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宮本ともみ

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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宮本 ともみ(みやもと ともみ、1978年12月31日 - )は、神奈川県相模原市出身の元女子サッカー選手、現サッカー指導者、解説者。元サッカー日本女子代表(代表通算77試合13得点)。現役時代のポジションはミッドフィールダー神奈川県立相模大野高等学校卒業。旧姓は「三井」。

概要 宮本 ともみ, 名前 ...
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経歴

要約
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選手時代

小学1年生の時、兄の影響でサッカーを始めた[1]。新磯サッカースポーツ少年団、相模原SCを経て、1997年(当時18歳)でプリマハムFCくノ一(現伊賀FCくノ一)へ入団[2]。同年日本代表に初選出された[2]

1999年、第3回FIFA女子世界選手権アメリカ大会(現ワールドカップ)に出場[2]

2002年、23歳のときに結婚。周囲からは「引退するのか」と聞かれることもあったが、「『なんで結婚するからやめるんだ』という感じでした」[3]、「『(夫からは)結婚したんだからサッカーやめろ』ということは言われなかった」[4] と語っている。

2003年、第4回FIFA女子ワールドカップアメリカ大会では3試合すべてでフル出場した[5]

2004年、アテネオリンピック代表メンバーに選出された。当時の代表監督だった上田栄治は宮本を「澤穂希よりも重要な選手」と評価していた[6]。宮本はチームで唯一の既婚者であり、またチーム最長身であった。宮本は第1戦のスウェーデン戦をフルで戦った後、第2戦目のナイジェリア戦にもスタメン出場。しかし前半15分過ぎ、相手選手と交錯した際、そのスパイクが右大腿部を直撃し、8針縫う裂傷を負った[7]。倒れこんだ宮本は、立ち上がれないまま担架でピッチ外へ運ばれ、結局そのまま交代。この後チームは攻守のバランスを崩し、後半にはナイジェリアに決勝点を奪われることとなる。当時日本サッカー協会会長だった川淵三郎は「残念だね。宮本が欠場したのが痛かった。彼女がいないと攻守とも痛い」と述べた[8]。 決勝トーナメント準々決勝アメリカ戦では怪我を押して強行先発したが、1-2で敗れ、チームは敗退した[9]

2005年5月、26歳のとき長男を出産。産休・育休のため戦列を離れ、2005年シーズンは選手登録されなかったが、2006年シーズンに再び選手登録され現役復帰。

2006年10月に日本女子代表にも再び招集され、初の子持ち代表となった。このとき日本サッカー協会は民間のベビーシッターを雇い、宮本が1歳(当時)の長男を伴って代表活動ができるようにサポートした[10]

2007年、第5回FIFA女子ワールドカップ中国大会のメンバーに選出され、自身3度目のワールドカップメンバーとなった[11]

2008年、伊賀FCくノ一がなでしこリーグ2部へ降格、このときのことについて宮本は「サッカー人生で一番悔しい出来事で、なかなか受けとめることが出来なかった」「『神様がやめろって言っているのかな』と引退も考えました」と語っている[3]

2009年、東京電力女子サッカー部マリーゼ(TEPCOマリーゼ)へ移籍。移籍の理由について「年齢的にも選手生命が残り少なくなってきた中で、サッカーが集中できる環境にいたかったし、自分の経験を少しでも後進に伝えたかった」と語っている[12]

2011年、伊賀FCくノ一へ復帰[13]。同年4月29日に行われたリーグ開幕戦福岡J・アンクラス戦では2ゴールを挙げ、チームを2-0の勝利に導いた[14]

同年7月24日、なでしこリーグの岡山湯郷Belle戦で、リーグ200試合出場を達成した[15]

同年8月19日、国立競技場で行われた「東日本大震災復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!なでしこジャパンvsなでしこリーグ選抜」のなでしこリーグ選抜チームのメンバーに選出された[16][17]。試合は2-3で敗れたが、選抜チームの監督を務めた星川敬は宮本について「宮本選手の経験は内容を見ても、結果からもまだまだやれると感じました」と高く評価した[18][19]

2012年12月5日、現役を退くことを表明した[20]。同年12月22日の第34回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会準決勝のジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦に出場、試合はペナルティーキック戦の末に敗れたが、宮本は後半24分に1-1の同点となるゴールを挙げ、これが現役最後の得点となった[21]

2013年3月3日、伊勢フットボールヴィレッジにて引退記念試合とセレモニーが行われた[22][23]

指導者時代

2015年4月、高田短期大学女子サッカー部監督に就任した[24]

2016年4月、日本サッカー協会により、女子代表の強化や女子サッカー育成普及を担う女子委員会が新たに承認され、委員の1人に選ばれた[25][26][27]。同年12月、 U-16/17日本女子代表のコーチに選任された[28]

2019年にU-19日本女子代表コーチに就任。

2021年から2024年9月までなでしこジャパン(日本女子代表)コーチを務めた[29][30]

2025年6月2日WEリーグINAC神戸レオネッサの監督に就任した[31]

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個人成績

要約
視点

クラブ

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

※2005年度は産休・育休により登録されず

代表

選出歴等

試合数

さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
  • 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[32]
  • 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)選手個人記録(出場試合数ランキング)[33]

出場

さらに見る 出場試合一覧, # ...

ゴール

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タイトル

クラブ

個人

  • 日本女子サッカーリーグ ベストイレブン:2回 (1999年、2003年)

脚注

外部リンク

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