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岡村孝子
日本のシンガーソングライター (1962-) ウィキペディアから
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岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。あみんのメンバー。愛知県岡崎市出身。アルバムのセールス枚数は、総計600万枚を超える。
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来歴
要約
視点
生い立ち
父親の岡村秀夫[注 1]は三重県伊勢市に生まれ、高校卒業後、愛知県岡崎市に移住。1961年、同じ三重県[注 2]出身の千代と結婚[1]、岡崎市西本郷町に家を構えた。1962年、孝子が二人の間に生まれる。労働運動家として知られた父親は、1967年に岡崎市議会議員に転身。
孝子は弟が一人おり[2]、母方の傍系尊属(高祖母の弟)に七代目松本幸四郎がいる[3]。
岡崎市立矢作西小学校、岡崎市立矢作中学校卒業。1980年、愛知県立岡崎北高等学校卒業[4][5]。
子供の頃から将来は学校の先生になりたい、と幼少期からクラシックピアノを習い、大学を目指していた[6]。ところが1977年にリリースされたさだまさしのシングル 「雨やどり」を聴いて、180度方向転換[6]。ピアノの先生からは「邪道だ!」と怒鳴られたが、それ以降、曲を作り歌うシンガーソングライターの道を歩む[6]。
あみんとしての活動
→詳細は「あみん § 来歴」を参照
一浪後の1981年、椙山女学園大学に入学。同大学星ヶ丘キャンパス在学中、同級生の加藤晴子とデュオの「あみん」を結成。
1982年春、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場。「待つわ」を歌い、グランプリを受賞[7]。同曲は1982年のオリコン年間売上1位となるヒットを記録した。1983年「あみん」の活動を休止し[6]、上京していたが[6]、名古屋に戻り、大学に復学[6]。
2007年、あみんとして活動を再開。同年12月31日に『第58回NHK紅白歌合戦』紅組で出場、デビュー曲「待つわ」を披露している。
あみんとして2008年に発表したアルバム『未来へのたすき』歌詞カードには、あみん活動再開後も岡村のソロ活動は並行して続いている(休止していない)ことが明記されている。
ソロ活動
椙山女学園大学を中退後、花嫁修業などをしていた時もソロ活動を求める声があり、自身も音楽の夢が捨てきれず2年後再び上京[6]。ソロとして1985年にファンハウス(現:Ariola Japan)より岡村孝子としてソロデビューする[6]。
1986年、来生たかおの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところ、ホンダ・トゥデイのコマーシャル[注 3]に起用、一気に人気度が高まる。当楽曲は現時点で詞・曲ともに自作でない唯一の楽曲。
1987年、「夢をあきらめないで」を発表。応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村の代表作となった。当初は武蔵高等予備校のCMソングのタイアップがあった。 後年、中学校の音楽教科書「中学音楽 音楽のおくりもの 2・3 上」(教育出版刊)に採用されている。
愛の不確かさ、哀しみ、孤独感をグサリと表現する音楽性は評価も高く[6]、この時期、若者の間でカリスマ的存在になり[6]、おニャン子クラブの新田恵利や高井麻巳子らが岡村の熱烈ファンを公表した[6]。
「夢をあきらめないで」は、2005年公開の映画『逆境ナイン』の主題歌(原作者・監督の強いリクエスト)として起用された。リリースから18年たった2005年、デジタルリマスタリングを施し「夢をあきらめないで 『逆境ナイン』リマスタリング・バージョン」として再発売。当曲は、乙葉、金月真美[注 4]など様々な歌手によりカバーされる。
OLが多い同世代の感性を表現した岡村の歌詞と楽曲が、若い女性を中心に支持を集め、90年代初頭に「OLの教祖」と称された。
1990年代に同じファンハウス所属で同年代のシンガーソングライター・辛島美登里とは担当部署が違っていたため、当時は面識がなかった。2016年にTBSラジオの『辛島美登里 こころん、ふるさと』で共演している。2019年、岡村が白血病で闘病していた時には辛島が励ましのツイートをしている。
1995年、所属レーベルをeast west japanに移籍。
2003年、BMGファンハウス(現・BMG JAPAN)へ復帰。
2005年、NHK『夢・音楽館』で、あみん結成の頃から岡村の憧れであったさだまさしと初共演した。ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていたが、さだとの共演ということで出演。NHK BSプレミアムで「岡村孝子コンサート」を放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の反響が大きくなった。先述の共演が縁となり、2006年、さだとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」を発表。コーラスとして参加した加藤との再共演も実現。
2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。同年9月、約5年振りのソロ・デビュー25周年記念アルバム『勇気』をリリース。
2015年、ソロデビュー30周年を迎える。
2016年、ソロデビュー30周年を記念して、9月には2002年発売『DO MY BEST』以来となるオールタイム・ベストアルバム『DO MY BEST II』とEncore IからVIまでのシリーズを中心に選曲したライブ・セレクション映像集『encore memories』を相次ぎリリース。
同年4月、「LOVEあいちサポーターズ あいち音楽大使」に就任。7月に岡崎市民栄誉賞を受賞[8]。
2017年、第70回全国植樹祭(2019年6月2日開催。会場は愛知県尾張旭市)のテーマソングを手がけることが決定。同年4月26日、愛知県庁で大村秀章愛知県知事の下、制作委嘱式が行われた[9]。
結婚
1997年1月、当時、読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手・石井浩郎と結婚。同年9月、一女を授かった。
