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宮下正彦
日本のプロ野球選手 (1962-2008) ウィキペディアから
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宮下 正彦(みやした ただひこ、1962年5月19日 - 2008年夏頃)は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(外野手)。1990年から1991年までの登録名は「宮下 嗣朗」(みやした しろう)。
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来歴・人物
東海大相模高では中堅手、リードオフマンとして活躍、2年夏の県大会では投手として登板もしている。1979年秋季関東大会に進むが1回戦で君津商に惜敗。翌1980年春季関東大会は決勝に進出するが愛甲猛のいた横浜高に敗退。同年夏の神奈川大会でも有力視されたが、3回戦の三浦高との試合中に不祥事があり、以後の出場を辞退。高校同期に右翼手・4番打者の長谷川国利がいる。
長谷川とともに東海大に進学するも中退。その後、社会人野球のいすゞ自動車を経て、1986年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。新人であった1987年3月28日夜、同僚3人(竹田光訓・武田康・長谷川国利)とともに、神奈川県横須賀市内で飲酒してタクシーで球団合宿所(横須賀市長浦)へ帰る途中、竹田・武田の両名とともに一般人への暴行事件を起こしたとして、横須賀警察署に傷害容疑で取り調べられ[注 1][2]、球団から無期限謹慎処分を受けた[3]。1991年シーズンオフに大洋を退団し[4]、同年のシーズン限りで現役を引退。
2008年夏、肝臓がんのため46歳という若さで逝去[5][6]。次男は正彦の死後、2010年の第92回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に関東第一高校の選手(3年生)として出場[注 2][6]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 46 (1987年 - 1991年)
登録名
- 宮下 正彦 (みやした ただひこ、1987年 - 1989年)
- 宮下 嗣朗 (みやした しろう、1990年 - 1991年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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