長崎くんち
長崎市のお祭り ウィキペディアから
長崎市のお祭り ウィキペディアから
長崎くんち(ながさきくんち)、長崎くんちは、長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼である。10月7日から9日までの3日間催される。国の重要無形民俗文化財に指定されている(昭和54年指定、指定名称は「長崎くんちの奉納踊」)。
「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」「御朱印船(ごしゅいんせん)」など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな演し物(奉納踊)を特色としており、傘鉾、曳物(山車・壇尻)、太鼓山など、京都や堺の影響も窺える。
「くんち」の名称は、旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力である[1]。「宮日」「供日」と表記されることもあるがこれは後年の当て字で、諏訪神社への敬意を表して「御」をつけたことから「おくんち」とも呼ばれるようになった[2]。
くんちは、前日(まえび、10月7日)にお下り、中日(なかび、8日)に各場所での奉納、後日(あとび、9日)にお上り、の3日に分けて行われる。諏訪神社に祀られている三体の神体が、前日に諏訪神社の本宮から大波止に設けられた御旅所(おたびしょ)に下り(お下り)、後日には再び本宮に上る(お上り)という神事が行われる。各踊り町は諏訪神社本宮で演し物を奉納した後、旧八坂町(現鍛冶屋町)の八坂神社(祇園社、祇園宮)[3]、御旅所(夢彩都おくんち広場)、長崎市公会堂などの踊り馬場でも奉納を行う。その後旧市街の各企業や民家の入り口前(庭先)で演し物の一部を披露する(庭先回り)。中日、後日にも各所で奉納踊りが行われ、同時に庭先回りも行われる。庭先回りで踊り町が訪問する企業や民家は、玄関に幔幕(まんまく)を張って踊り町を迎える。
長崎くんちは、諏訪神社の氏子にあたる長崎市内の各町が、演し物と呼ばれるさまざまな演目(奉納踊)を奉納するものである。長崎市にある59の町(以前は77町)が5〜7町ごと7組に分かれて年ごとに奉納する[4]。その年の当番に当たった町を踊り町(おどりちょう)と呼ぶ。すなわち一つの町を見ると、7年に一度、踊り町が回ってくることになる。ただし、特別枠として参加し、本来の周期以外の年にも踊りのみ(傘鉾なし)を奉納することがある。
また、4年に一度年番町というお神輿の行列に並ぶ年がある。
各踊り町に随伴して、道中や演目の合間に演奏される下座音楽の囃子である。踊り町1か町につき7名で構成され、「場所」では笛5名、締め太鼓2名、「庭先回り」や「道中」では笛3名、締め太鼓4名(打手2名、担ぎ手2名)で構成される。演し物の演目の最中には用いられず、演目が始まったところで演奏を中止する。
踊り町ごとに得意とする演し物がある。川船、龍踊りなど多くの演し物は複数の町が奉納するためほぼ毎年〜数年ごとに見られるが、一部の演し物(鯨の潮吹きなど)は一つの町しか行わないため基本的に7年に一度しか奉納されない。
演し物の稽古始めとされる6月1日の行事。踊り町が諏訪神社や八坂神社を詣で、練習の無事と本番での成功を祈願する。午後からは打ち込みとよばれるくんち関係者へのあいさつ回りを行う。庭先周りと同様に、周辺の企業や家庭では幔幕が張られる。
くんちの始まりを告げる「事始(ことはじめ)神事」と、三基の神輿を担ぐ神輿守(みこしもり)町の清祓(きよはらい)。
事始神事では、当年の踊り町の役員らが大祭の始まりを神前に報告する。御神輿守清祓いでは、諏訪、森崎、住吉三社の神輿を担ぐ関係者が清祓を受け、大祭期間中の安全を祈願する。10月1日の行事。
くんちで使用する衣装や道具を公開する。夕方から開始される10月3日の行事。庭先周りと同様に、企業や家庭は幔幕を張る。
「にいぞろい」もしくは「にぞろい」と読む。本番の衣装をつけその町内で町内の人間に対し披露するリハーサル。大体午後1時ころから行われる。10月4日の行事。
10月6日の夜に行われていた非公式行事。桟敷席と違って無料で座れる長坂に前日から徹夜で張り込みを行う者が暇をもてあまし、勝手に演し物の真似事を行ったことに由来。定番行事となっていたが、実行委員会により長坂の徹夜張り込みが禁止され整理券制となったためその伝統は途絶えた。
奉納踊りとして披露される演し物(だしもの)は大きく分けて、踊り、曳物、担ぎ物、通り物に分けられる[5]。それぞれ和風・洋風・中国風のものがある。
尚シーボルト著「日本」には太鼓山(コッコデショ)と鯨の潮吹きがイラストで紹介されている。
くんちで奉納される演し物の代表格。現在、籠町、諏訪町、筑後町、五嶋町が奉納しており、毎年のように見ることができる(ない年もある)のだが、踊り町によって内容や登場する龍の種類や演出は異なる。
基本的に龍が玉を追いかける「玉追い」→とぐろを巻いた龍が自分の体に隠れた玉を探す「ずぐら」→胴の下をくぐって再び「玉追い」の流れとなっている。胴くぐりを行う際は頭がくぐり終わったところで龍尾衆と九番衆も同じ場所をくぐらせるため、龍体がよじれないようになっている。
交代要員や総指揮、龍指揮全てを合わせると龍一頭の奉納踊りを80名程度の人員が構成する。
構成
樺島町が寛政11年(1799年)より、上町が平成28年(2016年)に奉納している演し物である。正式には太鼓山という名称で、コッコデショは担ぐときの掛け声から来ている[6]。江戸時代、長崎で陸揚げされた貿易品は堺商人の廻船で全国に運ばれており、商船の船頭や水夫は樺島町の宿を定宿としていた。この船頭衆から堺壇尻や各地の踊りが伝わり、各地の要素が合わさって樺島町独自の演し物になったと考えられている。太鼓山は船、采振りは船頭、踊りは船や波の動きを表している[7]。
山車は担ぎ屋台となっており、4本の担ぎ棒に大太鼓を囲む櫓を組み、その上に5色の大座布団を載せて屋根としている。太鼓の四方には、赤い投げ頭巾を被った4人の男の子が座り、演技に合わせて太鼓を叩く[8]。担ぎ棒に采振り4人を載せ、担ぎ手が足元を抑え、采振りが体を逸らし、大きく采を振って「ホーライエ」を歌いながら入場する[9]。
踊りは太鼓山が長坂に向けて突っ込む「トバセ」、掛け声に合わせて山車を天空に投げて片手で受け止める「コッコデショ」、踊り馬場の中央で山車を回転させる「マワセ」、再び山車を投げる「コッコデショ」で1回が構成され、これが4回繰り返される。2回目の演技が終えたところで一旦退場しかけ、観客の「モッテコイ」に応えて3回目を行う。3回目の途中の「コッコデショ」で担ぎ手は一斉にに法被を投げ上げ、更に4回目の演技を終えたところで退場する[9]。
退場する際は再び采振り4人を担ぎ棒に乗せ、「ホーライエ」を歌いながら踊り馬場を後にする[9]。
構成[8]
万屋町が奉納する演し物で1778年(安永7年)に、たまたま町内に来ていた唐津呼子の者の勧めで奉納されたのを始まりとする。鯨の姿をした曳物と小船の曳物、納屋の形をした曳物で構成され、鯨を港に引き込み納屋で大漁を祝う様子を表現する。前日に出てくる鯨は大きく動き回るが、後日になると縛り付けるように網をかけられ、納屋にも雪や氷柱などが付き、冬の鯨の追い込みの姿を表している。
昭和9年に長崎市主催の国際産業博覧会が開かれた際、花柳寿太郎指導の下、前年に発表された阿蘭陀風三河万才の踊りを町検の芸妓衆が演じたのを始まりとする。南蛮風衣装に身を包みオランダ人男性に扮した青い服を着た万歳(まんざい)、黄色や橙色の服を着た才蔵(さいぞう)というピエロの踊り子二人が主役となり、日本風、中国風の踊り子らと共に胡弓や木琴などの明清楽に合わせて踊る。長崎に漂着したオランダ人2人が生計を立てるために「万才」を披露しながら正月を祝って回ったと言うのが主な筋書きである。唐扇子を持つのが万歳、鼓を持つのが才蔵である。初演から長らく女性のみが万歳と才蔵を務めていたが、2013年に初めて栄町が花柳流経験者の男性2人組による阿蘭陀万才を奉納した[10]。
踊町が有名であるが、踊り町以外の役割で参加する地域もある[5]。
2022年4月28日、氏子代表の常任総代らは記者会見を行い、奉納踊や神輿行列を3年連続で中止する意向を表明した[13]。その理由として、コロナウイルス感染症の流行に加えて、2021年秋に明るみに出た宮司のセクハラ疑惑を巡る宮司と氏子と対立があるとされる。また、禰宜によるパワハラ疑惑も浮上し、これらの疑惑について損害賠償請求などが長崎地方裁判所で争われる事態となった[14]。
その後、2023年2月12日に宮司が死亡したことを受け、同月20日までに権禰宜7人全員が辞職届を提出[14]。前記の損害賠償請求も、9月22日付で和解が成立[15]。新型コロナウイルス感染症の感染症法上での位置付けも5月8日に5類感染症(季節性インフルエンザと同等)へ引き下げられ[16]、2023年は通常通りの開催となった[17]。
1634年(寛永11年)に、神前にて謡曲「小舞」を豊前国中津(現在の大分県中津市)出身の丸山遊女である高尾と音羽の二人が奉納したことが始まりとされる[18]。もともとは基督教徒を鎮圧するために長崎奉行・榊原飛騨守の肝煎りで始められた[5]。
すべて東映の制作。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.