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トニー・グウィン
アメリカ合衆国の野球選手 (1960-2014) ウィキペディアから
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アンソニー・キース・グウィン(Anthony Keith Gwynn, 1960年5月9日 - 2014年6月16日[1])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手(外野手)。サンディエゴ・パドレスのフランチャイズ・プレーヤーであった。
「Mr. Padre(ミスター・パドレ)」、「Captain Video(キャプテン・ビデオ)」と呼ばれた。
弟のクリス・グウィンも元メジャーリーガーで1996年にはサンディエゴ・パドレスで一緒にプレーした。息子のトニー・グウィン・ジュニアもメジャーリーガーとなった[2]。
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経歴
要約
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プロ入り前
カリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれ育つ。サンディエゴ州立大学時代には野球よりもバスケットボールでスター選手として名を馳せた。
現役時代
1981年のNBAドラフトでNBAのロサンゼルス・クリッパーズから10巡目指名を受けたが、同日に行われた1981年のMLBドラフト3巡目(全体58位)で指名されたMLBのサンディエゴ・パドレスと契約し、野球の道を選ぶ。
1982年にメジャー昇格を果たし、54試合に出場して打率.289を記録する(打率3割を切ったのはキャリアを通じてこの年だけである)。
1984年にはオールスター初出場を果たし、打率.351で初の首位打者のタイトルを獲得。213安打を放ち、球団史上初の200安打も達成した[3]。ハイアベレージとスピードを持った1番打者として鳴らした。
1987年にはリーグ1位の打率.370、リーグ2位の56盗塁という成績を残した。
1993年以降は中軸を務めることが増えた。
1994年にテッド・ウィリアムズに指摘され、長打重視も視野に入れた打撃改造を行う。同年は4割打者にあと一歩まで近づくが、8月に選手会による232日間に及ぶ長期ストライキに突入したためシーズンは打ち切られ、打率は.394で終わることとなった[4]。
1996年には打率.353を記録したが、規定打席には4打席足りなかった。しかし、残り4打席を凡打と計算しても打率.349となり、エリス・バークス(コロラド・ロッキーズ)の打率.344を上回ったため、MLB史上初の規定打席不足での首位打者となった。
1997年は打率.372で4年連続で首位打者となった。これはナ・リーグ史上ロジャース・ホーンスビーの6年連続に次ぐものとなった。また、自己最高の17本塁打、119打点、球団新記録となる220安打、49二塁打を記録。グウィンは「私は今、打者として全盛期にある」と豪語し、「40歳になるまで、あと3年は現役を続ける」と宣言した[5]。
1999年8月6日に史上22人目となる3000本安打を達成。2284試合目での達成はタイ・カッブ、ナップ・ラジョイに次ぐスピード記録であった[6][3]。

2001年のシーズンを最後に、通算打率.338、通算3141安打の記録を残して現役引退[7]。1983年から引退する2001年まで、レギュラーシーズンの打率が3割を切ることは一度もなかった。オールスター出場15回、首位打者8回などの記録も残した。
引退後

サンディエゴ・パドレスの永久欠番に2004年指定。
2004年にグウィンの背番号 『19』がサンディエゴ・パドレスで永久欠番に指定された。
2007年に野球殿堂入りの資格を得て、532票(97.6%)もの高得票を集め、1年目での殿堂入りを果たした。アメリカ合衆国のスポーツ専門テレビ局ESPNの解説者を務めるかたわら、母校のサンディエゴ州立大学野球部の監督を兼任し、後進の指導にあたっていた。また、同大学の野球場はグウィンの功績を称え「トニー・グウィン・スタジアム」と名付けられている。
2010年10月9日、唾液腺癌に罹患していることを告白した。グウィンは「長年愛用していた噛みたばこが影響しているかもしれない」と語っている[8]。
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選手としての特徴
要約
視点
打撃
甘いボールを逃さない好球必打の打者。悪球でもゾーンによっては打ちにいき、安打にする技術を持っていたが、基本的には悪球には手を出さなかった。甘い球を見逃すことが少なく、早いカウントで打ちに行くことが多々あったため、四球は少ない。また、引退するまで毎年高打率を記録するとともに、ほとんど三振を喫しなかった選手としても知られる。打数/三振比率はMLB1位を8度(ナ・リーグ1位を10度)記録し、通算の打数/三振比率21.4という数字は打撃スタイルを比較されるイチロー(約10)と比べても倍以上高い。
