トップQs
タイムライン
チャット
視点
椎橋金司
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
Remove ads
椎橋 金司(しいはし きんじ、1948年10月10日 - 2009年1月16日[1])は、将棋棋士、六段。松下力九段門下。棋士番号は115。東京都足立区出身。
経歴
奨励会への入会は1962年。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)への参加は1969年後期からで、同制度が終了する1973年度後期までの9期・4年半、四段昇段(プロ入り)をすることができなかった。
その頃、第3回奨励会若獅子戦の関東の決勝で、田中寅彦4級を角落ちで破って関東優勝。しかし、西の優勝者・淡路仁茂三段との決勝では、秒読みで悪手を指して敗れ、準優勝に終わる。このとき椎橋は、観戦記担当の団鬼六や記録係にわざわざお茶を持ってくるという気遣いを見せた。団は「お茶を出す時間を節約していれば…」と思ったという[2]。
その頃から好調となり、三段リーグ制度が1974年に廃止されるや否や、同年9月に25歳で四段昇段する。
第2回(1975年度)名将戦で本戦入り。
第13回(1979年度)早指し将棋選手権で予選を突破。さらに本戦1回戦で谷川浩司を破る。
順位戦では、1992年にC級2組から陥落。以降10年間、順位戦に復帰することができず、2001年度を最後に53歳で引退となった。
2009年1月16日、鬱血性心不全のため、60歳で死去[1]。
Remove ads
棋風
振り飛車党で、中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車のどれも多く指した。大山康晴などの振り飛車党を相手にする場合には、居飛車で戦うこともあった。
振り飛車ではあるが、攻っ気の強い棋風である。
人物
弟子
棋士となった弟子
- 将棋界では珍しい、年齢差が10歳しかない師弟である。
昇段履歴
主な成績
通算成績
- 184勝417敗
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
表彰
- 現役勤続25年表彰(1999年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads