トップQs
タイムライン
チャット
視点

尾上旭

ウィキペディアから

Remove ads

尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 2022年11月20日[1])は、千葉県旭市出身のプロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

来歴・人物

小学4年から野球を始め、飯岡中学時代に投手から内野手に転向[2]

銚子商業高では1976年中堅手として夏の甲子園に出場、準々決勝に進むが桜美林高に敗れる。チームメートに1年先輩の宇野勝がいた。1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高山口哲治に抑えられ敗退 [2]

卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1979年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝する。1981年日米大学野球選手権日本代表に選出された[2]。リーグ通算108試合出場、394打数105安打、打率.266、14本塁打、43打点。遊撃手としてベストナイン1回受賞。大学同期に米村明がいる。

1981年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受け入団[2]。巧打と堅守を誇る即戦力内野手との評価を受け、一年目から一軍に帯同、出場機会を得る。しかし打撃面で伸び悩み、宇野勝や上川誠二(同学年・同期入団=ドラフト外)の壁を越えられず、レギュラーには届かなかった。しかしその後も遊撃手、二塁手三塁手をこなすユーティリティプレーヤーとしては活躍し、1986年には29試合に先発出場。

1987年には同じタイプの仁村徹の伸長もあって出場機会が減り、同年11月、島田芳明と共に仲根政裕との2対1の交換トレードで近鉄バファローズに移籍[2]。近鉄では特筆すべき活躍はなく、1991年限りで現役を引退[2]

引退後は、1992年から地元千葉に戻り家業の青果業を継ぐ[2][3]。その後、選手時代の広島遠征でチーム御用達の店で食べた広島風お好み焼きを気に入り[4]、1995年春から銚子市で「広島焼 おのうえ」を経営していた[4][5]。2019年5月末頃にお好み焼き屋を閉店。

2022年11月20日、死去。63歳没[1]

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 14 (1982年 - 1984年)
  • 2 (1985年 - 1987年)
  • 19 (1988年 - 1991年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads