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中島裕希

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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中島 裕希(なかしま ゆうき、1984年6月16日 - )は、富山県高岡市出身のプロサッカー選手JリーグFC町田ゼルビア所属。ポジションはフォワードミッドフィールダー

概要 中島 裕希, 名前 ...

妻はタレントの丸居沙矢香

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来歴

鹿島アントラーズ

2003年に鹿島アントラーズに入団。当時の鹿島には柳沢敦鈴木隆行田代有三らFW陣の層が厚く、出場機会を得られなかった。

ベガルタ仙台

鹿島OBで親交があり、ベガルタ仙台手倉森誠コーチ(当時)からオファーを受け、2006年、仙台に期限付き移籍。仙台ではMFロペス、FW萬代宏樹、FW中原貴之とのコンビネーションで翌2007年にかけて71試合15ゴールの成績を残し、2008年から仙台に完全移籍。

2010年のJ1昇格直後こそスタメンを確保していたが、チームの得点力不足が深刻で自身も極端なスランプに陥り、後半にはFC東京から移籍してきた赤嶺真吾や好調のフェルナンジーニョ太田吉彰にポジションを奪われ、守備固めのフォーメーションのみの起用となって出場機会を失い、去就が注目されたが結局残留した。

2011年にも当初から守備固めとしての起用が多く、さらにルーキーの武藤雄樹の台頭や、この年移籍してきた柳沢の怪我からの復帰によりベンチ入りすらできない状況となってこの2年でわずか2ゴールという不本意な結果に終わった。

モンテディオ山形

2012年、監督の手倉森の薦めもあって弟のがヘッドコーチとして務める同じ東北のライバルチームであるモンテディオ山形へ期限付き移籍(仙台との複数年契約であったため)。

山形では、当初山崎雅人、再びチームメイトとなった萬代とのFW3人による3トップを形成。シーズン序盤から中盤に掛けての山形の快進撃を支えた。しかし中盤以降山崎、萬代が怪我で離脱するとC大阪から中途加入したブランキーニョとのコンビが合わず中島自身も不調に陥り、監督の奥野は苦肉の策として丁度ネックとなっていたサイドハーフに転向させた。

2013年からは山形へ完全移籍[1]

FC町田ゼルビア

2016年、J2に昇格したFC町田ゼルビアに完全移籍[2]。プロ入り14年目で、シーズン全42試合出場し、キャリアハイとなる14ゴールを挙げた。

2017年2月26日、第1節のジェフユナイテッド市原・千葉戦で史上29人目となるJ2通算300試合を達成した[3]。J2第7節アビスパ福岡戦で、87分からわずか8分間で3得点を記録し、キャリア初となるハットトリックを達成した。

2024年、第30節で初先発を掴みアシストを決めて勝利とチームの首位浮上に貢献した[4]。第33節にJ1で自身9年振りに得点した[5]

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略歴

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

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タイトル

クラブ

ベガルタ仙台
FC町田ゼルビア

脚注

関連項目

外部リンク

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