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せとゆき (練習艦)

はつゆき型護衛艦の10番艦、後に練習艦へ種別変更(しまゆき型練習艦3番艦) ウィキペディアから

せとゆき (練習艦)
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せとゆきローマ字JS Setoyuki, TV-3518DD-131)は、海上自衛隊練習艦はつゆき型護衛艦の10番艦。晩年は練習艦に種別変更され、しまゆき型練習艦の3番艦となった。艦名は「瀬戸に降る雪」即ち「瀬戸雪」に由来する。なお、艦艇名としては旧海軍通して初の命名である。

概要 せとゆき, 基本情報 ...
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艦歴

要約
視点

「せとゆき」は、中期業務見積もりに基づく昭和57年度計画2,900トン型護衛艦2219号艦として、三井造船玉野事業所で1984年1月16日に起工され、1985年7月3日に進水、1986年12月11日に就役し、第2護衛隊群第42護衛隊に編入され佐世保に配備された。

1988年3月17日第3護衛隊群第45護衛隊に編入。

1988年1990年1995年遠洋練習航海に参加。

1997年3月24日、隊番号の改正により第45護衛隊が第7護衛隊に改称。

1998年3月20日第4護衛隊群第4護衛隊に編入。

1999年8月2日から4日にかけて護衛艦「しらね」、「とね」とともに韓国釜山を訪問、4日から5日にかけて東シナ海において初の日韓共同訓練を実施した。

2000年3月21日、第4護衛隊群第8護衛隊に編入され、定係港もに転籍。

2002年3月6日呉地方隊第22護衛隊に編入。

2008年3月26日自衛艦隊の大改編により、第22護衛隊が第12護衛隊に改称され護衛艦隊隷下に編成替え。

2010年6月3日和歌山県串本町の樫野埼沖にてエルトゥールル号遭難事件から120年目にあたる日に洋上追悼式を執り行う。参加者には在日本・トルコ大使のセルメット・アタジャンル、トルコ軍楽隊、オスマン・パシャのひ孫のオスマン・ケマル・テキタシュ夫妻のほか寬仁親王彬子女王仁坂吉伸和歌山県知事や田嶋勝正串本町長などが参列する[1]。 自衛艦で皇室・対外王室に対しての御召艦となった戦後初めての艦と成った(すなわち「皇族旗」を掲揚した初の自衛艦である)。

平成23年度予算において、5年間の延命予算が要求された[2]

2012年3月14日練習艦に種別変更され、練習艦隊第1練習隊に編入。

2013年3月22日、練習艦としては海上自衛隊初となる女性艦長が練習艦「しまゆき」と同じく着任[3]

2014年及び2016年、遠洋練習航海に参加。

2021年2月9日から3月16日にかけて護衛艦「ゆうぎり」及び練習艦はたかぜ」とともに第54期一般幹部候補生課程(部内課程)学生の外洋練習航海に参加する[4]。その参加途中の2月28日にはグアム周辺海空域において米海軍空母「セオドア・ルーズベルト」、巡洋艦「バンカー・ヒル」と共同訓練を実施した[5]

同年6月27日、遠洋練習航海中の海上自衛隊練習艦隊(司令官:石巻義康、実習幹部:71期幹候卒業生、練習艦かしま」、「せとゆき」)は、2021年4月27日に事故で沈没したインドネシア海軍潜水艦KRI ナンガラ 402」の洋上慰霊祭を実施した[6]

2021年12月24日、除籍され「はつゆき」型最後の艦艇として長い歴史に幕を降ろした[7]。35年に及ぶ就役期間中、地球42周分に相当する航海をした[8][9]

2022年12月2日呉港務隊えい船により洋上までえい航し、解体業者に引き渡された[10]

歴代艦長

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ギャラリー

脚注

参考文献

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外部リンク

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