トップQs
タイムライン
チャット
視点

アンライバルド

日本の競走馬・種牡馬 ウィキペディアから

アンライバルド
Remove ads

アンライバルド(欧字名:Unrivaled2006年4月13日 - 2025年5月9日)は、日本競走馬種牡馬[1]

概要 アンライバルド, 欧字表記 ...

主な勝ち鞍は2009年皐月賞JpnI)、スプリングステークスJpnII)。半兄に、1996年の東京優駿(日本ダービー)を優勝したフサイチコンコルド(父:カーリアン)などがいる。

Remove ads

経歴

要約
視点

デビューまで

母のバレークイーンは、アイルランド産の繁殖牝馬である[5]。日本に輸入された際に受胎していたカーリアンの仔は、出産後フサイチコンコルドの名でデビューし、1996年の日本ダービーを制した[6]。その後はグレースアドマイヤミラクルアドマイヤボーンキングなどを産んでいる[7]

12番仔を生産した2005年、初めてネオユニヴァースと交配され[7]、2006年4月13日、北海道安平町ノーザンファームにて、13番仔となる鹿毛牡馬(後のアンライバルド)を産んだ[1]。その仔は、ノーザンファーム厩舎長の横手裕二によれば、兄フサイチコンコルドより、父のネオユニヴァース似であるとしており、瞬発力についての評価が高かった[8]。しかし、気性面に難があるため、育成騎乗スタッフが乗るのを嫌がるほどであった[8]。また、毎日通るはずの出入り口でも前進を嫌がるなど、怖がりな性格だった[8]

クラブ法人サンデーレーシングが所有。愛馬会法人サンデーサラブレッドクラブでは当初総額4800万円で募集される予定だったが、成長するにつれてノーザンファーム場長の秋田博章が「バレークイーンの仔としては(フサイチ)コンコルド以来の傑作[8]」と考えるようになり、結局総額6000万円で会員募集がなされた[8]。また仔には、「匹敵するもののない、無比の」を意味する「アンライバルド」という競走馬名が与えられた[2]

アンライバルドは、1歳上の兄であるアンダルーサとともに栗東トレーニングセンター友道康夫厩舎での管理が決定した[9]。友道は、松田国英厩舎所属の調教助手時代に兄のボーンキング(バレークイーンの6番仔)、ピタゴラス(同7番仔)、ボレロ(同8番仔)に騎乗した経験があった[9][10]。入厩前の2歳夏、札幌競馬場でゲート試験を合格した[10]

競走馬時代

2008年10月26日、京都競馬場新馬戦(芝1800メートル)に、岩田康誠が騎乗し3番人気で出走。4番手から直線で抜け出して、リーチザクラウンブエナビスタスリーロールスエーシンビートロンに1馬身以上の差をつけ、初勝利とした[11]。続く、11月29日の京都2歳ステークス(OP)では、岩田が落馬負傷のため川田将雅に乗り替わり出走し、3着に敗れた[12]。2009年1月24日の若駒ステークス(OP)では、後方に3馬身半差をつけて、2勝目を挙げた[13]

3月22日、皐月賞トライアル競走であるスプリングステークスJpnII)に単勝オッズ2.3倍の1番人気で出走[14]。中団待機から、直線で先に抜け出していたレッドスパーダをかわし、半馬身差をつけて勝利、重賞初制覇となった。父が2003年に勝利していることから、父仔制覇を成し遂げた[15][16]

4月19日、優先出走権を行使して皐月賞JpnI)に出走。戦前は弥生賞JpnII)優勝のロジユニヴァースきさらぎ賞JpnIII)優勝のリーチザクラウンとともに人気を分け合い「三強」と呼ばれた[17][18]。三強はともに単勝オッズ一桁台であり、ロジユニヴァースがオッズ1.7倍の1番人気、リーチザクラウンが5.3倍の2番人気。アンライバルドは6.1倍の3番人気に推された[19]

概要 映像外部リンク ...

8枠16番から発走して、三強の2頭を前に見る中団に待機[20]。ハイペースとなる中、最終コーナーで大外を回って、まくりを実行[20][18]。直線コースに進入してまもなく先頭を奪取し、後方との差を広げた[17]。有力視された他の2頭は失速する中、追い込んだトライアンフマーチセイウンワンダーが迫ってくるも、それらに1馬身半差をつけて入線した[18]JpnI初勝利となり、父ネオユニヴァースにとって初の産駒GI級勝利、父は2003年に勝利していることから、史上6頭目となる父仔制覇を成し遂げた[21]

5月31日、クラシック二冠目の日本ダービーに出走、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された[22]。当日は午後から雨が降り、ダイシンボルガードが制した1969年以来40年ぶりとなる不良馬場の中、発走[23]。後方待機から直線での追い上げに懸けたが、全く伸びず12着に敗れた[24]。岩田、友道は共に敗因を馬場に求めた[24]。友道は、この日、悔しさから酒に頼ったという[25]。夏休みを経て、9月27日の神戸新聞杯JpnII)に1番人気で出走するも、折り合いを欠いて直線で伸びず4着[26][27]。続く菊花賞JpnI)では、スタート直後に躓き15着に敗れた[28]

宮城県山元町山元トレーニングセンターでの休養を挟んで、12月27日の有馬記念GI)に参戦[29]。当初は岩田から乗り替わり、クリストフ・スミヨンが騎乗する予定だったが[29][30]、スミヨンが騎乗停止処分を受けたため、結局ミルコ・デムーロとともに出走[31]中団待機から全く伸びず、最下位の15着に敗れた[注釈 2]。その後、左前脚浅屈腱炎を発症していることが判明[34]。社台ホースクリニックにて幹細胞移植手術を受け、戦線を離脱した[35]

有馬記念から1年5か月後の2011年5月28日、金鯱賞GII)で復帰し5着[36][37]。続いて9月25日のオールカマーGII)へ出走を目標に、ノーザンファームしがらきで調整中だったが、再び左前脚屈腱炎が判明[38][39]。競走馬引退が決定し、8月18日に日本中央競馬会の競走馬登録を抹消した[2][40]

種牡馬時代

競走馬引退後は、北海道日高町ブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬となった[40][41]。2015年から産駒がデビューし、6月の新馬戦でトウショウドラフタが勝利して産駒初勝利[42]。また同馬が、2016年のファルコンステークスGIII)も勝利し、産駒重賞初勝利となった[43]。そのほか、バルダッサーレは、2016年の東京ダービーを勝利した[44]。2018年から、北海道浦河町イーストスタッドに移動[45]。2020年には再び、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションに戻った[46]

2025年5月9日、手入れを行うために洗い場に移動した際、脚を滑らせて転倒。右後脚骨折により予後不良の診断が下され、安楽死措置が取られた。19歳没[47]

Remove ads

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[48]およびJBISサーチ[49]の情報に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
Remove ads

種牡馬成績

主な産駒

血統表

アンライバルド血統(血統表の出典)[§ 1]
父系サンデーサイレンス系/ヘイロー系
[§ 2]

ネオユニヴァース
2000 鹿毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
*ポインテッドパス
Pointed Pass
1984 栗毛
Kris Sharpen Up
Doubly Sure
Silken Way Shantung
Boulevard

*バレークイーン
Ballet Queen
1988 鹿毛
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
母の母
Sun Princess
1980 鹿毛
*イングリッシュプリンス Petingo
English Miss
Sunny Valley Val de Loir
Sunland
母系(F-No.) (FN:1-l) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason 4×5、Almahmoud5×5 [§ 4]
出典
Remove ads

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads