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吉原孝介

元プロ野球選手 ウィキペディアから

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吉原 孝介(よしはら こうすけ、1969年3月29日 - )は、岡山県岡山市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手捕手)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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選手として

岡山東商業高から社会人野球川崎製鉄水島を経て、1990年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから2位指名を受け、入団。

強肩、俊足と、ガッツ溢れるプレーで1年目の1991年シーズンは35試合に出場、スタメン2試合目には、初安打を初本塁打でマークし、猛打賞・初盗塁も記録し、守っても盗塁を刺すなど.375、1本塁打という幸先の良いスタートを切る[1]。その後、打撃が低迷するなどスタメン定着とはいかなかった。

1992年シーズンには正捕手の村田真一が故障したため、自身初の開幕スタメンを勝ち取り、開幕4試合目まで11打数5安打、打率.455と最高のスタートを切るも、この4試合目で左膝の靱帯を損傷[2]し、戦線を離脱する。しかし、自己最多の49試合に出場した(特に桑田との相性を買われ先発投手では最多10試合コンビを組んだ)がトレードで大久保博元が加入し、一軍には常時ベンチ入りするものの出場機会が恵まれずにいた。

1993年は、開幕から大久保と村田がマスクを被ることが多く、初スタメンは5月30日であったが、そこから6試合連続スタメンで20打数9安打、打率.450、1本塁打を記録するなど、最高のスタートを切り「打てる吉原」として報じられた[3]。この年は、ヤクルト戦の乱闘で退場処分を受ける。この年は、秋に左肩の手術を受けた[4]

1994年は、チームが5年ぶりに日本一になるも、一軍出場はなく、ジュニアオールスターに出場した[5]。翌年以降も毎年ある程度の試合数には出るものの3番手捕手扱いからの脱却はできなかった。

1998年シーズンは7月31日甲子園での阪神タイガース戦でバルビーノ・ガルベスが審判に向かい、ボールを投げ付ける事件に伴う乱闘の際、ガルベスの肘が顔に当たり、口中を切る傷を負った。

1999年シーズンは序盤に村田が左の頬骨を骨折したため、控えの捕手陣が総動員され、二軍に落ちていた吉原も一軍へ上がり、数試合先発出場することになった。球団側はベテラン捕手獲得を目指していたため、直後に同じ捕手である光山英和との交換トレードが発表され中日ドラゴンズへ移籍するが、当時の中日には中村武志、後にオリックスでも同僚となる鈴木郁洋といった捕手がいたため、3番手捕手にとどまった。

2001年シーズンには巨人時代の同僚・柳沢裕一[6]との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。主に日高剛三輪隆に次ぐ3番手捕手として起用された。

2004年シーズンは9月27日近鉄戦(ヤフーBBスタジアム)では途中からマスクを被り、両チームの最後の瞬間も守備に就いていた。また、ブルーウェーブ最後の打者となっている。

2005年シーズンは分配ドラフトを経てオリックス・バファローズと契約するが以降は近鉄との合併もあり、一軍に一度も呼ばれず、二軍生活が続いていたが豊富な経験を買われ、サーパス神戸ではバッテリーコーチ補佐を任された。

2006年10月5日戦力外通告を受け、同年のシーズン限りで現役を引退。

指導者として

引退後もオリックスに残り、二軍ブルペン兼育成コーチ(2007年 - 2008年)に就任。

2009年より二軍バッテリーコーチを務めた。

2010年4月8日から投手陣の低迷で二軍バッテリーコーチに降格となった三輪の後任として一軍バッテリーコーチに昇格[7]。同シーズン終了後本人の申し入れで退団[8]

2011年には古巣・巨人の二軍育成チーフコーチとして復帰。

2014年には一軍バッテリーコーチに転任するが、同年5月20日には打撃コーチの村田がバッテリーコーチを兼任することになり、吉原はブルペン担当を兼ねることになった。これについて原辰徳監督は「コーチそのものは全く変わっていない。チームが勝つためという中で、配置を変えたところがあるということ」と説明した[9]7月17日にはシーズン後半戦より育成コーチとして二軍で指導にあたることが発表されたが[10]8月1日には再度の配置転換で二軍バッテリーコーチに転任し[11]2015年まで務めた。

2016年から2017年にはスコアラーを務めた。

2018年から巨人の三軍バッテリーコーチとして、3年ぶりに現場復帰。

2019年退団。

2020年からは中日でプロスカウトの職務に就く。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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記録

背番号

  • 39(1991年 - 1999年途中)
  • 44(1999年途中 - 同年終了)
  • 00(2000年)
  • 32(2001年 - 2006年)
  • 72(2007年 - 2008年)
  • 73(2009年 - 2010年)
  • 84(2011年)
  • 106(2012年 - 2013年)
  • 86(2014年 - 2015年)
  • 102(2018年 - 2019年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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