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山西康司
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山西 康司(やまにし こうじ、1977年10月11日 - )は、大阪府生まれのレーシングドライバー。
略歴
1991年に13歳でレーシングカートにデビュー。カートでは国内外で活躍した。1997年からフォーミュラニッポンに参戦し、1998年 - 1999年には全日本GT選手権でMobil 1 NSXに乗り、ホンダワークスのNSXで活躍した。
以降もフォーミュラ・ドリームや鈴鹿サーキットレーシングスクールなどで後進の育成や指導にあたる。また実力派のドライバーであり、2006年SUPER GT開幕戦鈴鹿においてレース序盤から中盤にかけてクラス首位で独走した(結果はトラブルで5位)。JLOCのエースカーであるムルシエ RG-1をドライブしている。
レース戦績
要約
視点
- 1996年 - 全日本F3選手権(NAKAJIMA HONDA #64 ダラーラF396・無限)3勝・シリーズ2位
- 1997年 - フォーミュラ・ニッポンに中嶋企画より参戦(PIAA NAKAJIMA #65 レイナード97D・無限)シリーズ15位
- 1998年
- フォーミュラ・ニッポンに中嶋企画より参戦(PIAA NAKAJIMA #64 レイナード97D・無限)シリーズ15位
- 全日本GT選手権 GT500クラス(中嶋企画 #64 Mobil1 NSX)1勝・シリーズ2位
- 1999年
- フォーミュラ・ニッポンに参戦(UNLIMITED LeMans #2 レイナード99L・無限)シリーズ12位
- 全日本GT選手権 GT500クラス <第1 - 4戦>(中嶋企画 #64 Mobil1 NSX)シリーズ19位
- 2000年 - フォーミュラ・ニッポン(Team Morinaga NOVA #10 GフォースF03B・無限)
- 2001年 - フォーミュラ・ニッポン <第7 - 10戦>(LeMans #7 レイナード99L・無限)シリーズ14位
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- フォーミュラ・ニッポン <第4 - 5戦、8戦>(Team MOHN #27 ローラB351・無限)
- 全日本GT選手権 GT500クラス <第2,5 - 8戦>((JLOC #88 JLOC ムルシエRG-1)
- 全日本GT選手権 GT500クラス <第4戦>(JLOC #88 JLOC ディアブロJGT-1)
- 2005年
- SUPER GT GT500クラス <第1,2,4 - 6戦>(JLOC #88 JLOC ムルシエRG-1)
- SUPER GT GT300クラス <第7戦>(JLOC #86 JLOC ムルシエRG-1)
- 鈴鹿1000km・GT500クラス(JLOC #88 JLOC ムルシエRG-1)クラス3位
- モンツア1000㎞ GT1クラス(JLOC #63 JLOC ムルシエラゴR-GT)
- 2006年
- SUPER GT GT300クラス(JLOC #87 トライクジャパン ムルシエRG-1)シリーズ19位
- ル・マン24時間レース LM-GT1クラス(JLOC #53 JLOC Lamborghini MURCIELAGO RGT)決勝DNF
- 全日本スポーツカー耐久選手権 LM-GT1クラス <第1,4戦>(JLOC #88 Team JLOC with ADVAN)1勝・シリーズ3位
- 2007年
- SUPER GT GT300クラス <第1 - 5,9戦>(JLOC #88 アクティオ ムルシエRG-1)シリーズ11位
- ル・マン24時間レース LM-GT1クラス(JLOC #53 JLOC Lamborghini MURCIELAGO RGT)決勝DNF
- 2008年 - SUPER GT GT300クラス(JLOC #66 triple a ムルシエRG-1)シリーズ20位
- 2009年
- SUPER GT GT300クラス(JLOC #66 triple a ムルシエRG-1)シリーズ12位
- アジアン・ル・マン・シリーズ LM-GT1クラス(JLOC #68 JLOC Lamborghini MURCIELAGO RGT)シリーズ4位
- 2010年
- SUPER GT GT300クラス(JLOC #86 JLOC ランボルギーニ RG-3)シリーズ9位
- ル・マン24時間レース LM-GT1クラス(JLOC #68 JLOC Lamborghini Murciélago LP670 R-SV) 決勝DNF
- 2011年 - CJ HELLOTVSION SUPERRACE <スポット参戦 Rd.7> 予選ポールポジション・決勝2位
- 2012年 - SUPER GT GT300クラス(JLOC #87 JLOC ランボルギーニ GT3)シリーズ13位
- 2013年 - SUPER GT GT300クラス(JLOC #86 クリスタルクロコ ランボルギーニ GT3)シリーズ13位
- 2014年 - SUPER GT GT300クラス(JLOC #86 クリスタルクロコ ランボルギーニ GT3)シリーズ12位
- 2015年 - SUPER GT GT300クラス <第1 - 5,7戦>(JLOC #87 クリスタルクロコ ランボルギーニ GT3)
- 2016年 - スーパー耐久シリーズ ST5クラス <スポット参戦 第4戦>(Team BOMEX #2 ホンダカーズ野崎 with CUSCO and BOMEX)クラス2位
- 2017年
- SUPER GT GT300クラス <スポット参戦 第6戦>(JLOC #88 マネパ ランボルギーニ GT3)クラス2位
- スーパー耐久シリーズ ST5クラス <第2 - 5戦>(TEAM221 #2 TEAM221 BOMEX マッハ車検 ND5RC) 最高2位
- 2018年
- SUPER GT GT300クラス <スポット参戦 第5戦>(arto-Panther Team Thailand #35 ARTO RC F GT3)クラス16位
- ピレリスーパー耐久シリーズ ST5クラス (TEAM221 #2 TEM221ロードスター)シリーズチャンピオン・1勝
- 2019年 - ピレリスーパー耐久シリーズ ST5クラス <第2戦>(LOVE DRIVE RACING #78 LOVE DRIVE RACING ロードスター)
全日本フォーミュラ3選手権
フォーミュラ・ニッポン
(key)
全日本GT選手権/SUPER GT
ル・マン24時間レース
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エピソード
- カートを始めたのは1991年。最初に乗ったのはレンタルのヤマハ・FK-9だった。関西の老舗ショップであったジェミニカートでヤマハ・Sストックを購入し、1か月後にレースを始めている[1]。
- 黒澤治樹はSRS-F時代の同い年の同期。
- SRS-Fを主席で卒業後は、当時スクールの校長だった中嶋悟率いるNAKAJIMA HONDAより前半4戦のみの出場し、後半は同じくスカラシップを獲得したドライバーでシャッフルしながら参戦する予定だったが、第3戦と第4戦で連続ハットトリック[注釈 1]を達成した事で予定を変更し、全戦出場する事になった。
脚注
外部リンク
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