トップQs
タイムライン
チャット
視点
阿部伸行
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
阿部 伸行(あべ のぶゆき、1984年4月27日 - )は、東京都東大和市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
Remove ads
来歴
要約
視点
プロ入り前
小学校4年生(9歳[2])時にサッカーを始める[1]。FC東京ファンの両親の影響もあって[1]、高校生時にはFC東京U-18に加入。高校2年時(2001年)にはクラブユース選手権で優勝を経験している[3]。シュートストップを磨いて[1]、3年時(2002年)にはトップチームの練習に帯同したものの昇格は叶わず[4]、2003年に流通経済大学へ進学。同大学サッカー部では先輩の塩田仁史が卒業しFC東京へ入団した後を引き継ぎゴールマウスを守った。コーチングやキック精度を高め[1]、4年時(2006年)には関東大学リーグ1部で優勝。同期には阿部嵩、糸数昌太、久保田圭一、難波宏明、西森正明、船山祐二らがいた。全日本大学選抜にも選出され、2度のデンソーカップ優勝を果たし、ベストGKにも選出された[3]。2004年1月にはカタール国際ユーストーナメントで正GKを務めた。
FC東京
2005年にJFA特別指定選手となりFC東京の練習に参加[5]、2007年に大学を卒業し、FC東京に正式に入団した[6]。FC東京において下部組織から大学経由でトップチーム入りした例は阿部が初[1]。2007年は、塩田と土肥洋一の控えとしてリーグ戦4試合でベンチ入りしたが[7]、土肥が退団した2008年には新加入の荻晃太が第2GKに据えられ、ベンチ入りすらできなかった。2009年は、塩田が虫垂炎・腸閉塞を発症するなどシーズン開幕前からGKに離脱者が相次いだが、阿部もキャンプでフルメニューをこなすことができず、開幕スタメンには権田修一が入り、そのまま正GKとして定着。塩田もシーズン半ばに復帰したため、阿部が出場機会を得ることはなく[8]、2010年限りで退団した。2008年から2010年にはJリーグ選手協会の副支部長を務めている[9]。
湘南ベルマーレ
2011年、湘南ベルマーレに完全移籍[3][10]。同年10月8日、天皇杯2回戦ファジアーノ岡山ネクスト戦でプロ入り後初の公式戦出場を果たしたが[11]、野澤洋輔と西部洋平の前にレギュラーを掴むには至らなかった。持ち前のキックを武器に地道な努力を続け[12]、両選手が退団した2012年には京都との開幕戦で念願のリーグ戦初出場を果たし、その後も金永基を抑えて正GKの座を掴み、3年ぶりのJ1昇格に貢献した[12]。2013年は自身初となるJ1での出場を続けていたが、J1第13節広島戦での頭部裂傷[13] を機に安藤駿介とアレックス・サンターナにポジションを明け渡し、終盤戦な完全に控えとなった[14]。結局、13試合の出場に留まった。同年結婚[12]。2014年は日本人最年長選手として若いチームを支えたが[15]、シーズン開幕前の負傷が響いて[16] 正GKには新加入の秋元陽太が据えられ、出場機会は無かった。同年限りで湘南とは契約満了[17]。
ギラヴァンツ北九州
2015年よりギラヴァンツ北九州へ完全移籍[18][19]。移籍後は鈴木彩貴との併用になったものの、2年間でリーグ戦48試合に出場した。
AC長野パルセイロ
2017年、AC長野パルセイロに完全移籍[20]。移籍当初はレギュラーポジションだったものの、2018年以降は小澤章人にその座を脅かされるようになった。
FC東京復帰
2021年1月5日、古巣のFC東京への完全移籍が発表された[21]。2010年以来、11シーズンぶりの復帰となる。しかし公式戦の出場機会は無く、このシーズン限りで契約満了となった[22]。
いわてグルージャ盛岡
2021年12月30日、いわてグルージャ盛岡への完全移籍が発表された[23]。
2022年12月15日、同シーズン限りで現役を引退することが発表された[24]。
Remove ads
所属クラブ
個人成績
タイトル
クラブ
- FC東京U-18
- 流通経済大学
- 関東大学サッカーリーグ戦1部 (2006年[3])
- 関東大学サッカーリーグ戦2部 (2003年)
- FC東京
個人
- デンソーチャレンジカップ 優秀選手 (2004年[25])
- デンソーカップサッカー ベストGK賞 (2004年[3])
指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads