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クレイグ・カウンセル
アメリカの野球選手、監督 (1970 - ) ウィキペディアから
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クレイグ・ジョン・カウンセル(Craig John Counsell, 1970年8月21日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州サウスベンドで生まれ、ウィスコンシン州ホワイトフィッシュベイで育った元プロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は、MLBのシカゴ・カブスの監督。愛称はザ・チキン[1]。また、彼の父親もブルワーズの球団職員をしている。
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経歴
プロ入りとロッキーズ時代
ノートルダム大学から1992年のMLBドラフトでコロラド・ロッキーズから11巡目(全体319位)指名され入団。1995年にメジャーデビューした。
マーリンズ時代
1997年7月27日、マーク・ハットンとのトレードでフロリダ・マーリンズに移籍。そこでは準レギュラー格の選手としてプレーしていたが、完全にポジションを奪取するには至らなかった。
ドジャース時代
1999年7月15日にライアン・モスコウとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。移籍後、正二塁手はエリック・ヤングが務めていたため、主に内野(二塁手および遊撃手)の控えとしてプレー。
ダイヤモンドバックス時代
2000年3月17日にドジャースを解雇され、FAとなる。同年3月20日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。
チームが世界一に輝いた2001年には、リーグチャンピオンシップシリーズでMVPを受賞した。
ブルワーズ時代
2003年12月1日にリッチー・セクソン、シェーン・ナンス、後日発表選手とのトレードでクリス・カプアーノ、チャド・モーラー、ライル・オーバーベイ、ホルヘ・デラロサ、ジュニア・スパイビーと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[2]。 2004年10月29日にFAとなる。
ダイヤモンドバックス復帰
2004年12月21日に古巣のダイヤモンドバックスへ復帰。
ブルワーズ復帰

(2009年5月27日)
2006年11月29日に2年契約で古巣のブルワーズに復帰。
現役最後となった2011年には、連続無安打記録をあわや102年ぶりに更新するところだった[3]。
2012年1月に引退を表明。その後はブルワーズのフロントで編成や育成部門を担当した。
2015年5月4日、成績不振で解任されたロン・レニキーの後任としてブルワーズの監督に就任した[4][5]。
2018年はチームを7年ぶりの地区優勝・リーグ優勝決定戦に導いたがリーグ優勝決定シリーズでロサンゼルス・ドジャースに3勝4敗で敗れてしまった。
カブス監督時代
2023年11月6日、解任されたデビット・ロスの後任としてシカゴ・カブスの監督に就任した。年俸は現役の監督では最高額となる5年4000万ドルである。
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プレースタイル
ポジションは二塁手、遊撃手が殆どだが、内野ならどこでも守れるため、晩年までスーパーサブとしての色合いが強かった。
バッティングの際、バッティンググラブを着用しない選手でもある。選球眼がよく、ボールを選ぶので、出塁率が打率の割に高い。また、フォームもトルネードを思わせるような独特のものだった。
ダイヤモンドバックスに移籍してからは出場機会が増え、その後、ダイヤモンドバックスとブルワーズを行き来しながら、出場機会を得ていた。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ナショナルリーグ・リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(2001年)
背番号
- 4(1995年、1997年 - 同年途中、2000年 - 2003年、2006年)
- 30(1997年途中 - 1999年、2004年、2007年 - 2011年、2015年 - )
年度別監督成績
- 2024年度シーズン終了時
- 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)
- 太字年は最優秀監督賞受賞年
- WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム
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脚注
関連項目
外部リンク
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