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天皇杯
天皇から下賜される賜杯 ウィキペディアから
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天皇杯(てんのうはい)は、日本の天皇による賜杯、すなわち天皇から下賜されるトロフィーのことである。皇后による賜杯は皇后杯(こうごうはい)と呼ばれ、本項で併せて解説する。また「天皇盃」「皇后盃」と表記するものや、天皇賜杯(てんのうしはい)・皇后賜杯(こうごうしはい)という名称のものもあるが、いずれも同様である。
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天皇杯(盃)・皇后杯(盃)は宮内庁を通じて主にスポーツの競技団体に下賜され、その団体が主催する大会(全国大会や国内トップレベルの大会が多い)などで優勝トロフィーとして授与される。この大会自体を指す通称として「天皇杯(盃)・皇后杯(盃)」と呼ぶこともある。
概要
多くが菊花紋章が配された銀製のトロフィーである。 昭和20年代においては真鍮銀メッキ製のトロフィーが下賜されていたが、褪色や毀損を理由に返納、再交付された際、銀製のものに改められたものがある[1]。
ほとんどはスポーツ競技の統括団体に対し下賜されるが、スポーツ以外では農林水産祭の表彰に用いられる天皇杯がある。以下、本項では特に断りがない限りスポーツでの天皇杯(盃)・皇后杯(盃)について説明する。
天皇杯(盃)・皇后杯(盃)は、宮内庁を通じ各競技の統括団体に対して下賜され、多くはその団体が主催する大会やリーグ戦などで優勝した個人・チームや最優秀選手などにトロフィーとして授与される。すべての競技に賜杯があるわけではないため、賜盃はその競技や統括団体が認められた証としての意味もある。
下賜は原則として1競技につき1つである。例外として相撲は大相撲(日本相撲協会)とアマチュア相撲(日本相撲連盟)にそれぞれ下賜されている。
天皇杯(盃)・皇后杯(盃)が授与される大会やリーグ戦は、その競技の日本選手権大会やトップクラスのリーグ戦である場合が多い。ただし天皇杯の下賜が行われ始めた頃はアマチュアや学生スポーツの団体に対象が限られていたため、歴史的経緯から現在も学生やアマチュアの大会・リーグで天皇杯(盃)・皇后杯(盃)が授与される競技がある。
例えば硬式野球は1926年(大正15年)に皇太子摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)によって東京六大学野球連盟へ摂政杯が下賜された経緯から、今も同連盟のリーグ優勝チームが天皇杯を授与される。同じ硬式野球のプロ野球や社会人野球には天皇杯はない。
なおバレーボールやサッカーのように、統括団体が賜杯を授与する大会を変更したケースは存在する。
男女別に行われる競技では、男子に対して天皇杯(盃)、女子に対して皇后杯(盃)が下賜されるケースが多い。しかし、必ずしも男女一対で下賜されるわけではなく、男子の天皇杯(盃)のみがあって女子の皇后杯(盃)がない競技がいくつかある。なぎなたは唯一、女子に対する皇后盃のみが下賜され、男子に対する天皇盃がない競技である。
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歴史
近代スポーツ史において天皇杯の下賜を受けた最初の事例は競馬にあり、1880年(明治13年)6月9日に横浜の居留外国人で組織された日本レースクラブが主催し、明治天皇から銀製の花瓶が下賜された「Mikado's Vase」競走を嚆矢とする[2]。馬事一般に興味が深かった明治天皇は横浜競馬に対して酒杯や花器などの賞品をたびたび下賜し、これらが争われた競走はいずれも英語で「The Emperor's Cup」や「The Emperor's Gift」などと呼ばれた[3]。競馬の天皇賞はこれらの競走の流れを受け継いだもので、直接的な起源は1905年(明治38年)に日本レースクラブが菊花御紋付銀製花盛器の下賜を受けて横浜(根岸)競馬場で開催した「エンペラーズカップ(のちの帝室御賞典)」である[4]。
→「天皇賞 § 歴史」も参照
太平洋戦争後すぐの頃までは、直接トロフィーや楯を下賜されるケースのほか、下賜金を元に作成されたトロフィーも同様に呼ばれていたが、現在はトロフィーや楯を下賜されたもののみを天皇杯と呼ぶことになっている。
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下賜されている所持団体
天皇杯(盃)・皇后杯(盃)
天皇杯(盃)のみ
皇后盃のみ
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スポーツ競技以外の天皇杯
農林水産業
脚注
参考文献
関連項目
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