トップQs
タイムライン
チャット
視点

野村萬斎

日本の狂言師、能楽師、俳優 (1966-) ウィキペディアから

野村萬斎
Remove ads

野村 萬斎(のむら まんさい)は、狂言方和泉流野村万蔵家名跡。元は五世野村万造の隠居名。

  • 初世野村萬斎 - 五世野村万造(1863年-1938年)の隠居名。晩年に「萬斎」と改名し、死去まで萬斎を名乗った。
  • 二世野村萬斎(1966年- ) - 本項にて詳述。1994年に襲名。

概要 のむら まんさい野村 萬斎 (二世), 本名 ...

二世野村 萬斎(のむら まんさい、本名:野村 武司(のむら たけし)、1966年昭和41年〉4月5日[2] - )は、日本能楽師狂言和泉流)、俳優演出家。能楽狂言方和泉流野村万蔵家。父は二世野村万作、母は詩人の阪本若葉子。

Remove ads

概要

要約
視点

人物

狂言師・二世野村万作の長男として、東京都に生まれる。

1970年、3歳のときに『靱猿』の子猿役で初舞台を踏み、4歳のときに『いろは』で初シテ[3]を務めた。

父の万作は狂言師の道に進むことを強制したわけではないが、中学生になると型にはめ込まれる狂言を窮屈に感じて、自由さを求めて部活動のバスケットボールやバンド活動に勤しむ。また、他とは違うと思われたくないため、自分の家が狂言師の一族であることを周囲には明かさなかった[3]。変声期になると声が出なくなり、より一層狂言に身が入らなくなった[3]。高校に入り3年生の17歳で演じた『三番叟』で狂言の面白さに目覚め、狂言師の立場を認識して受け入れられた[4]

1989年東京芸術大学音楽学部邦楽科能楽専攻を卒業した。

「萬斎」襲名 と名跡の分割相続

1994年、二世「萬斎」を襲名した。

伯父・初世野村萬(本名:野村太良)と父・二世野村万作(本名:野村二朗)の兄弟は、六世万蔵の息子で、六世の没後、万蔵家の名跡を分配することになった。


長男・太良(萬)が次期当主名である「万之丞」を経て、野村万蔵家(本家)の当主名である「野村万蔵」を七世として襲名した。そして、太良が万蔵家当主を退いたのち「野村万蔵」の名跡は、既に次期当主名である「万之丞」を襲名していた太良の長男・耕介(萬斎の従兄)が八世として引き継ぐ予定であった。

しかし、耕介は襲名を半年後に控えた2004年6月に父の太良(萬)に先立ち死去した。これを受け、太良の次男・良介(萬斎の従兄)が兄に代わり九世として当主名・「万蔵」を2005年1月に襲名し、今日に至る(八世は耕介に追贈された)。また、耕介が生前に名乗った次期当主が名乗る「万之丞」の名跡は耕介の甥(良介の長男)・虎之介が六世として襲名し、今日にいたる。

そして、次男である二朗(万作)は「二世万作」の舞台名を経たのちに、五世万造(六世万蔵の父)の隠居名・萬斎を相続することになっていた。しかし、二朗は自身の父・六世万蔵の本名でもあった「万作」という舞台名に愛着を持っていた事と、六世万蔵の本名に過ぎなかった「万作」の舞台名を一代で築きあげた自負から「萬斎」を二朗自身では名乗ることはせず、息子の武司に「萬斎」の名前を相続させることとした。それにより、1994年に武司が「萬斎」を二世として襲名することとなった。

この分割相続により、長男・太良(萬)の家系が江戸時代から代々続く当主名・「万蔵」と次期当主(跡取り)が名乗る「万之丞」の名跡を相続することとなった。そして、次男・二朗(万作)の家系が六世万蔵の本名・「万作」の名前と五世万造の隠居名・「萬斎」の名前を相続していく形となった。

狂言以外の活動

幼少より厳しい稽古が必要とされる伝統芸能の世界で育ちながら、狂言以外でも、俳優としてドラマ・映画・舞台などで幅広く活躍しており、端整な容姿と気品ある物腰、独特の発声などで存在感を示す。

NHK1994年大河ドラマ花の乱』や、1997年朝の連続テレビ小説あぐり』、2000年のスペシャルドラマ『蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦』などに出演し、知名度を上げた。その後、2001年に映画『陰陽師』で主演し、また2008年木曜時代劇鞍馬天狗』で主演の鞍馬天狗(倉田典膳)を演じた。

NHK Eテレの子供向け番組『にほんごであそぼ』に、2003年の放送開始時よりレギュラー出演している。

東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームのチーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターを務めることになっていたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けた演出の見直しにともない解散した[5]

また、著作や舞台イベントなどで狂言の普及に努めるかたわら、日本伝統芸能と現代劇との融合を目指して『藪の中』や『RASHOMON』、『敦 - 山月記・名人伝 - 』などを演出し、評価を得た。

萬斎が主演した映画『陰陽師』の音楽をフィギュアスケーター羽生結弦が競技で使用してからの縁で、羽生が座長を務めるアイスショー『羽生結弦 notte stellata 2025』にゲスト出演およびコラボレーション演出を手掛け、東北の被災地の鎮魂と再生を祈念した『MANSAIボレロ』[6]を6名のスケーターとのコラボレーション『MANSAIボレロ✕notte stellata』として披露した(会場は宮城県利府町にあり、東北初披露となった)。また羽生と二人での『SEIMEI』を披露し、好評を博した。

万作早稲田大学の卒業生であり、自身も早稲田大学推薦校友である[7]

Remove ads

親族

父の兄弟は伯父・野村萬(七世野村万蔵)。叔父(四男)・野村四郎(観世流シテ方)、叔父(五男)・野村万之介(狂言方)がいる。また、伯父・萬は2024年現在、現役最高齢の狂言師である。

従兄に八世野村万蔵(五世万之丞)と九世野村万蔵がいる。従甥(従兄の子)に野村太一郎六世野村万之丞野村拳之介野村眞之介(伯父・萬の孫)。

母方の曾祖父は福井県知事鹿児島県知事などを務めた阪本釤之助戦国武将永井直勝の子孫にあたる。母方の祖父は詩人ドイツ文学者阪本越郎。越郎の兄に阪本瑞男、異母弟に高見順、従兄に永井荷風がいる。

長男・裕基も狂言師の道を歩みだしている。

長女・彩也子は2019年に父・萬斎、弟・裕基とともにKUMONのCMでメディアデビューを果たした。2020年4月1日付でTBSアナウンサーとして入社した[8]

略歴

受賞歴

1997年

1998年

1999年

2001年

2003年

  • 読売演劇大賞優秀男優賞(『オイディプス王』・『まちがいの狂言』)
  • 芸術選奨文部科学大臣新人賞(古典芸術部門 狂言『髭櫓』朗読『弟子』)

2006年

2007年

2012年

  • 文化庁芸術祭演劇部門優秀賞(『花子』の成果)

2013年

2018年

2021年

  • 2021年度 観世寿夫記念法政大学能楽賞[15]

2022年

2024年

Remove ads

出演

要約
視点

テレビドラマ

映画

主演は太字

舞台(伝統狂言以外)

ドキュメンタリー

  • このあたりのもの〜禍(わざわい)の時、狂言三代の見つめる遠い未来〜 (2020年10月、NHK BS8KBS4K等)

教育番組

CM

ラジオ

  • FMシアター ラジオドラマ「バビロンに行きて歌え」(1992年3月22日、NHK-FM) - ターリク 役 ※「野村武司」名義
  • 野村萬斎の少年時代〜初心忘るべからず(2023年8月27日、ニッポン放送)※地上波ラジオ初パーソナリティー[43][44]
  • 野村萬斎の新春福袋(2024年1月1日、NHKラジオ第1[45]
  • 野村萬斎のラジオで福袋(2024年10月26日 - 、NHKラジオ第1)※2024年5月1日・2日にNHK-FMで特番として放送。2024年10月より土曜第4週に月1回レギュラー放送。[46]
Remove ads

著作物

書籍

  • 野村萬斎『萬斎でござる』(朝日新聞社、1999年)
    • 朝日文庫でも刊行。(朝日新聞社、2001年)
  • 野村萬斎『狂言サイボーグ』(日本経済新聞社、2001年)
  • 小野幸恵『日本の伝統芸能はおもしろい(3) 野村萬斎の狂言』(野村萬斎監修、岩崎書店、2002年)
  • 野村萬斎・土屋恵一郎『狂言三人三様 第1回 野村萬斎の巻』(岩波書店、2003年)
  • 『野村萬斎 What is 狂言?』(網本尚子監修・解説、檜書店、2003年)
  • 野村萬斎『MANSAI◎解体新書』(朝日新聞出版、2008年)

映像資料

  • 『万作・萬斎 狂言の世界』(NHKソフトウェア、2004年)
    • 「狂言師 野村萬斎 初舞台から襲名まで」(VHS版、1995年)
    • 「狂言師 野村萬斎 エイスケそしてニューヨーク」(VHS版、1998年)

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads