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1991年の全日本F3選手権

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1991年の全日本F3選手権(1991ねんのぜんにほんF3せんしゅけん)は、1991年平成3年)3月2日 - 3日鈴鹿サーキットで開幕し、同年11月14日 - 15日に鈴鹿サーキットで閉幕した全10戦による1991年シーズンの全日本F3選手権である。

1991年の全日本F3選手権
前年: 1990 翌年: 1992

シリーズチャンピオンはパウロ・カーカッシブラジル)が獲得した。

概要

当初は全11戦で争われる予定であったが、第2戦富士の決勝レースが濃霧の為中止となったため、全10戦のシリーズとなった。また、10月18日 - 20日に開催された『F1日本グランプリ』のサポートレースとして1戦行われているが、このレースは全日本選手権には含まれない。

冠スポンサーとしてパナソニックがシリーズを支援。供給タイヤはブリヂストンによるワンメイク供給とされた。

前年の同シリーズで上位を争った服部尚貴和田久古谷直広全日本F3000選手権のシートを得てステップアップを果たし、日本人ドライバーでは'90年終盤にF3優勝経験を得た高村一明と、F3000とのダブルエントリーとなる金石勝智の存在が上位候補としてクローズアップされ、海外F3経験を持つパウロ・カーカッシブラジル)とビクトル・ロッソアルゼンチン)のトムストヨタ勢との争いを軸とするシリーズ展開が開幕前に予想された。前年に当時としては異例の若さである19歳でのF3フル参戦として注目された全日本カート選手権王者・本山哲はF3での二年目を迎える。

開幕すると、トムスのカーボン・コンポジット・モノコックが武器の新マシン「031F」のコーナリングの速さが際立ち[1]、この新マシンを特性を生かしたカーカッシが連勝を続けたことでエンジン面でもトヨタエンジン勢の勝利が続いたが、8月の第8戦筑波で影山正美がようやく無限エンジン勢のシーズン初勝利を挙げ一矢報いた。この優勝は影山正美にとってF3初勝利でもあった。トムスのカーカッシはシーズン序盤から優位にチャンピオン争いを進め、第9戦菅生で4勝目を挙げてシリーズチャンピオンを決定。第10戦鈴鹿では金石勝智(CABINラルト・無限)が高村とのバトルを制して自身F3初優勝をマーク、金石は11月の最終戦鈴鹿でも勝利を挙げシーズンを締めくくりランキング2位を獲得した。

また、同シーズン途中からはかつてイギリスF3でアイルトン・セナマーティン・ブランドルと争うトップランカーであったが、欧州でのレース体制に恵まれなかった苦労人アンソニー・レイドが来日。東名スポーツから全日本F3へ参戦を開始し、翌シーズンのフル参戦開始への布石となった。

同年は少数精鋭のトムス対ラルトの構図へとシリーズが変化した年であった[1]

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スケジュールおよび勝者

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シリーズポイントランキング

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※第2戦富士は悪天候(濃霧)のため決勝中止。

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脚注

外部リンク

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