打者に不利な球場であるクァルコム・スタジアムを本拠地とし、好成績を残し続けた。8度の首位打者(1984年、1987年、1988年、1989年、1994年、1995年、1996年、1997年)を獲得しており、MLB史上歴代2位の記録(1位はタイ・カッブによる12回)である。本塁打が少ない打者だったにもかかわらず、現役時代は相手投手から同時期に活躍していたケン・グリフィー・ジュニアやバリー・ボンズと同列に語られることが多かった。グレッグ・マダックスはボンズと同列でグウィンの名前を挙げ、「真のバッターだ。彼から三振を取るのは難しかった」と述べている。
三遊間をゴロで抜くことを「5.5の穴」(三塁の守備番号である5と遊撃の守備番号である6の間)と呼んで好むなど、広角に打つことを得意とした。グウィンは自身の望む理想の打球について「左中間へ飛んだ打球にかすかなフェードがかかり、センターが追いかけても、追いかけてもボールに追いつけない。そういう打球が好き」と語っている[10]。また、基本を大事にする選手で、球界でも指折りの研究熱心さで知られ、自宅のビデオコレクションの多さから「キャプテン・ビデオ」という愛称で呼ばれた。理論派であり、ビデオルームを造ることなどに大金を費やした。ビデオルームには約700人の投手の映像が揃っており、自分のスイングや捕手・審判がどこに立っているのかもチェックしていたという[10]。
現役時代は好打者であるウェイド・ボッグスと比較されることが多く、当人たちも互いに実力を認めていた。両者は1日違いで通算3000本安打を達成している。
守備・走塁
キャリア前半は俊足・強肩・好守のリードオフマンとして鳴らした。1986年から1991年の6年間では、5回のゴールドグラブ賞を獲得。主に右翼手を守り、1989年には中堅手も務めた。しかし、キャリアを通して足や手首の故障に悩まされることも多かった。
キャリア後半の1993年以降は中軸を任されるようになり、打撃においては本塁打や長打が増えていった反面、怪我の影響などから歳とともに太っていき、守備・走塁面は著しく衰えていった。特に1998年以降はキャリア前半の面影は完全になくなっていたが、巧打は最後まで衰えなかった。
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人物
現役時代の20年間を一貫してパドレスで過ごした。現在のMLBでは数少ないフランチャイズ・プレイヤー(生え抜き選手)の一人であり、特に地元では絶大な人気を誇った。パドレスは資金力がなく、90年代後半は若手育成を中心としたチーム作りになったが、野球殿堂入りが確実だったグウィンは別格だったと言われている。基本的に契約更改では残留方針だったグウィンが、3000本安打を達成した1999年オフの契約更改では「それなりの条件でなければ最後はア・リーグでDHをやってもいい」と発言。球団は粘りの交渉の末、翌2000年のスプリングキャンプ中に無事2年の契約延長でグウィンの引き留めに成功したという。
現役時代から人格者として知られ、ファンサービスを非常に大事にしていた。社会奉仕にも熱心で、1994年には「トニー&アリシア・グウィン基金」を設立し、以降も様々な慈善活動に取り組んでいた。その活動の中でもメイン活動として「チャリティ・セレブレティ・ゴルフ」大会を開催している。1999年には社会やファンへの貢献が評価され、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。
2003年4月に「野手の50%は使用している。いずれ大きな問題となるだろう」と興奮剤アンフェタミンの危険性を主張した。これに対して、当時アトランタ・ブレーブスに所属していたトム・グラビンは「無神経だ。それほど深刻なら、なぜ現役時代に黙っていた?」と非難している。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
タイトル
- 首位打者:8回(1984年、1987年 - 1989年、1994年 - 1997年)
表彰
- シルバースラッガー賞(外野手部門):7回(1984年、1986年、1987年、1989年、1994年、1995年、1997年)
- ゴールドグラブ賞(外野手部門):5回(1986年、1987年、1989年 - 1991年)
- ブランチ・リッキー賞:1回(1995年)
- ルー・ゲーリッグ賞:1回(1998年)
- ロベルト・クレメンテ賞:1回(1999年)
- DHLホームタウン・ヒーローズ選出(2006年)
- フランチャイズ・フォー選出(2015年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:15回(1984年 - 1987年、1989年 - 1999年)
背番号
- 19(1982年 - 2001年)※サンディエゴ・パドレスの永久欠番
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脚注
関連項目
外部リンク
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