トップQs
タイムライン
チャット
視点
木島良輔
日本の元サッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
木島 良輔(きじま りょうすけ、1979年5月29日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。
同じくサッカー選手の木島徹也は実弟である。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。
Remove ads
経歴
高校時代は帝京高校の10番として活躍。2学年上には松波和幸(松波正信の弟[1])、依田光正、留学生の吉成大[2]と江田広(共にペルー人[3][4])、同級生には中田浩二、貞富信宏、藤田芳正がいる。
1998年開幕前にテスト生を経て横浜マリノスに入団。古賀誠史、井手口純が同期。2000年のシーズン終盤からサイドハーフとして出場機会を増やす。2002年9月に大分トリニータに期限付き移籍し[5]、大分のJ1昇格に貢献するが、シーズン終了後に大分と所属元の双方から戦力外となる[6]。約1年間の浪人生活後、2003年10月に大分と再契約[7]。2004年にはプロ7年目でのリーグ戦初得点を含む公式戦4試合連続得点を挙げる。2005シーズン限りで契約満了に伴い退団[8]。
2006年に東京ヴェルディ1969へ移籍するが、怪我が多くシーズン終了後に退団。2007年8月に再び東京Vへ加入[9]するも同年限りで退団。
2008年3月に練習生として参加していたロアッソ熊本と契約[10]。序盤戦はコンディションなどに問題があり出場機会がなかったが、第15節のベガルタ仙台戦以降は全試合に出場し、チームで2番目に多い7得点を挙げた。2009年シーズンは帝京高校時代以来の背番号10番を背負い、スタメンや途中交代で45試合に出場。チーム最多得点の10ゴールを挙げたが、チームの若返りなどを理由に契約更新しないことを通告された。
2010年、FC町田ゼルビアに完全移籍し、リーグ戦16得点を挙げるがこの年限りで退団。
2011年、弟・徹也の在籍する松本山雅FCに完全移籍[11]。
2012年8月、東京Vへ完全移籍[12]。東京Vには3度目の加入となっていた。シーズン終了後に契約満了で退団した[13]。
2013年3月2日、当時JFLのカマタマーレ讃岐に加入。チームのJ2昇格に貢献すると、翌2014年のJ2・J3入れ替え戦第2戦ではJ2残留を決める決勝ゴールを放った。2017年シーズン限りで契約満了に伴い退団。
2018年12月、カマタマーレ讃岐へ完全移籍で復帰すると発表された[15]。
2019年シーズン限りで現役引退[16]。
2021年、ACミランアカデミー千葉のゼネラルマネージャーに就任した。
Remove ads
所属クラブ
- 一松SC
- 1992年 - 1994年 長生中学校
- 1995年 - 1997年 帝京高校
- 1998年 - 2002年
横浜マリノス/横浜F・マリノス
- 1999年
デフェンソーレス・デ・ベルグラーノ(レンタル移籍)
- 2002年9月 - 同年末
大分トリニータ(レンタル移籍)
- 1999年
- 2003年10月 - 2005年
大分トリニータ
- 2006年、2007年8月 - 同年12月
東京ヴェルディ
- 2008年 - 2009年
ロアッソ熊本
- 2010年
FC町田ゼルビア
- 2011年 - 2012年8月
松本山雅FC
- 2012年8月 - 同年12月
東京ヴェルディ
- 2013年 - 2017年
カマタマーレ讃岐
- 2018年
FCマルヤス岡崎
- 2019年
カマタマーレ讃岐
- 2021年 🇯🇵ACミランアカデミー千葉(佐倉市)
個人成績
その他の公式戦
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2013年
- J2・JFL入れ替え戦 2試合0得点
- 2014年
- J2・J3入れ替え戦 2試合1得点
- 2018年
- 愛知県サッカー選手権大会 1試合0得点
代表歴
- 1998年 FIFAワールドユース選手権1998アジア予選 U-19日本代表
タイトル
- 1997年 全国高等学校総合体育大会準優勝・全国高校サッカー選手権準優勝
- 2000年 横浜F・マリノス 1stステージ優勝
- 2001年 横浜F・マリノス ヤマザキナビスコカップ優勝
- 2013年 JFLベストイレブン
脚注
- 1998年は「横浜マリノス」
出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads