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日本の政治家、心療内科医 (1949-) ウィキペディアから
鴨下 一郎(かもした いちろう、1949年1月16日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。自由民主党所属の元衆議院議員(9期)。内閣官房参与(健康・医療戦略)。東京都足立区生まれ。
鴨下一郎 かもした いちろう | |
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入閣に際して公表された肖像写真 | |
生年月日 | 1949年1月16日(75歳) |
出生地 | 日本 東京都足立区青井 |
出身校 |
日本大学医学部医学科卒業 日本大学大学院医学研究科博士課程修了 |
前職 | 医療法人青十字会理事長 |
所属政党 |
(日本新党→) (新進党→) (無所属→) 自由民主党(額賀派→無派閥→石破派[1]) |
称号 |
旭日大綬章 医学博士 医師 |
公式サイト | かもした一郎 |
第9-10代 環境大臣 | |
内閣 |
第1次安倍改造内閣 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年8月27日 - 2008年8月2日 |
選挙区 |
(旧東京10区→) (東京13区→) (比例東京ブロック→) (東京13区→) (比例東京ブロック→) 東京13区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - 2021年10月14日 |
その他の職歴 | |
第54代 自由民主党国会対策委員長 (総裁: 安倍晋三) (2012年 - 2013年) |
環境大臣(第9・10代)、厚生労働副大臣(第1次小泉第1次改造内閣・福田康夫改造内閣)、衆議院厚生労働委員長、自民党国会対策委員長(第54代)、自民党幹事長特別補佐、自民党東京都連会長を歴任した。
東京都足立区青井生まれ。足立区立第四中学校、東京都立足立高等学校卒業。中学・高校の2年先輩にビートたけしがいる。都立足立高校卒業後、日本大学医学部医学科へ進学。日本大学大学院医学研究科博士課程を修了し、医学博士の学位を取得[2]。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧東京10区(定数5)から出馬し、公明党の山口那津男に次ぐ2位で初当選。1994年、羽田内閣で環境政務次官に就任するも、羽田内閣は64日で退陣に追い込まれた。同年末、日本新党が解党し、新進党結党に参加。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年の第41回衆議院議員総選挙では東京13区から新進党公認で出馬し、再選。
1997年7月、新進党を離党し、同年12月に自由民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自民党公認で東京13区から出馬し、民主党の城島光力らを破り3選(城島も比例復活)。2002年、厚生労働副大臣に就任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では前回下した城島に敗れるも、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4選。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、前回敗れた城島に比例復活を許さず、東京13区で5選。2007年8月、安倍改造内閣で環境大臣に就任し、初入閣。入閣後間もなく資産等報告書の記載の不備が発覚した。安倍晋三首相が内閣改造からわずか1ヶ月余で辞意を表明した。当時は事務所費架空計上問題が騒がれ、安倍内閣の農林水産大臣だった松岡利勝が自殺する事態にまで発展しており、新内閣で鴨下が再任されるかが一部で注目されたが[要出典]、福田康夫内閣で環境大臣に再任された。
2008年の福田康夫改造内閣では、大臣経験者ながら再び厚生労働副大臣(年金担当)に就任。しかし福田康夫首相も内閣改造から1ヶ月余で辞任し、福田の辞任を受けて行われた2008年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人代表を務めた[3]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党新人の平山泰朗に東京13区で敗れたが、比例東京ブロックで復活し、6選。翌2010年、山本有二が立ち上げた政策グループのぞみに参加。2011年、「日本の復興と再生を実現する議員連盟」の設立を呼びかけ、同議連の世話人に就任[4]。同議連には民主、自民、公明の各党から計162名の国会議員が参加した[5]。
2012年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人代表を務める。2012年9月、安倍晋三執行部において幹事長代理に就任。同年12月、自民党国会対策委員長に就任。2013年10月11日、体調不良のため自民党国会対策委員長を辞任した[6]。2014年2月17日、新設された幹事長特別補佐に就任[7]。
2017年9月27日、東京都議選惨敗の責任を取り辞任した下村博文会長の後任として自民党東京都連の会長に就任[8]。
同年9月28日、衆議院解散。10月3日、希望の党は第48回衆議院議員総選挙の第1次公認192人を発表するが[9]、小池百合子代表と同じ日本新党出身の鴨下は小池と近い存在であったため、東京13区には候補者を立てなかった[10]。10月6日、立憲民主党は第1次公認62人を発表。東京13区に元総合商社社員の北條智彦を擁立したことが明らかとなった[11]。10月22日に行われた総選挙で北條と共産党新人を破り、9選。
2021年8月4日、同年秋までに予定される第49回衆議院議員総選挙に立候補せず引退する意向を表明した[12]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 44 | 旧東京10区 | 日本新党 | 12万456票 | 17.17% | 5 | 2/12 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 47 | 東京13区 | 新進党 | 7万697票 | 35.02% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 51 | 東京13区 | 自由民主党 | 9万567票 | 42.04% | 1 | 1/4 | / |
比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 54 | 比例東京(東京13区) | 自由民主党 | 8万8254票 | 42.61% | 17 | 2/3 | 5/6 |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 56 | 東京13区 | 自由民主党 | 12万9586票 | 53.82% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 60 | 比例東京(東京13区) | 自由民主党 | 11万1590票 | 43.70% | 17 | 2/4 | 2/5 |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 63 | 東京13区 | 自由民主党 | 11万5797票 | 50.31% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 65 | 東京13区 | 自由民主党 | 11万3036票 | 55.55% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 68 | 東京13区 | 自由民主党 | 12万744票 | 55.23% | 1 | 1/3 | / |
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