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車雨燦
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車 雨燦(チャ・ウチャン、朝鮮語: 차우찬、1987年5月31日 - )は、大韓民国・全羅北道群山市出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
要約
視点
三星時代
群山商業高等学校から速球派左腕として三星ライオンズに入団。三星は左の先発投手が層が薄く、将来性もあったため、球団側の期待も多かった。
数年間キャリアを積み、2009年4月25日の起亜戦でプロ発先発し、7回1失点と好投。6月2日にはネクセン戦では念願のプロ初勝利。以降は本人の逃げ腰気味の投球もあり調子を落とす。
2010年は、従来の制球難と逃げの投球をなんとか克服。6月27日のネクセン戦で先発投手として初勝利し、7月18日のLG戦では初完封。監督推薦で7月24日のオールスターに出場し、優秀投手賞を受賞した。首位のSKを2位で猛追していた三星は、梁埈赫の引退試合になった9月19日にも好投したが、SKのエース金廣鉉の前に打線が沈黙し惜敗。結果的に10勝2敗、勝率においては0.833で柳賢振の0.800を抜いてシーズン勝率1位タイトルを挙げた。また、LG戦には防御率0.28、2完封と得意とした。
2011年は前年より投球内容は落ちたが、先発ローテーションを守り2年連続2ケタ勝利を記録し、韓国シリーズでも2勝をあげるなど優勝に貢献した。
2012年は自身初の開幕投手をつとめたがノックアウトされてしまい、不振から立ち直れなかった。
2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の韓国代表に選出された[1]。同大会では、1次ラウンドのオランダ戦の7回裏3番手で登板し、ロジャー・バーナディーナにタイムリーを打たれ、1アウトも取れず降板した。
2014年は9月に開催された仁川アジア競技大会の野球韓国代表に選出された。同大会では韓国が優勝したため兵役免除の恩恵を受けることになった。
2015年は193個で初の個人タイトルとなる最多奪三振を受賞した。オフの10月7日に第1回WBSCプレミア12の韓国代表選手28名に選出された[2]。同大会では5試合にリリーフ登板し、韓国代表の優勝に貢献した。
2016年オフに初のフリーエージェント(FA)となった。
LG時代
2017年からLGツインズへ移籍した。彼の補償選手には李承鉉が選ばれた。
シーズン開幕前の3月に開催された第4回WBCの韓国代表に選出された。同大会では1次ラウンドに3試合登板した。
2019年オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の韓国代表に選出された。
2020年オフに2度目のFAとなり、2021年よりLGと契約期間2年で再契約した[3]。
しかし2022年は故障のリハビリで1試合も一軍で登板できず、同年限りでLGから自由契約となった。
ロッテ時代
2023年からロッテ・ジャイアンツと契約した[4]。
ロッテ移籍後も慢性的な肩の痛みが回復せず、2023年6月10日、フューチャースリーグのSSGランダース戦で登板、1回1被安打無四球2奪三振を記録[5]。ロッテでは一軍での登板がないまま同年8月17日、現役引退を発表、8月18日、任意解除となりロッテを退団した。
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詳細情報
年度別投手成績
- 太字はリーグ最高
背番号
- 55 (2006年 - 2007年)
- 23 (2008年 - 2022年)
- 47 (2023年)
代表歴
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脚注
外部リンク
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