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クリス・デノーフィア
イタリア系アメリカ人の野球選手 (1980 - ) ウィキペディアから
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クリストファー・アンソニー・デノーフィア(Christopher Anthony Denorfia, 1980年7月15日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード郡ブリストル出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。2020年シーズンよりMLBのコロラド・ロッキーズ傘下のAA級ハートフォード・ヤードゴーツで監督を務める。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレッズ時代
2002年のMLBドラフト19巡目(全体555位)でシンシナティ・レッズから指名を受け、6月8日に契約。この年は傘下のマイナー3球団(ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッズ、A級デイトン・ドラゴンズ、AA級チャタヌーガ・ルックアウツ)でプレーし、計63試合に出場した。
2003年は、A+級ポトマック・キャノンズで128試合に出場。
2004年はA+級ポトマックとAA級チャタヌーガの2球団合計で136試合に出場し、シーズン終了後ベスト・アウトフィールド・アームに挙げられるなど[1]、マイナーにおいて着実にキャリアを積み重ねる。
2005年、AA級チャタヌーガとAAA級ルイビル・バッツの2球団合計で137試合、打率.317、出塁率.391、OPS.917、12盗塁と言うハイレベルな数字を叩き出し、レッズのマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝く。9月7日、ミルウォーキー・ブルワーズ戦においてメジャーデビューを果たす。三回の裏、代打として登場し、空振り三振に倒れたが、9日のピッツバーグ・パイレーツ戦では初安打を本塁打で飾っている。また、オフにはアリゾナフォール・リーグのオールプロスペクト・チームに選ばれ[2]、シーズン終了後チーム内の有望株リストで5位にランクされた他、ベスト・ストライクゾーン・ディシプリンにも選出された[3]。
2006年はメジャー昇格とマイナー降格を何度も繰り返したが、AAA級ルイビルで83試合、打率.349、出塁率.409、OPS.893、15盗塁をマークし、7月12日にインターナショナル・リーグのオールスターに出場すると[2]、8月29日以降はメジャー定着[4]。49試合に出場して経験を積んだ上、一番打者として起用された試合では打率.302、出塁率.373と結果を出した[5]。
アスレチックス時代
2007年4月27日に後日発表選手とのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍[6]。この年はトミー・ジョン手術の影響でシーズンを全休した。
2008年2月16日にアスレチックスと1年契約に合意。
2009年、第2回WBCイタリア代表に選出され3試合すべてに「5番・中堅手」として出場した。打率.400(10打数4安打)2打点を記録。シーズンではアスレチックスでプレーしたが、4試合の出場で2打数1得点1打点という結果しか残す事が出来なかった。しかし、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツでは107試合に出場して打率.271、9本塁打、49打点、15盗塁という成績を残している。オフの11月9日にFAとなった。
パドレス時代
2009年12月16日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。
2010年は傘下のAAA級ポートランド・ビーバーズで開幕を迎え、5月17日にパドレスとメジャー契約を結んだ[7]。この年は99試合に出場して打率.271、9本塁打、36打点、8盗塁を記録した。オフの12月1日にパドレスと80万ドルの1年契約に合意した[8][9]。
2011年は111試合に出場して打率.277、5本塁打、19打点、11盗塁を記録した。オフの12月12日にパドレスと1年契約に合意した[10]。
2012年は130試合に出場して打率.293、8本塁打、36打点、13盗塁を記録した。9月5日にパドレスと総額425万ドルの2年契約を結んだ[11][12]。

(2013年4月10日)
2013年1月18日に第3回WBCイタリア代表に選ばれた。シーズンでは144試合に出場して打率.279、10本塁打、47打点、11盗塁を記録した。
2014年は89試合に出場して打率.242、1本塁打、16打点、8盗塁を記録した。
マリナーズ時代
2014年7月31日にエイブラハム・アルモンテ、スティーブン・コールシェーンとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[13]。移籍後は32試合に出場して打率.195、2本塁打、5打点、1盗塁を記録した。オフの10月30日にFAとなった。
カブス時代
2015年1月9日にシカゴ・カブスと260万ドル+出来高[14]の1年契約を結んだ[15][16]。この年は103試合に出場して打率.269、3本塁打、18打点を記録した。オフの11月2日にFAとなった[17]。
ジャイアンツ傘下時代
2016年3月2日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加した[18]が、27日に自由契約となった。
その後、6月10日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級サクラメント[19]でプレーし、36試合に出場して打率.255、4本塁打、15打点、2盗塁を記録した。8月15日に自由契約となった[20]。
ロッキーズ傘下時代
2017年1月13日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。開幕から傘下のAAA級アルバカーキ・アイソトープスでプレーしていたが、6月1日に自由契約となった[20]。この年が現役最後のシーズンとなった。
引退後
2018年よりカブスのフロント入りした。2019年には同球団のクオリティ・コントロールコーチに就任する[21]も、1年で退任した。
2020年シーズンからはロッキーズ傘下のAA級ハートフォード・ヤードゴーツで監督を務める[22]。
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プレースタイル
選球眼が鋭く、コンタクトの上手さとパワーも兼ね備えている。スピードがあり、守備範囲が広く、強肩でもある[4][23][24]。バランス良くまとまってはいるが、逆に言うと器用貧乏であり、突出した武器が無いと指摘する声もある[4]。
マイナー5年間の通算成績は、打率.296、出塁率.377、OPS.818。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
- 投手守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 19(2005年、2008年 - 2009年)
- 27(2006年)
- 13(2010年 - 2014年途中)
- 28(2014年途中 - 同年終了)
- 15(2015年)
- 76(2019年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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