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マーク・ロウ

アメリカの野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから

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マーク・クリストファー・ロウMark Christopher Lowe, 1983年6月7日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手投手)。右投左打。2019年現在は、独立リーグ・アトランティックリーグシュガーランド・スキーターズに所属。

概要 シュガーランド・スキーターズ, 基本情報 ...
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経歴

要約
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プロ入りとマリナーズ時代

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シアトル・マリナーズ時代
(2008年4月6日)

2004年MLBドラフト5巡目(全体153位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。

2006年7月7日デトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たし、メジャーデビューから1723回を無失点に抑えるというチーム記録を作った。7月19日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初勝利を挙げた。8月に右肘の腱炎で故障者リストに入り、残りのシーズンは投げられなかった[2] 。関節鏡視下手術で患部を治療し、2007年スプリングトレーニングで復帰した。

2008年は開幕から最初の13試合で12試合で無失点に抑えるなど、開幕から好調を維持した。特に5月31日から6月13日の間で1613回を投げ、許した失点は1点のみで、その間の防御率は0.55を記録した。最終的に57試合に登板し、6323回を投げ、55個の三振を奪った。これはマリナーズのリリーフ陣の中で2位(登板数)、3位(イニング数)、3位(奪三振数)となった。ホームで投げた試合では、防御率は3.03を記録し、これはアメリカンリーグのリリーフピッチャーで6番目に良い成績となった。

2009年は自己最多の75試合に登板し26ホールドを記録するなど、キャリアハイの成績を残した。

なお、2008年に糖尿病を発症。当初は2型糖尿病と診断されたが、2009年シーズン前に1型糖尿病に変更された。同じく糖尿病を抱えるブランドン・モローらと共に病気と闘いながら活躍している。

レンジャーズ時代

2010年7月9日ジャスティン・スモークブレイク・ベバンジョシュ・ルーキーマット・ローソンとのトレードで、クリフ・リーと共にテキサス・レンジャーズへと移籍した。9月29日の古巣・マリナーズ戦で怪我からの復帰登板を果たした[3]

2011年は52試合に登板し、チームのワールドシリーズ進出に貢献した。ワールドシリーズでも登板するも、6戦目にデビッド・フリースにサヨナラ本塁打を打たれ、敗戦投手となってしまった。

エンゼルス時代

2013年2月8日ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。メジャーでは11試合投げるもDFAとなった。

ナショナルズ傘下時代

2013年6月11日ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[4]。ナショナルズではメジャーに昇格することができなかった。

インディアンス時代

2013年11月20日タンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだが、2014年3月26日に自由契約となった。

その後、4月3日クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[5]。開幕後は傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで16試合に登板。1勝1敗8セーブ・防御率3.86の成績で、5月22日にインディアンスとメジャー契約を結んだ[6]。昇格後は4試合に登板したが、6月2日にAAA級コロンバスへ降格。6月16日に再昇格して3試合に登板したが、6月25日に再びAAA級コロンバスへ降格。7月8日にDFAとなり、12日に40人枠を外れる形でAAA級コロンバスへ配属された。その後はメジャーへ昇格することができず、シーズンを終えた。この年は7試合に登板し、0勝1敗・防御率3.86だった。オフの10月12日にFAとなった。

マリナーズ復帰

2014年12月18日に古巣のマリナーズとマイナー契約を結んだ[7]

2015年5月4日にメジャー契約となり、25人枠入りする。マリナーズでは34試合にリリーフ登板し、防御率1.00・36.0イニングで47の三振を奪うなど、驚異的なピッチングを見せた。

ブルージェイズ時代

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トロント・ブルージェイズ時代
(2015年8月8日)

2015年7月31日ロブ・ラスムッセンニック・ウェルズジェイコブ・ブレンツとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[8]。ブルージェイズ加入後は23試合に投げたが、防御率は1.00から3.79まで上昇し、奪三振率も低下するなど、移籍前のような圧巻の投球は見せられなかった。2球団通算の成績では、マリナーズ時代の好投が利いて防御率1.96・WHIP1.06・奪三振率10.0という好成績だった。同年11月2日にFAとなった[9]

タイガース時代

2015年12月8日、タイガースと2年契約を結んだ[10]

2016年、タイガースではリリーフで54試合・49.1イニングに投げたが、57安打12本塁打を浴び、防御率7.11・1勝3敗と大炎上に終わった。

2017年3月26日に自由契約となった[11]

タイガース退団後

2017年3月30日にマリナーズとマイナー契約を結んだと報道され[12]4月1日に正式契約した[13]7月21日に金銭トレードで、ジーン・マチーと共にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[14]。傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーしていたが、8月21日に自由契約となった[13]

2018年1月27日に、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、3月12日に自由契約となった[13]

2019年2月18日に独立リーグ・アトランティックリーグシュガーランド・スキーターズと契約。

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投球スタイル

最速101mphのフォーシームスライダーサークルチェンジを投げてきたが、2013年にツーシームを習得すると、サークルチェンジを止め、代わりにツーシームを使用するようになった。また、2014年からは、フォーシーム主体のピッチングではなく、スライダー主体のピッチングにスタイルチェンジしている。

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 2016年度シーズン終了時

背番号

  • 57 (2006年 - 2010年途中、2011年 - 2012年、2015年)
  • 49 (2010年途中 - 同年終了)
  • 38 (2013年)
  • 54 (2014年)
  • 21 (2016年)

脚注

関連項目

外部リンク

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