トップQs
タイムライン
チャット
視点
河野亮
日本のプロ野球選手 (1971-) ウィキペディアから
Remove ads
河野 亮(かわの りょう、1971年5月3日 - )は、神奈川県横浜市[1]出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
Remove ads
経歴
要約
視点
プロ入り前
小学3年の時に少年野球チームに入り、投手で4番打者だった[1]。
日大藤沢高では鈴木博識監督の指導を受けた。3年夏は県大会で横浜高校に延長11回の末に敗れ準優勝[1]も横浜スタジアムで特大の本塁打を放つ[2]。
現役時代
1989年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団[1]。入団当時から「大食いの河野」の異名を持ち、その手のエピソードを多数持つ。
1991年は、1A・サリナス・スパーズに野球留学した。
1993年に、一軍公式戦へ初出場する。ファームでは長打力を発揮し62打点を挙げ打点王になる[1]も、一軍では層の厚い壁に阻まれた。
1994年は捕手にも挑戦。
1995年はイースタンで19本塁打、82打点を記録し2冠となる[1]。11月に佐藤真一・田畑一也との交換トレードで柳田聖人と共に福岡ダイエーホークスへ移籍[1]。
1999年6月に鳥越裕介とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍[1]。同年、古巣ダイエーとの日本シリーズでは山崎武司が骨折し出場不可能になったため「中日の秘密兵器」と一部スポーツ紙が取り上げたこともあったが、出番がないまま同年11月に鈴木平(ヤクルト時代に同僚だった)との交換トレードで岸川登俊と共にオリックス・ブルーウェーブへ移籍[1]。
現役引退後
現役引退後はスポーツ用品販売会社に勤務し、店長職を務めた[3]。
2005年に松井優典から誘われて当時創設1年目となる東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務に就任した。
2010年秋からは楽天の監督に就任した星野仙一の担当マネージャーを担当し、仙台では球場送迎用運転手も務めた[4][5]。
2012年11月15日からはチーム統括本部 本部長補佐 監督担当部長に就任[6]。 2013年7月には新設されたファンリレーション室の室長も兼務[7]。 2014年からはチーム統括本部 監督担当部長兼チーム統括本部管理部部長に就任した[8]。
2015年より、二軍打撃コーチとして現場復帰することが発表された[4][9]。背番号は96。2016年は二軍チーフ打撃コーチに昇格したが[10]、2017年、2018年は再び二軍打撃コーチを務め[11][12]、2018年10月5日に翌年の契約しないと通告された[13]。
10月19日、ダイエー時代に同僚だった井口資仁が監督を務める千葉ロッテマリーンズの一軍打撃コーチに2019年から就任することが発表された[14]。背番号は変わらず96。ダイエー時代にトレードの相手となった鳥越とはお互いにコーチとしてチームメイトとなった。井口監督、鳥越二軍監督の退任に伴い、2022年をもって退団[15]。2022年はチーム打率.231、97本塁打はともにリーグ5位と、貧打に苦しんだ[16]。
Remove ads
選手としての特徴
長打力が売りで、二軍ではイースタン、ウエスタン両リーグでそれぞれ本塁打王に輝いた経歴がある(1995年と1999年[19][20])。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初記録
背番号
- 61(1990年 - 1995年)
- 35(1996年 - 1999年途中)
- 41(1999年途中 - 同年終了)
- 24(2000年 - 2001年)
- 96(2015年 - 2022年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads