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アルシデス・エスコバー
ベネズエラの野球選手 (1986 - ) ウィキペディアから
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アルシデス・エスコバー(Alcides Escobar, 1986年12月16日 - )は、ベネズエラのラ・グアイラ州ラ・サバナ出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。愛称はエスキー[1]。メキシカンリーグのキンタナロー・タイガース所属。
ケルビム・エスコバー、エドウィン・エスコバー、ビセンテ・カンポス、ロナルド・アクーニャ・ジュニアとは従兄弟である[2]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとブルワーズ時代

(2009年8月14日)
2003年7月9日にドラフト外(アマチュア・フリーエージェント)でミルウォーキー・ブルワーズと契約した[3]。この時、16歳であった。
2007年はマイナーリーグ(A+級ブレバード・カウンティ・マナティーズとAA級ハンツビル・スターズ合計)で125試合に出場し、打率.306、22盗塁[4]の好成績を挙げ、6月16日はフロリダステート・リーグのオールスターに、7月8日にはフューチャーズ・オールスターゲームに出場した[5]。シーズン終了後、チーム内のベスト・ディフェンシブ・インフィルダーとベスト・インフィールド・アームに選出[6](ベスト・ディフェンシブ・インフィルダーは2005年から3年連続[7][8])。
2008年はAA級ハンツビルで131試合に出場し、打率.328、出塁率.363、34盗塁。7月14日はサザン・リーグのミッドシーズン・オールスターに、8月28日には同リーグのポストシーズン・オールスターに出場[5]。この間、週間MVPを2度受賞している[5]。9月1日にメジャーに初昇格し、同月3日のニューヨーク・メッツ戦で遊撃手の守備からの途中出場によりデビューを果たし、その後の初打席でスコット・ショーエンワイスから初安打を記録した。また、5日にはベースボール・アメリカのマイナーリーグ・オールスター代表チームに選ばれている[9]。
2010年は前年までの正遊撃手だったJ.J.ハーディの移籍、クレイグ・カウンセルの衰えなどの影響で、レギュラーに定着した。145試合に出場し、打率.235、4本塁打、41打点、出塁率.288を記録した。
ロイヤルズ時代
2010年オフにザック・グレインキー、ユニエスキー・ベタンコートとのトレードで、ロレンゾ・ケイン、ジェレミー・ジェフレス、ジェイク・オドリッジと共にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[3]。

2011年はロイヤルズで正遊撃手を務めた。459補殺(リーグ1位)、271刺殺(同1位)、守備率.980(同4位)だったが[10]、打撃では打率.254、4本塁打、46打点に留まった[3]。
2012年3月15日に2015年まで4年1,050万ドル(2016年の525万ドル[11]、2017年の650万ドル[11]の球団側選択オプション付)で契約を結んだ[12]。この年も前年に引き続き正遊撃手として出場し、打率.293、5本塁打、52打点、35盗塁(アメリカンリーグ5位)、出塁率.331を記録した。守備では408補殺(同5位)、242刺殺(同2位)、守備率.972を記録した。
2013年は前年から一転して打率.234、出塁率.259などと、打撃成績では自己最低だった。守備では395補殺(ア・リーグ4位)、222刺殺(同4位)、守備率.979(同5位)を記録した。
2014年はレギュラーシーズン全162試合とポストシーズン全15試合に遊撃手で先発出場し、チームのワールドシリーズ進出に貢献した。9月13日以降は1番打者として起用され続けた。守備で440補殺(ア・リーグ2位)、213刺殺(同2位)、守備率.976(同4位)を記録した。オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[13]。
2015年は、開幕から1番打者として定着した。ファン投票で自身初のオールスターに選出され「9番・遊撃手」で先発メンバーに名を連ねた[14]。148試合出場だったが、6年連続で規定打席に達して打率.257、3本塁打、47打点を記録した。守備では417補殺(ア・リーグ5位)、217刺殺(同4位)、守備率.980(同3位)を記録し、自身初のゴールドグラブ賞を受賞した。リーグチャンピオンシップシリーズでは打率.478(23打数11安打)、5打点などを記録しMVPを受賞し、ワールドシリーズでは第1戦の初回先頭打者としてマット・ハービーの初球で、シリーズ史上86年ぶり10人目となるランニング本塁打を記録し、ワールドシリーズ制覇に貢献した。オフに球団が契約オプションを行使し、残留が決まった。
2016年も開幕から1番打者として出場した。全162試合にフル出場し、打率.261、7本塁打、55打点、17盗塁という成績を記録した。
2017年開幕前の2月8日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された[15]。オフの11月2日にFAとなった[16]
2018年1月29日にロイヤルズと1年250万ドル+出来高最大150万ドルで再契約を結んだ[17]。シーズンでは140試合に出場して打率.231、4本塁打、34打点、8盗塁を記録した。オフの10月29日にFAとなった[18]。
ホワイトソックス傘下時代
2019年2月16日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[19]が、3月21日にFAとなった。3月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[20]。シーズンでは傘下のAAA級シャーロット・ナイツで96試合に出場して打率.286、10本塁打、70打点の成績を残していたが、球団に契約を破棄するよう申し出て、8月2日にFAとなった[21]。
ヤクルト時代
2019年10月30日に東京ヤクルトスワローズと契約を結んだ[22]。背番号は2で、推定年俸は80万ドル(約8800万円)プラス出来高[22]。
2020年はMLBでゴールドグラブ賞を受賞した高い守備力を期待され、開幕戦から遊撃手のレギュラーとして起用された。守備面では持ち前の強肩を活かした派手なプレーを見せることもあったが、守備範囲の狭さを露呈した。守備指標の1つでDELTA社の算出するUZRでは12球団の遊撃手として最下位の数値を記録し、シーズン終盤には三塁手でも起用見された。打撃面では最終規定打席に到達し、打率.273、1本塁打、30打点だった。11月23日に自由契約選手として公示された[23]。
ロイヤルズ傘下時代
2021年5月5日にロイヤルズとマイナー契約を結んだ[24]。加入後は傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズでプレーし、35試合に出場して打率.274、5本塁打、16打点、2盗塁を記録した。
ナショナルズ時代
2021年7月2日にトレードでワシントン・ナショナルズへ移籍し、7月3日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[25]。同日のロサンゼルス・ドジャース戦にて「7番・遊撃手」で先発出場し、7回裏の第3打席でMLBでは3年ぶりとなる安打を放った。75試合の出場でオフの10月5日にナショナルズと1年100万ドルで再契約した[26]。
メキシカンリーグ時代
2023年3月1日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約した[27]。
同年7月に、モンクローバ・スティーラーズに移籍した[28]。
翌年の2月16日に、キンタナロー・タイガースへ移籍した[29]。
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選手としての特徴
打撃スタイルは、コンタクトヒッターで、俊足を生かすことに徹している[30][31][32]。広い守備範囲と強肩の持ち主であり、遊撃手を本職に高度かつ華麗なプレーを見せる[33]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2022年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 2022年度シーズン終了時
- 太字年はゴールドグラブ賞受賞
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2007年)
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:1回(2015年)
- NPB初記録
表彰
- MLB
- ゴールドグラブ賞(遊撃手部門):1回(2015年)
- リーグチャンピオンシップシリーズ最優秀選手賞:1回(2015年)
背番号
- 21(2008年 - 2010年)
- 2(2011年 - 2018年、2020年)
- 3(2021年 - )
登場曲
- 「CÓMO SE SIENTE (Remix)」Jhay Cortez x Bad Bunny | Las Que No Iban A Salir(2020年〈奇数打席〉)
- 「Gistro Amarillo」Ozuna x Wisin(2020年〈偶数打席〉)
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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