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稲垣正夫
日本のプロ野球選手 (1935-2015) ウィキペディアから
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稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 2015年4月6日[1])は、神奈川県横浜市鶴見区[2]出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。
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来歴・人物
鶴見高校では1年生から右翼手、三番打者として活躍。1951年夏の甲子園県予選決勝に進むが、希望ヶ丘高に完封を喫し、甲子園出場を逸する。同年秋季関東大会県予選では準々決勝で小田原高に敗退[2]。卒業後は千葉大学に進学。千葉県大学野球リーグでは1954年秋季リーグから5季連続優勝。
1957年に東映フライヤーズに入団[2]。浜田義雄、松岡雅俊らと二塁手の定位置を争う。3年目の1959年にレギュラーポジションを獲得、同年は主に七番打者として71試合に先発出場。翌1960年は102試合に出場し、規定打席には届かなかったが自己最高となる打率.269を記録した。1961年は外野手から転向したジャック・ラドラと併用され、1962年には新入団の青野修三に定位置を譲る。しかしシーズン後半には28試合に先発で起用され、同年のリーグ初優勝に貢献。阪神との日本シリーズでも3試合に二塁手として先発出場、日本一に力を添えた。1964年限りで現役を引退[2]。
引退後は「コバチュウ」の社長を務める[2]。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 11 (1957年 - 1964年)
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関連項目
脚注
外部リンク
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