2002年、ベスト・アルバム『DO MY BEST』発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開。コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日1日限りで「あみん」を再結成。「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露。
2003年、アルバム『TEAR DROPS』をリリース、エッセイ「Happyをさがして」の連載を『産経新聞』大阪版夕刊で開始(2005年に書籍化)。同年に石井浩郎と離婚。当時5歳の長女は岡村が引き取る[10][11]。
闘病そして復活
2019年、6年振りのオリジナル・アルバム発売とコンサートツアーを予定していたが、4月17日に急性白血病との診断を受け入院。治療のため長期休養に入った[12][13]。4月22日、所属事務所からオフィシャルサイトにて発表された[14]。
4月24日、第70回全国植樹祭のテーマソング「と・も・に」が配信限定で発売[15]。
5月22日、6年振りのオリジナル・アルバム『fierte』発売[12][13]。
レギュラーラジオ番組『岡村孝子あの頃ミュージック』は岡村の希望により同じくシンガーソングライターの平松愛理がピンチヒッターとして担当していた[16]。6月24日、岡村の番組降板が発表された[17][18]。9月20日、退院を報告[19]。 9月24日更新の公式サイトでは、臍帯血移植を経て、「移植後完全寛解」の状態にあることが説明された[20][21]。
2020年2月18日、『ノンストップ!』(フジテレビ)で、病気公表以後初めてテレビカメラの前に姿を見せた[22]。
同年6月4日、自身のインスタグラムに、「昨日は久しぶりにスタジオで、いろいろなことを試したり、7ヶ月振りに歌ってみました!! 思ったよりも声が出て感激」と投稿[23]。
2021年7月3日、『THE MUSIC DAY』(日本テレビ)に生出演[24]。病気公表後、2年2ヶ月振りのステージ復帰となった[24]。
同年9月8日、デビュー35周年を記念して「T’s BEST」と名付けられた2枚のオールタイム・ベスト・アルバムを発表。[25]
同年11月26日、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に初出演。黒柳徹子と1982年の『ザ・ベストテン』以来、39年振りに再会を果たした[26]。
2022年5月21日、森のホール21(千葉県松戸市)にてT’s Gardenを開催。
ソロ公演のほか、宝くじ文化公演事業・まちの音楽会において、雅夢のメンバーだった三浦和人とのジョイントコンサートも行っている。
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ディスコグラフィー
シングル
アルバム
スタジオ・アルバム
セルフカバー・アルバム
セレクション・アルバム
非公式セレクション・アルバム
映像作品
備考に関する脚注
- 2013年7月24日に、Sony Music DirectからBlu-spec CDにフォーマットを変えて再発売された。
- 2009年9月2日にAriola JapanからBlu-spec CDにフォーマットを変えて再発売された。
- 2002年7月24日発売のベストアルバム『DO MY BEST』の初回盤でDVD化された。
タイアップ一覧
楽曲提供
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その他
他のミュージシャンの作品への参加
ラジオ
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テレビ
- 「夢・音楽館」岡村孝子 & さだまさし スタジオセッション & トーク(NHK総合、2005年1月13日放映)
- さだの「案山子」をスタジオセッション。ほか「春色のメロディー」「夢をあきらめないで」のライブも。このときの共演がきっかけで、翌年、岡村の「銀色の少女」で、彼女の曲とさだの作詞というコラボレーションが実現した。
- 「岡村孝子ライブ 〜Sanctuary〜」(NHKBS2、2005年6月12日)
- 同名のコンサートツアー最終日(2005年5月28日)、渋谷公会堂でのステージを収録した。岡村と加藤晴子のインタビューも挿入される。このライブ番組は反響が大きく、番組の再放送も行われた。この映像を元に、ライブDVD「ENCORE VI」が制作された。
- 「東海北陸フレッシュ便 さらさらサラダ」(NHK名古屋放送局、2016年9月13日放映)
- 岡村にとって初めてのテレビ公開生放送。
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CM
著書
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特集
雑誌
- 1990年
- 1991年
- FMステーション 7月22日号 No.16 関東版(スーパーインタビュー、ダイヤモンド社、雑誌21804-7/22)
- 1992年
- FMステーション 6月22日号 No.14 関東版(スーパーインタビュー、ダイヤモンド社、雑誌21804-6/22)
- 1993年
- FMステーション 8月2日号 No.17 関東版(スーパーインタビュー、ダイヤモンド社、雑誌21801-8/2)
- 1994年
- FMステーション 2月28日号 No.6 関東版(スーパーインタビュー、ダイヤモンド社、雑誌21804-2/28)
- FMステーション 9月12日号 No.20 EAST(スーパーインタビュー、ダイヤモンド社出版研究所、雑誌21802-9/12)
- 1996年
- FMステーション 3月20日号 No.6 全国版(スーパーインタビュー、シティ出版、雑誌21803-3/20)
- 2000年
- MINE 12月号 No.209(私、ただいま自分史書きかえ中91、講談社、雑誌01331-12)
- 2002年
- 2005年
- 月刊ウォーキングマガジン 5月号(インタビュー「歩く幸福」、講談社、雑誌01875-5)
- 日経ウーマン 2005年5月号 通巻243号(CULTURE@RANDOM、日経ホーム出版、雑誌17103-05)
- 2006年
- WHAT's IN? No.224(音故知新〜名曲ができるまで〜24、ソニー・マガジンズ、雑誌19855-02)
- Bagel 6月号(Bagel Cafe、学習研究社、雑誌17785-06)
脚注
外部リンク
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