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名金急行線
JR東海バス管轄のバス路線 ウィキペディアから
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名金急行線(めいきんきゅうこうせん)は、愛知県、岐阜県、富山県および石川県において日本国有鉄道およびその後継会社である西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスないし名古屋鉄道により運行され、またはされていた自動車路線である。昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」においては名金線(めいきんせん)の部に属した[1]。2025年(令和7年)4月1日時点では金沢駅 - 森本駅間を西日本ジェイアールバスが名金線の名称で運行している[2]。

概要
要約
視点
名金急行線の概要
名金急行線は、1966年(昭和41年)12月1日より名古屋駅 - 金沢駅間等において日本国有鉄道の自動車路線として開業した[3][4]。この名金急行線は、それまでの金白北本線及び金白南本線を統合し、美濃白鳥駅 - 名古屋駅間を延伸開業させて成立させたものであって[3][4]、総延長は266.4キロメートルに及び、当時の日本国有鉄道の自動車路線として最長のものであった[5]。金沢駅 - 名古屋駅間においては名古屋鉄道と共同運行をしていた[6]。また、名金急行線には名古屋駅 - 金沢駅間のほか、1986年(昭和61年)12月10日現在においては、金沢駅 - 北安江駅間、堅田町駅 - 千谷口駅間、鳴和駅 - 小二又駅間、森本駅 - 才田駅間、鳴瀬駅 - 中尾駅間、千の杉駅 - 桐山駅間、高田駅 - 山王町2丁目駅 - 東長江駅間、荒田町島駅 - 城端駅間、福光駅 - 東太美駅 - 城端駅間、上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光西町駅間、湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間の支線があった[7][8]。また、昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」において名金急行線と同じく名金線に属した路線には、太美山線、井波線、那留線、医王山線、白鷲線、石徹白南線があった[9]。
本路線の管轄は旧金白南線区間は中部地方自動車局美濃白鳥営業所、旧金白北本線区間は金沢自動車営業所が担当しており、前者は1933年(昭和8年)8月1日に名古屋鉄道局美濃白鳥自動車所、後者は1935年(昭和10年)10月3日に名古屋鉄道局森本自動車所として開設され、1936年(昭和11年)9月1日に美濃白鳥自動車区及び森本自動車自動車区となり、運輸通信省並びに運輸省から日本国有鉄道へと改組を経たのち、自動車事業の鉄道局からの分離に伴い、それぞれ中部地方自動車事務所美濃白鳥営業所及び森本自動車営業所となった[10][11]。その後、1956年(昭和31年)1月15日に森本自動車営業所は金沢駅前への移転により、金沢自動車営業所と改称している[12][13]。1968年(昭和43年)2月1日からは中部地方自動車事務所は、中部地方自動車局と改称された[14]。国鉄民営化にあたっては、1986年(昭和61年)12月20日に告示された日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画により、東海旅客鉄道は美濃白鳥自動車営業所、西日本旅客鉄道は金沢自動車営業所の管轄路線をそれぞれ承継することとなった[15]。
名金急行線開設の意義

中京経済圏の発展に伴う郡上・飛騨地方ならびに北陸地方との交流が年々増大する中にあって、これらの地方を直接的に結び付ける輸送機関がないという情勢に鑑み、同路線は沿線各地方の産業開発を促進するため、あるいは蛭ヶ野高原、白川郷、五箇山といった観光地に対する観光輸送を担う目的を以て開設された[5]。このような北陸地方と中京地方を結ぶ自動車路線は、戦前より求められていたものであって[16]、1947年(昭和22年)9月15日には東礪波郡城端町において行われた白城線期成促進大会において名古屋港と伏木港を結ぶ「中部日本横断の大動脈たる国鉄予定線白城線の実現を期す」ことが決議されている[17]。
金白線概要
この名金急行線の元となった路線の一つである金白北本線は、1935年(昭和10年)10月3日に金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始した金福線をその始まりとしている[18]。金福線は1939年(昭和14年)9月1日に福光駅にまで延伸され[19]、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業されると同時に金白北線と改称された[20][21]。同路線は北陸本線金沢駅・森本駅と城端線福光駅・城端駅を結ぶ鉄道先行路線[22]として、また城端から金白南線北濃駅・美濃白鳥駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有すると同時に、地方産業文化の発展助命をも目的として運行が行われていた[11]。また、1955年(昭和30年)10月28日には金白北本線と改称されている[23]。なお、同線の一部区間においては、加越能鉄道と普通及び回数乗車券の相互乗車の取扱を行っていた[11]。
名金急行線の元となったもう一つの路線である金白南本線は、1933年(昭和8年)8月1日に美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始した白城線をその濫觴としている[24][25]。白城線は1948年(昭和23年)3月16日に鳩ヶ谷駅にまで延伸され、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業すると同時に金白南線と改称された[20][21]。同路線は越美南線美濃白鳥駅・北濃駅と城端線城端駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有するほか、白川郷や五箇山を結ぶ観光輸送を担い、且つ地方産業文化の発展助命を目的として運行が行われていた[11]。また、1962年(昭和37年)10月15日には金白南本線と改称されている[26]。また、金沢駅 - 美濃白鳥駅間においては自動車の車体に郵便差出箱を取り付け、郵便物の速達を図っていた[11]。このような移動郵便差出箱の制度は、山間地域を走行する国鉄自動車において実施されていた制度であって、各自動車線の中間駅において旅客の乗降等のために停車する場合に利用者が郵便物を投函することが認められていた[27]。
名金急行線の衰退と現状
如上の各自動車路線においては旅客輸送を行うほか、貨物や荷物の輸送も行われていたが、1976年(昭和51年)9月30日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間において行われていた一般路線貨物自動車運送事業が廃止されると同時に貨物輸送はなくなり、1982年(昭和57年)4月1日に美濃白鳥駅における荷物取扱が廃止されると同時に名金急行線における荷物輸送はなくなった[28][29]。1979年(昭和54年)6月に鳩ヶ谷駅 - 福光駅間における国鉄バスの運行が休止になり、幾つかの支線が整理されるなど、旅客輸送も縮小を続けた[30][1]。それでも白川郷一帯をはじめとする沿線山間地域においては、貴重な公共交通機関であったという[31]。

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化と同時に日本国有鉄道(自動車線)の名金急行線は東海旅客鉄道及び西日本旅客鉄道に移管され[32][33][34]、続いて1988年(昭和63年)4月1日よりジェイアール東海バス及び西日本ジェイアールバスに継承された[35][36]。乗客の減少のため、1993年(平成5年)当時はジェイアール東海バスにおいては名古屋駅から大野郡白川村までを運行し、名古屋鉄道は夏から秋にかけての4か月に限り全線を運行していたという[37]。名古屋鉄道は名金線(五箇山号)の運行を2000年(平成12年)9月を以て取り止め[38]、ジェイアール東海バスは2002年(平成14年)10月1日をもって名金線を廃止した[39][40]。ジェイアール西日本バスも2022年(令和4年)7月1日に福光駅 - 不動寺間、2025年(令和7年)4月1日に不動寺 - 森本駅間を廃止している[41][42]。
旧名金急行線区間における各社並びに地方自治体等の乗合自動車線
かつて名金急行線が走っていた区間は、2020年(令和2年)3月現在において自治体の補助または運営により地域ごとに以下の路線バスが運行されている(短距離の区間は一部割愛。停留所名称は現在のもの)。
- JR岐阜 - 美濃市役所前:岐阜乗合自動車 岐阜美濃線[43]
- 郡上八幡駅 - 美濃白鳥駅:白鳥交通 郡上八幡白鳥線[44]
- 美濃白鳥駅 - ひるがのスキー場:白鳥交通 白鳥ひるがの線[44]
- 御手洗 - 牧戸駅:のらマイカー 荘川線[45]
- 牧 - 飯島:濃飛乗合自動車 高速白川郷線[46]
- 白川郷 - 城端駅前:加越能バス 世界遺産バス[47]
- JR城端駅前 - JR福光駅:なんバス(南砺市営バス) 南砺中央病院線[48]
- 福光駅 - 金沢駅:西日本ジェイアールバス 名金線[49][50](その後2022年(令和4年)7月1日に福光駅 - 不動寺間が、2025年(令和7年)4月1日に不動寺 - 森本駅間が廃止された[41][42])
また、高速道路が整備された現在、名古屋駅 - 金沢駅間、名古屋 - 南砺地域は以下の高速バスで結ばれている。
- 北陸道ハイウェイバス、北陸道昼特急 - どちらも昼行高速バスで北陸自動車道経由
- 北陸ドリーム名古屋号 - 夜行高速バスで東海北陸自動車道を経由しており、名金急行線と近しい経路で都市を通過する
- 氷見・高岡 - 岐阜・名古屋線(加越能バス):城端SA - 名古屋間で名金急行線と近しい東海北陸自動車道経由。
- きときとライナー(イルカ交通):同上(ただし、城端サービスエリアと五箇山インター口での乗降は事前予約制)
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沿革

- 1933年(昭和8年)8月1日 - 白城線美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始する[24][25]。美濃白鳥駅及び牧戸駅においては一般運輸営業、前谷駅、正ヶ洞駅、西洞駅及び蛭ヶ野駅においては旅客、小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[25]。また、名古屋鉄道局美濃白鳥自動車所を置く[10]。
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)
- 1月11日 - 白城線は降雪期間中その全区間あるいは一部区間における運輸営業を休止する場合がある旨を告示する[55]。
- 4月15日 - 白城線古家駅及び中将駅において発送車扱貨物の取扱を開始する[56]。
- 5月17日 - 白城線野々俣駅において発送車扱貨物の取扱を開始する[57]。
- 10月3日 - 金福線金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始する[18]。金沢駅及び森本駅においては一般運輸営業、加賀宮野駅においては旅客、到着手荷物、小荷物、到着附随小荷物及び貨物、武蔵ヶ辻駅においては旅客、到着手荷物、到着附随小荷物ならびに金沢駅連絡及び発着の小荷物及び貨物を除く小荷物及び貨物を取扱い、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[18]。また、名古屋鉄道局森本自動車所を置く[10]。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 各自動車所を自動車区と改め、美濃白鳥自動車所は美濃白鳥自動車区、森本自動車所は森本自動車区となる[10]。
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)


- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1947年(昭和22年)10月10日 - 白城線美濃白鳥駅 - 越前大谷駅間を大野線に移管する[75]。
- 1948年(昭和23年)
- 1月10日 - 白城線牧戸駅構内等に貨物取扱所を開設し、区間貨物運輸営業を開始する[76]。
- 3月16日- 白城線牧戸駅 - 鳩ヶ谷駅間において運輸営業を開始する[77]。鳩ヶ谷駅においては一般運輸営業、海上駅及び平瀬駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、秋町口駅においては旅客及び発送車扱貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[77]。また、昭和22年運輸省告示第335号による区間貨物運輸営業は廃止する[77]。
- 5月15日 - 美濃白鳥自動車区の拡張工事のため、土地収用法による土地収容の認定を公告する[78]。
- 9月21日 - 金福線古屋谷駅 - 加賀二俣駅間において運輸営業を開始する[79]。加賀二俣駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[79]。また、古屋谷駅における営業範囲を改正し、旅客に限り取扱を行う駅となる[80]。
- 12月15日 - 北濃下田駅、北濃学校前駅が開業する[81]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)
- 3月10日 - 金福線福光駅 - 井波駅前駅間及び福光駅 - 越中吉見駅間において運輸営業を開始する[85]。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う[85]。
- 5月5日 - 白城線美濃白鳥駅 - 牛道駅間において運輸営業を開始する[86]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[86]。
- 11月1日 - 白城線北濃学校前駅、古家駅、御手洗駅、荻町駅及び金福線小坂神社前駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[87]。また、白城線北濃下田駅、北濃中切駅、北濃役場前駅及び小洞橋駅を廃止する[88]。また、向小駄良駅 - 北濃学校前駅間に北濃太田駅、陰地駅 - 牛道駅間に牛道役場前駅が開業する[89]。
- 1952年(昭和27年)
- 2月29日 - 白城線中将駅における営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃止して旅客のみ取扱う駅となる[90]。
- 7月10日 - 金福線橋場町駅及び加賀二俣駅及び白城線正ヶ洞駅における営業範囲を改正し、一般運輸営業の取扱を開始する[91]。
- 8月15日 - 金福線小坂神社前駅 - 小二又駅間において運輸営業を開始する[92]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[92]。
- 9月1日 - 美濃白鳥自動車営業所及び森本自動車営業所において一般運輸営業の取扱を開始する[93]。
- 10月18日 - 金福線福光駅 - 城端駅間において運輸営業を開始する[94]。城端駅においては旅客のほか、手荷物及び小荷物の取扱を行う[94]。
- 1953年(昭和28年)
- 5月20日 - 白城線飛騨中野駅における営業範囲を改正し、旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物を取扱う駅となる[95]。
- 7月5日 - 金福線太美山駅における営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の取扱を開始する[96]。ただし、配達は行わない[96]。
- 12月30日 - 金福線を金白北線、白城線を金白南線に改称する[20]。金白北線福光駅 - 境川橋詰駅間及び同線井波駅前駅 - 小牧堰堤駅間及び金白南線鳩ヶ谷駅 - 境川橋詰駅間において運輸営業を開始する[21]。福光駅においては一般運輸営業、城端駅においては旅客、手荷物及び小荷物、鳩ヶ谷駅においては旅客、到着手荷物、小荷物及び貨物、下梨駅及び西赤尾駅においては旅客、到着手荷物及び小荷物、その他の駅においては旅客に限り取扱を行う[21]。金白北線福光駅 - 飛野駅間に越中高宮駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[97]。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 4月12日 - 金白北本線四王寺駅 - 南千谷駅間において運輸営業を開始する[104]。新設の駅はいずれも旅客に限り取扱を行う[104]。
- 10月1日 - 金白北本線深谷鉱泉口駅を深谷温泉口駅、同線牧駅を牧温泉駅、金白南線陰地駅を恩地駅と改称する[105]。また、金白北本線加賀高坂駅及び福光西町駅を廃止する[106]。また、金白北本線砂子谷駅 - 蔵原口駅間に上砂子谷駅、同線定竜寺駅 - 福光駅間に福光東町駅、同線梨谷駅 - 小来栖駅間に田代駅、同線小来栖駅 - 見座駅間に来栖駅、同線下梨駅 - 上梨駅間に漆原駅、同線皆葎駅 - 細島駅間に小原発電所前駅、同線細島駅 - 新屋駅間に菅沼駅、金白南線平瀬駅 - 保木脇駅間に木谷口駅、恩地駅 - 牛道役場前駅間に牛道学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[107][108]。また、金白北本線福光東町駅の開業により、同線福光駅 - 城端駅間及び同線福光駅 - 越中吉見駅間の起点を福光駅から福光東町駅に改める[107][109]。また、金白南線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間において運輸営業を開始する[110]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[110]。また、金白北本線神谷口駅及び不動寺駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[111]。また、金白南線平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、一般運輸営業の取扱を開始する[112]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 2月10日 - 金白南線北濃駅、牧戸駅、正ヶ洞駅、蛭ヶ野駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、北濃駅は旅客、手荷物及び小荷物を取扱う駅に、牧戸駅、正ヶ洞駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅は旅客、手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅に、蛭ヶ野駅は旅客、到着手荷物及び小荷物(ただし配達は行わない)を取扱う駅になる[124]。
- 4月10日 - 金白北本線橋場町駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[125]。
- 10月1日 - 金白南線美濃白鳥駅 - 牛道駅間における路線を四辻駅 - 牛道駅間に改め、美濃白鳥駅 - 四辻駅間は新設の那留線に移管する[126]。
- 10月15日 - 金白南線四辻駅 - 牛道駅間、同線牛道学校前駅 - 正ヶ洞駅間及び同線高鷲役場前駅 - 鷲見駅間を新設の白鷲線に移管し、美濃白鳥駅 - 成出駅間を金白南本線と改称する[26]。また、金白南本線飛騨中野駅、飛騨福島駅及び椿原駅を廃止する[127]。
- 11月10日 - 金白南本線向小駄良駅 - 鳩ヶ谷駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する[128]。
- 1963年(昭和38年)
- 1月10日 - 金白北本線福光東町駅を廃止し[129]、同線上砂子谷駅 - 土山駅 - 福光東町駅における終点を福光西町駅に、同線福光東町駅 - 経塚駅 - 城端駅間における起点を福光駅に変更する[130]。また、同線福光東町駅 - 越中吉見駅間及び福光東町駅 - 西太美駅間における起点を福光東町駅から福光駅に変更した上で、福光駅 - 越中吉見駅間及び福光駅 - 西太美駅間を太美山線、福光駅 - 小牧堰堤駅間を井波線と線路名称を定める[130]。また、金白北本線福光駅 - 開発駅間に福光高校前駅、大鋸屋駅 - 越中瀬戸口駅間に越中中尾駅、細尾峠駅 - 梨谷駅間に道谷駅、田代駅 - 小来栖駅間に上松尾駅、菅沼駅 - 新屋駅間に上中田駅、西赤尾駅 - 境川橋詰駅間に楮橋詰駅、境川橋詰駅 - 成出駅間に小白川駅が開業する[131]。また、金白北本線切山駅を桐山駅と改称する[132]。
- 8月7日 - 金白南本線新開地駅を蛭ヶ野温泉駅、飛騨福島駅を御母衣ダム駅と改称する[133]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 7月1日 - 金白北本線地代駅を廃止する[137]。また、同線小森谷口駅 - 定竜寺駅間に川合田温泉駅、四王寺駅 - 加賀朝日駅間に千の杉駅が開業する[138]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[138]。
- 9月11日 - 金白北本線深谷元ノ湯駅を深谷元湯駅に改称する[139]。また、同線飛野駅を廃止する[140]。また、同線繩蔵駅 - 城端駅間に細木駅、福光駅 - 越中高宮駅間に天神町駅、越中高宮駅 - 経塚駅間に矢留口駅、経塚駅 - 立美駅間に上野駅が開業する[141]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[141]。
- 12月2日 - 金白北本線千の杉駅 - 桐山駅間において運輸営業を開始する[142]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[142]。
- 1966年(昭和41年)
- 3月1日 - 金白南本線蛭ヶ野駅を蛭ヶ野高原駅と改称する[143]。また、金白南本線北濃太田駅、北濃学校前駅、古家駅、釜ヶ洞口駅、岩瀬駅、秋町口駅、保木脇駅、大牧駅及び椿原堰堤前駅を廃止する[144]。また、金白南本線向小駄良駅 - 北濃駅間に北濃中切駅及び北濃長滝駅、神道駅 - 正ヶ洞駅間に鮎走駅、西洞駅 - 蛭ヶ野高原駅間に折立道駅、牧戸駅 - 海上駅間に落部口駅、御母衣駅 - 平瀬駅間に大白川口駅、木谷口駅 - 野谷駅間に保木脇口駅、野谷駅 - 萩町駅間に馬狩口駅、飛騨下田駅 - 芦倉駅間に椿原駅が開業する[145]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[145]。
- 5月18日 - 金白北本線湯谷温泉口駅 - 国見ヒユツテ駅間において運輸営業を開始する[146]。ただし、運行期日については中部地方自動車事務所長が定める[146]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[146]。
- 12月1日 - 金白北本線及び金白南線を統合して名金急行線と改称する[3]。また、名金急行線美濃白鳥駅 - 名古屋駅間において運輸営業を開始する[4]。新設の駅は何れも旅客に限り取扱を行う[4]。また、落部口駅 - 海上駅間に飛騨中野駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[147]。また、自動車線共通乗車規則(昭和33年日本国有鉄道公示第78号)に名古屋鉄道を追加し、共通乗車区間内相互発着となる普通乗車券または周遊割引券を所持する旅客に限り共通乗車の取扱を開始し、且つ名古屋駅 - 金沢駅間において共同運行を開始する[148][6]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)6月19日 - 大白川口駅を白山登山口駅、保木脇口駅を保木脇駅と改称する[154]。
- 1970年(昭和45年)12月15日 - 正ヶ洞駅、牧戸駅、平瀬駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客、手荷物及び小荷物(ただし代金引換の取扱及び配達はしない)を取扱う駅となる[155]。
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 3月17日 - 蛭ヶ野温泉駅を蛭ヶ野新開地駅と改称する[159]。また、北濃中切駅 - 北濃長滝駅間に北濃学校前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[160]。
- 6月25日 - 同日限りを以て上松尾駅及び田代駅を廃止する[161]。
- 8月1日 - 自動車営業所において運輸営業の取扱いをすることについて(昭和27年日本国有鉄道公示第280号)を廃止し、美濃白鳥自動車営業所においては一般運輸営業、金沢自動車営業所においては旅客に限って取扱を行う旨を新たに定める[162]。
- 10月1日 - 美濃白鳥駅、正ヶ洞駅、平瀬駅、牧戸駅及び鳩ヶ谷駅における営業範囲を改正し、旅客及び荷物を取扱う駅となる[163]。
- 12月11日 - 法林寺駅 - 湯谷温泉口駅間に法林寺温泉駅、森本駅 - 大場駅間に森本支所前駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[164]。
- 12月13日 - 向小駄良駅 - 北濃中切駅間に北濃下田駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[165]。
- 1975年(昭和50年)11月14日 - 東長江駅 - 牧温泉駅間に夕日寺駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[166]。
- 1976年(昭和51年)9月30日 - 同日限りを以て美濃白鳥駅 - 向小駄良駅間における一般路線貨物自動車運送事業を廃止する[28]。
- 1977年(昭和52年)12月1日 - 南千谷駅 - 千谷口駅間において運輸営業を開始する[167]。千谷口駅においては旅客に限り取扱を行う[167]。桐山駅 - 中尾駅間に千谷口駅が開業し、旅客に限り取扱を開始する[168]。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 美濃白鳥駅における営業範囲を改正し、旅客のみ取扱う駅となる[29]。
- 1983年(昭和58年)7月1日 - 正ヶ洞駅 - 鷲見駅間において運輸営業を開始する[173]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 10月31日 - 福光駅 - 立美駅間における運行系統(通称立美線)を廃止する[176]。
- 11月1日 - 自動車営業所において運輸営業の取扱いをすることについて(昭和49年日本国有鉄道公示第115号)を廃止する[177]。
- 12月11日 - 昭和24年日本国有鉄道公示第31号「国鉄自動車路線名称」を改正し、小又西口 - 福光西町間、荒田町島 - 福光間、福光 - 東太美 - 城端間及び湯谷温泉口 - 国見ヒユツテ間を削除する[1]。また、森本 - 才田間は森本 - 才田 - 八田間、金沢 - 北安江間は金沢 - 広岡間と改め、大日岳スキー場口 - 大日岳スキー場間を新設する[1]。
- 12月20日 - 日本国有鉄道改革法(昭和61年法律第87号)第19条第1項に規定する基本計画として日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画を告示し、東海旅客鉄道は美濃白鳥営業所、西日本旅客鉄道は金沢自動車営業所の管轄する自動車路線を承継する旨を定める[15]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道及び東海旅客鉄道が発足し、各社管轄区間の旧国鉄自動車線を継承する[32][33][34]。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 西日本ジェイアールバス及びジェイアール東海バスが、各旅客鉄道の自動車事業を継承する[36][35]。
- 1994年(平成6年)9月30日 - 西日本ジェイアールバスが砂子谷 - 小又西口間(土山線)を廃止する[178]。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)10月1日 - ジェイアール東海バスが名金線を廃止し、同日より岐阜乗合自動車が一部区間の代替運行を開始する[40][39]。美濃白鳥営業所管轄の路線全廃に伴い、美濃白鳥営業所を廃止する[181]。
- 2007年(平成19年)8月28日 - 石川県が名金線(金沢 - 福光間)を国や県の補助対象となる生活交通路線として承認する[49]。
- 2022年(令和4年)7月1日 - 西日本ジェイアールバスが福光 - 不動寺間(名金線)と、深谷元湯 - 千谷口間、鳴瀬 - 中尾間(共に中尾線)、山王口 - 小二又間(牧線)を廃止[182]。
- 2025年(令和7年)4月1日 - 西日本ジェイアールバスが不動寺 - 森本間を廃止[42]。
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車両
1933年(昭和8年)度において白城線にはバス1台、バストラクター2台、トレーラー4台が所属した[183]。1934年(昭和9年)度において白城線にはバス1台、バストラクター2台、トレーラー4台が所属した[184]。1935年(昭和10年度)において金福線にはバス5台、トラック1台、白城線にはバス1台、バストラクター2台、トレーラー4台が所属した[185]。1936年(昭和11年)度において金福線にはバス5台、トラック1台、白城線にはバス1台、バストラクター3台、トレーラー10台、トラック1台が所属した[186]。
駅一覧
要約
視点



以下の表における所在地等の記述はその駅が自動車駅として開業した当時における告示あるいは公示の表記によるものであり、且つ国有鉄道時代の停車場に限る。一般に国鉄自動車線には停車場(駅)の他に旅客取扱を行う乗降場を設けている場合があるが[187]、下記の表に乗降場は含めていない。また、太美山線、井波線、那留線、医王山線、白鷲線及び大野線に移管された区間についても下記の表には含めていない。
ただし金沢 - 北安江間は、1986年(昭和61年)12月11日より金沢 - 広岡間と改められた[1]。
ただし森本 - 才田間は、1986年(昭和61年)12月11日より森本 - 才田 - 八田間と改められた[1]。
また、1986年(昭和61年)12月11日からは大日岳スキー場口 - 大日岳スキー場間が新設されている[1]。
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さくら道
→詳細は「さくら道」を参照
名金急行線の車掌佐藤良二が御母衣ダム建設によって水没する集落の桜の木(荘川桜)が移植され見事に開花したことに感動し、名金急行線の沿線に桜の苗木を植え続けたことから「さくら道」の別名がある[188][189]。
脚注
関連項目
外部リンク
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