩せていたが、後に大きく太り、デブタレントとして注目されるようになった。伊集院光や松村邦洋らとともに「デブタレ御三家」と呼ばれるようになり、さらに内山信二またはパパイヤ鈴木を加えて「デブタレ四天王」などと呼ばれている。体格の変化については、現在の妻と交際していた頃に彼女の手作り弁当を「弁当の量が多いと思いながらも完食し、さらに量が増加していき、結果的に太り始めた」というのが石塚の弁である。
グルメ番組やバラエティ番組に出演する際には、真冬の屋外であろうともタンクトップとオーバーオール(柄はホルスタイン柄や迷彩柄など様々)という姿が基本である。迷彩柄の時は「ちょっと悪キャラ」を演じる時だと語っている[2]。
ビデオリサーチによる「テレビタレントイメージ」の好感度調査の上位に定着。2007年8月期の調査では、初めて男性タレント部門の1位になった[8]。
他者を毒舌や暴力で攻撃して笑いを取る手法を嫌い、敢えてこれを排除した芸風を取り続けている。「他人の中傷で笑いを取るのはダメ。気持ちいいと思わない。頭をはたくようなことも嫌い」という趣旨の発言もしている[2]。
伊集院光、松村邦洋、内山信二らとともに「デブタレ四天王」と呼ばれている。
デブタレントが増えてきたことについて「動物園に例えるなら、象ばかり。デブタレントとは1つの番組に1人でいいと思っていたが、デブタレントにも1人1人に徐々に個性が出て来た」といったことを話している[2]。
嫌いな食べ物はほとんどないが、ネギを苦手としている。ラーメンや蕎麦などの上に薬味で刻んだネギが少量乗っているだけでもテンションが下がる。そのため、料理にネギが使われている場合は「平静を装いながら、視聴者に分からないようにネギをカメラの死角へと隠し、料理を食べる」というテクニックを独自に習得している。
尊敬する人物に初代林家三平を挙げている。また、ウガンダ・トラも尊敬人物の1人に挙げているが、これは彼からデブタレントのあるべき姿を学んだことと、彼の「カレーライスは飲み物」という発言に感銘を受けたことによる[11]。
恵とのコンビでの出演はホンジャマカ#出演を参照。
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