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山中秀樹

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山中 秀樹(やまなか ひでき、1958年(昭和33年)12月19日 - )は、日本のフリーアナウンサータレント。元フジテレビアナウンサー広島県広島市南区京橋町生まれ、広島市中区八丁堀、幟町育ち[1]タイタン所属。

概要 やまなか ひでき山中 秀樹, プロフィール ...
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来歴・人物

愛称は「山ちゃん」「山チュー(『空飛ぶ!爆チュー問題』での役名から)」。血液型はO型。広島市立幟町小学校修道中学校・高等学校卒業。

1977年早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修に進学。中学生時代から初心貫徹でアナウンサーを志望し、『大相撲熱戦十番』(文化放送)や『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でADアルバイトをしていた。

1981年にフジテレビへ入社。同期には頼近美津子[2]本間淳子遠藤龍之介[3]鈴木克明[4]、河野雄一[5]大多亮[6]などがいる。

若手時代は『プロ野球ニュース』でプロ野球各試合のダイジェストを担当していた。その後、報道へ移り、特に土日の報道番組キャスターを長く務めた。また、バラエティ番組笑っていいとも!」のコーナー、「テレフォンショッキング初代テレフォンアナウンサー[7]、『笑っていいとも!増刊号』のナレーションも同僚の吉沢孝明とともに長期間務めた。

2006年6月29日付で「ライツ開発局ライツ開発担当部長」へ異動し長年在籍したアナウンス室を離れたが、『湘南 OLD BOY 山中』『天才のパチンコ』(いずれもフジテレビ721・739)など、アナウンサー時代からの出演番組も掛け持ちした。

2006年10月20日にフリーになることを発表。同年12月末にフジテレビを退社、2007年1月から20年来の知人であり『ポンキッキーズ』『空飛ぶ!爆チュー問題』でも共演している爆笑問題が所属するタイタンに移籍した。同年1月1日、フジテレビの『第40回初詣!爆笑ヒットパレード』にて、ヘリコプター中継のカメラに映るコレオグラフィの指導者役としてフリーデビュー。同年1月10日には日本テレビラジかるッ』で他局初出演を果たし、その後に水曜レギュラーとなった。映画『スパイダーマン3』でニュースキャスターの吹き替えを担当した。

趣味落語観賞など。またパチンコも趣味の一つで、2005年からは趣味が昂じて『サンケイスポーツ』紙上でコラム「天才のパチンコ」」(隔週連載)を担当するようになった。同連載は2010年11月に「山中秀樹 パチパチLife」と改題して月1回連載となったが、現在も連載を継続している[8]

2019年で25歳になるフクと名付けた三毛猫を飼っている愛猫家である[9]

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過去の出演番組

要約
視点

フリー転向後

ほか多数

フジテレビ時代

報道・情報番組

さらに見る 期間, 番組名 ...

この他、1982年頃から1986年頃までは『おはよう!ナイスデイ』(リポーター)『プロ野球ニュース』(試合結果担当)を担当していた。

バラエティ番組・ドラマ(主にゲスト出演)

映画

  • TOKYOデシベル(2017年) - 保坂 役
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エピソード

  • 広島出身で、元同僚の三宅正治西山喜久恵同様広島東洋カープファンである。アンチ巨人ということもあり、就職活動でも読売ジャイアンツの兄弟会社であるという理由だけで日本テレビ読売テレビの受験をしないほど徹底していたが、フリー転身後には日本テレビやその系列局の番組にも出演するようになった(実際、入社試験で当時会長の鹿内信隆から「退職後に日テレの仕事が来たらどうするかね?」と聞かれると「死ぬまでフジテレビ以外の番組には出ません」と発言している)。
  • 大学時代からラジオテレビの両方での仕事を希望していたため、首都圏で唯一のラテ兼営局であるTBSが第一志望であった。またTBSの他には文化放送(フジテレビの兄弟会社)とフジテレビしか受験しておらず、3社受験で文化放送とフジテレビの2社から内定をもらったのだが、フジテレビではラジオの仕事ができないことと、当時のフジテレビは鹿内春雄による機構改革前のいわゆる“暗黒時代”であり、視聴率もTBS、日本テレビに遥か及ばぬ万年3位と低迷していたためフジテレビへの入社は最初は消極的であったという。また文化放送は「テレビで仕事ができない」という理由で内定を辞退している。
  • 20年くらい前から見た目はほとんど変わっておらず、むしろその頃は今よりも太っていたため当時20代後半であったにもかかわらず、周囲や視聴者からは40代前半か半ばの中年男性と見られていたという。実際、「FNNスーパータイム」を先輩の城ヶ崎祐子と共に担当していた頃、山中は城ヶ崎より3歳年下であるにもかかわらず、「年上の男性に生意気な口をたたく小娘」「アナウンサーのくせに上司に対しての礼儀も知らないのか!」という苦情が城ヶ崎に対して数多く寄せられていたため、互いにこの誤解には苦笑いしていた。
  • 1997年1月1日、『めざましテレビ』の元旦スペシャルにおいて報道センターから最初のニュースを担当したが、その際に「はい、あっうあーえー、あけましておめでとうございます」と第一声を失敗してしまった。その直後に、「えー、あんまり寝てないもんですからどうもすみません、第一声からこんな声で」と苦笑いしながらも第一声の失敗に謝罪していた。この件に関して後日、福井謙二アナから「あれは悪い冗談なんだろ?」と嫌味を言われたという。
  • こちら山中デスクです』(TBSラジオ)で共演しており、かつ同郷(広島県出身)の後輩でもあるTBSアナウンサーの久保田智子とはフジテレビ時代から親交があった。彼女との最初の出会いは2002年、山中の母校・早稲田大学の先輩であり、フジテレビの大先輩である露木茂からの紹介がきっかけであった(当時、久保田はフリーに転身したばかりの露木と共に『おはよう!グッデイ』の司会を務めていた)。また露木は2007年4月9日放送の『こちら山中デスクです』にゲスト出演しており、これによりメディアの前で初めて3人での共演を果たした。
  • 日本テレビやTBSの番組の仕事でも、フジテレビ時代の元同僚と仕事をすることが非常に多い。『踊る!さんま御殿!!』で後輩の有賀さつきと共にゲスト出演を果たし、『サンデージャポン』では取材先の宮崎県庁舎内で後輩の河野景子(宮崎県出身)と偶然出くわしてミニインタビューを行った。『ザ!世界仰天ニュース』では元同僚の木佐彩子富永美樹深澤里奈と共演した。また先述の露木や、フジテレビ入社後の2年間(1981年~1983年)共に同僚時代をおくった先輩の田丸美寿々を『こちら山中デスクです』にゲスト招聘して、彼らがフジテレビ時代に行った歴史的なニュースの取材についてのエピソードを聞き出したりと、フジテレビの同僚時代にはありえなかったスタイルやトークで先輩や後輩との共演を果たしている。
  • 2008年11月23日に放送された『ウチくる!?』(フジテレビ系)で先輩の露木、福井、元同僚の近藤サト、富永と共演し、フジテレビ時代の思い出を語った。退社後のフジテレビ出演は1年半ぶりであった。
  • 2005年の放映の『FNS27時間テレビ』では第7代、6人目の立会人を務めた(その年入社した新人アナウンサーは田淵裕章遠藤玲子平井理央宮瀬茉祐子の4人)。翌年の『FNS27時間テレビ』から先輩の堺正幸が務めた。
  • フジテレビを定年前に退職し、フリーに転身した男性アナウンサーは1988年春退社の逸見政孝以来18年ぶりの事だった(それ以前は八木亜希子小島奈津子、木佐彩子、内田恭子など女性アナのフリー転身が多かった)[11]
  • 『FNNスーパータイム』担当時(2期目)にはかつての先輩・上司であった逸見の訃報を伝えている。また、1988年4月には『Date Line』にて当時のフジテレビ会長・鹿内春雄の訃報も伝えた。
  • フリー転向後、『サンデージャポン』で宮崎県知事時代の東国原英夫の密着取材をしていたが、これがきっかけで2007年11月25日に、宮崎産業経営大学で行われた就職啓発セミナーに講師として出席した(メインの講師として東国原英夫も出席)。
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脚注

関連項目

外部リンク

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