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植田谷本

埼玉県さいたま市西区の大字 ウィキペディアから

植田谷本
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植田谷本(うえたやほん)は、埼玉県さいたま市西区大字。関連する大字である植田谷本村新田(うえたやほんむらしんでん)についても述べる。郵便番号は植田谷本が331-0053[2]、植田谷本村新田が331-0067[4]

概要 ■植田谷本, 国 ...
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地理

植田谷本は、さいたま市西区南部の沖積平野荒川低地)に位置する。地区の東側で大宮区三橋に、南側で島根に、西側で三条町に、北側で中野林に隣接する。地区の東側を鴨川が流れ、大規模団地である加茂川団地がある。

植田谷本村新田は上新田と下新田に分かれており、上新田は治水橋付近に2カ所ある。荒川の瀬替えによって中央部の農家は移転した。植田谷本とは隣接していない。

歴史

要約
視点

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する植田谷本村で古くは植田郷に属していたと云われている[5]。植田谷本は殖絶とも書かれた。村高は『武蔵田園簿』では346(田29町余、畑13町余)、「元禄郷帳」では354石余、「天保郷帳」では374石余。助郷中山道大宮宿に出役していたが、正徳安永年間は日光御成街道大門宿にも当分助郷を負担していた。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西10、南北6町余であった[6][5]鎌倉期開山の新義真言宗林光寺には1591年天正19年)に寺領10石が寄進されていた[5]足立右馬允遠元の館跡と伝えられる物が地区の東端に所在していた[6]。慶長年間に伊奈備前守によって鴨川と古入間川の合流点に土手(備前堤)を築き広さ100町歩の「関沼溜井」と称するため池が造成され、周辺8ヶ村の田を灌漑していた[6]。地名は26ヶ村を擁する植田谷領の中心地であった[5]ことによる。江戸期に植田谷本村の持添新田として植田谷本村新田が成立した[6]。植田谷本村・植田谷本村新田は明治12年から明治22年までは、植田谷領本村・植田谷領本村新田と呼称されていた[6]

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世帯数と人口

2017年平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[13]

さらに見る 大字, 区域 ...

交通

地内に鉄道は敷設されていない。大宮駅まではバスで25分ほど。

道路

施設

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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