トップQs
タイムライン
チャット
視点
アーニー・ヤング
ウィキペディアから
Remove ads
エルネスト・ウェスリー・ヤング(Ernest Wesley "Ernie" Young、1969年7月8日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。
Remove ads
経歴
現役時代
1990年のドラフト10巡目(全体289位)でオークランド・アスレチックスに入団。1994年にメジャー初昇格。
1996年は141試合に出場し19本塁打を放つ活躍を見せた。中でも5月10日の対ミネソタ・ツインズ戦では1試合3本塁打の離れ業だった。
2000年のシドニーオリンピックでは野球アメリカ合衆国代表としてロイ・オズワルトらと共に出場し、金メダルを獲得した。代表の4番打者として、チームの金メダル獲得に貢献した。対日本戦では松坂大輔からヒットを放っている。
アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下の3Aツーソン・サイドワインダーズに在籍中の2002年シーズン途中、新外国人マイク・グランの不振もあり、得点力不足に悩まされ最下位に沈んでいた横浜ベイスターズに入団。6月7日の対ヤクルトスワローズ戦でいきなり4番・センターとして登場し、第3打席でケビン・ホッジスから初本塁打という衝撃のデビューを飾った。その後も巨体を生かしたパワフルな打撃ぶりを見せたが、打率は1割台と安定感を欠き、シーズン途中でウェーバー公示された。
横浜退団後は2007年までほぼマイナーリーグでプレー。マイナー通算1516試合出場、打率.283(5359打数1516安打)、298本塁打、1042打点。
現役引退後
2008年から2013年まで、シカゴ・ホワイトソックスとデトロイト・タイガース傘下のマイナー球団の指導者を務めた。
2015年6月30日に、2015年パンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表打撃コーチを務めることが発表された[1]。同大会では決勝のカナダ戦でサヨナラ負けし[2]、準優勝だった。10月21日には、第1回WBSCプレミア12のアメリカ合衆国代表打撃コーチを務めることが発表された[3]。
その後も、2019年の第2回WBSCプレミア12[4]、2021年の東京オリンピック[5]のアメリカ合衆国代表チームのコーチを歴任している。
Remove ads
選手としての特徴
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 9(1994年 - 1995年)
- 11(1996年 - 1997年)
- 12(1998年)
- 47(1999年)
- 25(2002年)
- 30(2003年)
- 36(2004年)
代表歴
コーチ歴
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads