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カール・エドワーズ・ジュニア
アメリカの野球選手 (1991 - ) ウィキペディアから
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カール・フレミング・エドワーズ(Carl Fleming Edwards, 1991年9月3日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州ニューベリー郡ニューベリー出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのロサンゼルス・エンゼルス傘下所属。愛称は、名前が似ているためカールス・ジュニア[1]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレンジャーズ傘下時代
2011年のMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから48巡目(全体1464位)指名され、8月15日に契約。
2012年、傘下のルーキー級アリゾナリーグ・レンジャーズでプロデビュー。4試合の登板で3勝0敗、防御率0.00、奪三振と好投し、7月にA-級スポケーン・インディアンスへ昇格。A-級スポケーンでは10試合に先発登板して2勝3敗、防御率2.11、60奪三振を記録した。
2013年はA級ヒッコリー・クロウダッズで開幕を迎え、18試合に先発登板。8勝2敗、防御率1.83、122奪三振を記録した。
カブス時代

(2017年7月16日)
2013年7月22日にマット・ガーザとのトレードで、マイク・オルト、ジャスティン・グリム、後日発表選手[2]と共にシカゴ・カブスへ移籍した[3]。移籍後は傘下のA+級デイトナ・カブスでプレーし、6試合に先発登板して防御率1.96、33奪三振を記録した。9月12日にはベースボール・アメリカが選ぶマイナーリーグ・オールスターチームに選出され[4]、10月に行われたMiLBYアワーズでは、MiLBのスタッフが選ぶ最優秀先発に選出された[5]。
2014年はAA級テネシー・スモーキーズでプレーし、10試合に先発登板して1勝2敗、防御率2.44、46奪三振を記録した。オフの11月20日にカブスとメジャー契約を結び[6]、40人枠入りした。
2015年9月7日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー[7]。この年メジャーでは5試合にリリーフ登板し、防御率3.86、WHIP1.29という成績を記録した[8]。マイナーでは、AA級テネシーとAAA級アイオワ・カブスの2チームで計36試合にリリーフで投げ、5勝3敗6セーブ、防御率3.74、WHIP1.21という内容だった。また、計55.1イニングで41四球を出す荒れ球っぷりだったが、一方で三振を75個奪って奪三振率12.2という高率をマークした。
2016年は一定期間メジャーで機会を得て36試合にリリーフ登板し、0勝1敗2セーブ、防御率3.75、WHIP0.81という安定したピッチングを見せた[8]。持ち前の三振奪取能力では、36.0イニングで52個の三振を奪い、奪三振率13.0というハイレベルな数値をマークした[8]。また、制球難も改善して与四球率は3.5だった[8]。なお、マイナーのAAA級アイオワでは24試合に登板して1勝1敗1セーブ、防御率4.26、WHIP1.34、奪三振率12.4を記録した。
パドレス時代
2019年7月31日にブラッド・ウィックとのトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍した[9]。オフの11月4日にマイナー契約で傘下のAAA級エル・パソ・チワワズへ配属され、同日中にフリーエージェント(FA)となった[10]。
マリナーズ時代
2019年12月4日にシアトル・マリナーズと1年95万ドル(出来高あり)で契約を結んだ[11]。
ブレーブス時代
2021年2月2日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[8]。3月25日に自ら選んで契約を途中で放棄する「オプトアウト」を行使して一旦FAとなる[13]が、31日に改めてマイナー契約を結び直した[14]。シーズンでは5月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[15]。早速同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で登板するも0.1イニングで3失点を喫し、翌日の5月8日にDFAとなり[16]、10日にFAとなった[17]。
ブルージェイズ時代
2021年5月14日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズへ配属された[18]。5月30日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[19]。8月29日に自由契約となった[20]。
ホワイトソックス傘下時代
2021年8月31日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ配属された[8]。
ナショナルズ時代
2022年3月8日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[8]。3月9日に傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ配属された[8]。3月14日にスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[21]。この年は、近年の故障や不振から復活して、57試合に登板し、6勝3敗2セーブ、防御率2.76、WHIP1.23を記録した[22]。
2023年は開幕から32試合に救援登板していたが、6月21日に右肩の炎症により故障者リスト入りした。8月15日にルーキー級で実戦登板を再開するも、8月23日に右肩甲骨の疲労骨折を負い、以降はリハビリのためシーズン終了となった[23]。オフの11月3日にFAとなった[24]。
パドレス時代
2024年7月4日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[8]。8月8日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。しかし昇格後最初の登板で1安打2四球を与え、1死も取れずに降板。8月12日にDFAとなり[25]、8月14日にFAとなった[26]。8月19日に新たなマイナー契約でパドレスと再契約したが[27]、シーズン終了後に再びFAとなった[8]。
エンゼルス傘下時代
2025年3月11日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)のキンタナロー・タイガースと契約を結んだが[28]、3月21日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[8]。
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投球スタイル
救援投手として、最速98.1mph(約158km/h)・平均95mph(約153km/h)のノビのあるフォーシームと、平均80mph(約129km/h)のカーブの二球種を主に使用し、稀に90mph(約145km/h)程度のチェンジアップを使う。2016年のフォーシームのスピン量は2,659rpmとなっており、メジャーでもトップクラスの数値となっている[29]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
- 「-」は記録なし
ポストシーズン投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2023年度シーズン終了時
背番号
- 6(2015年 - 2019年7月30日)
- 12(2019年8月11日 - 同年終了)
- 16(2020年)
- 56(2021年 - 同年5月7日)
- 43(2021年6月2日 - 同年8月28日)
- 58 (2022年 - 2023年)
- 52(2024年)
脚注
関連項目
外部リンク
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