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大郷町
宮城県黒川郡の町 ウィキペディアから
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大郷町(おおさとちょう)は、宮城県中部の黒川郡に位置する町。1954年(昭和29年)に大谷村、粕川村、大松沢村の3村が合併して町制を施行した[2]。
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地理
宮城県のほぼ中央に位置する町である。町の中央を:吉田川が東西に流れ、川に沿って田畑が広がる。南北は丘陵が広がる。北側は大松沢丘陵、南側は松島丘陵である。
人口
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大郷町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大郷町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大郷町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大郷町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
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歴史
以下の内容は脚注にない限り、大郷町発行『おおさと』[3] による。 縄文時代中期とみられる大松沢貝塚が大松沢にあり、粕川には5世紀〜6世紀に築造されたとみられる古墳がある[4]。平安時代初期の土壙墓も勢見ヶ森で発掘されている。鎌倉時代から室町時代あるいは江戸時代にかけての史跡として、羽生地区には岡氏が拠った築館城[5] が、大松沢内地区には大窪城址公園があり、大松沢氏は明治まで大窪城で暮らした[6]。吉田川や鶴田川に近い水田地帯には、松島町や旧鹿島台町にまで広がる、仙台藩領内で最大の湖である品井沼があったが、江戸時代からの干拓により消滅した[7]。
- 1954年(昭和29年)7月1日 大谷村、粕川村、大松沢村が合併して大郷村が発足。
- 1956年(昭和31年)4月 黒川高校大松沢と大谷分校が統合して大郷分校と改称。
- 1959年(昭和34年)4月1日 町制施行し、大郷町となる。
- 1961年(昭和36年)11月 大松沢中学校が全国学校植林コンクールで特選。
- 1968年(昭和43年)4月 町内小学校に幼稚園を設置。
- 1971年(昭和46年)3月 大郷町農村集団電話開通。
- 1976年(昭和51年)4月 新粕川大橋開通。
- 1979年(昭和54年)5月 役場庁舎落成。
- 1988年(昭和63年)4月 大郷町総合運動場落成。
- 1990年(平成2年)3月 公共下水道事業に着手。
- 1991年(平成3年) 中村バイパス開通。
- 1993年(平成5年)3月 道の駅おおさと開業[8]
- 1995年(平成7年)4月 黒川高校大郷分校が黒川高校大郷校となる。
- 1999年(平成11年)3月 外舟券売り場「ボートピア大郷」オープン。
- 2008年(平成20年)
- 1月 大郷中学校体育館新築落成。
- 3月明星中学校・大松沢中学校閉校。
- 4月 大郷町立大郷中学校開校。
- 2009年(平成21年)3月 黒川高校大郷校閉校。
- 2012年(平成24年)
- 3月 大谷小学校、味明小学校、粕川小学校、大松沢小学校が閉校。大郷小学校体育館新築校舎増築落成。
- 4月 大郷町立大郷小学校開校、校歌制定。
- 2019年(令和元年)10月13日 令和元年東日本台風(台風19号)の豪雨により吉田川左岸の堤防が決壊。付近一帯が水没した[9]。
- 2020年(令和2年)9月 農林中央金庫仙台支店と地域創生で包括的連携協定を締結[10]。
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行政
- 町長
- 田中学(3期)
- 赤間正幸(2期)
- 田中学(現職、通算で4期目)
経済
産業
町おこしとしてモロヘイヤ栽培に力を入れている(モロヘイヤソフトクリーム、モロヘイヤラーメン、モロヘイヤクッキー、モロヘイヤ饅頭、モロヘイヤ乾麺、モロヘイヤ餃子、モロヘイヤ蕎麦など)。
大郷みそカレーも、共同開発したベガルタ仙台(明成高校も)が年に一度開催する「カレーは飲み物」イベントで販売するほか、小学校の給食で提供されたり、町内の飲食店でも取り扱っている[11][12]。
郵便局
金融
- 指定金融機関は新みやぎ農業協同組合大郷支店を指定している。
教育
交通
鉄道
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
ゆかりの深い人物
- 支倉常長
- 大松沢元実
脚注
関連項目
外部リンク
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