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田嶋栄一
東京都出身のレーシングドライバー ウィキペディアから
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田嶋 栄一(たじま えいいち、1967年12月3日 - )は、東京都出身のレーシングドライバーである[1]。
プロフィール
略歴
要約
視点
初期
レーシングドライバーとして活動していた父親の影響で、13歳の時からレーシングカートを始めるようになり、海外の大会の出場する等次第に頭角を示すようになる。1987年に4輪へ転向し、1988年から全日本F3選手権へ参戦開始。1991年はフォーミュラ・トヨタに参戦し、シリーズチャンピオンを獲得[2]。1994年までF3参戦を続け、最高位は4位と表彰台は無かったが、当時バブル期でエントリー台数も現在より多く予選落ちが度々発生する中でも奮戦した。また、F3参戦当初は家業の手伝いをしながらレース活動を行っていた[3]。
フォーミュラ
F3参戦中だった1994年にバブルが崩壊し、下火になりつつあった全日本F3000選手権に若手ドライバーの参戦機会が与えられることとなり、田嶋はセルモから終盤2戦にスポット参戦の機会が与えられた[4]。1996年には全日本F3000から改称したフォーミュラ・ニッポンにART BRILLANT ガルウィングよりフル参戦。1997年は5ZIGENに第4戦から参戦した。
GT/ツーリングカー

1988年にF3参戦と同時に土屋エンジニアリングより全日本ツーリングカー選手権(グループA)に参戦開始。1990年から山田洋二率いるチーム・テイクワンに加入し、グループAやN1耐久に参戦。1995年から全日本GT選手権のGT1クラスを始め、GTカーレースに参戦。1996年の十勝24時間レースでは総合優勝を飾る。1997年は5ZIGENに移籍。同年の最終戦菅生で終始荒れたレースの中でコンスタントに走り続け、GT500初優勝を遂げる[5][6]。2001年はシグマテックレーシングよりGT300に参戦、最終戦美祢で優勝した。2002年にHITOTSUYAMA RACINGよりマクラーレン・F1GTRでGT500に復帰。以降は散発的な参戦を続け、2006年第6戦鈴鹿1000kmではTOYOTA TEAM KRAFTのCドライバーとしてチームに3位表彰台獲得に貢献した。
スポーツカー
2006年にはこの年から発足した全日本スポーツカー耐久選手権にHITOTSUYAMA RACINGからフェラーリ・550GTSでフル参戦。GTクラスながら最上位クラスのLMP1クラスを上回り総合優勝を果たし、シリーズチャンピオンを獲得した。
その他の活動
レース活動の傍らで、チューニングカーのタイムアタックや開発ドライバー等も行っている[7]。また、自動車セルビデオ「ベストモータリング」ではレギュラー出演する等評論家しても活動[8]。2006年を最後にレースから離れたが、「Tajimax」「T2M Motorsport」等のショップ経営や自動車レストア業等を行っている[9]。
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レース戦績
- 1988年
- 全日本F3選手権(#14 RALT RT-31 NISSAN)
- 全日本ツーリングカー選手権・クラス3 (#25 ADVAN カローラレビン)
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- 全日本F3選手権<Rd.8 スポット参戦>(#66 KOKUYO ラルトRT35)
- 全日本ツーリングカー選手権・クラス2<Rd.2,5~6>(#9,#10 オーバーテークM3)
- N1耐久・クラス1<Rd.1~2>(#1,#62 TAKE ONE PULSAR)
- N1耐久・クラス3<Rd.3~4,6>(#61 TAKE ONE CIVIC)
- フォーミュラ・トヨタ 東日本シリーズチャンピオン
- 1992年
- 全日本ツーリングカー選手権・クラス2(#61 綜合警備 M3)
- N1耐久・クラス3(#61 TAKE ONE CIVIC)
- 1993年
- 全日本F3選手権(#26 マガジンハウスRT37)<Rd.2~7>→(#26 マガジンハウス933)<Rd.8~10>
- インターナショナルF3リーグ・富士(#92 マガジンハウス933)
- 全日本ツーリングカー選手権・クラス2(#61 綜合警備 M3)
- N1耐久・クラス3<Rd.4,6,8>(#61,#62 TAKE ONE CIVIC)
- 1994年
- 全日本F3000選手権<Rd.9~10>(株式会社セルモ #12 ローラ T92 ムゲン/ローラT92 無限MF308)
- 全日本F3選手権<Rd.1~5>(#11 アチャラナータF393 無限)
- N1耐久・クラス3<Rd.5 スポット参戦>(#61 TAKE ONE 三幸社 CIVIC)
- 1995年
- 1996年
- フォーミュラ・ニッポン (ART BRILLANT ガルウィング #30/ローラT94 無限MF308)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM TAKE ONE #30 総合警備 PORSCHE)シリーズ18位
- N1耐久・クラス4<Rd.7 スポット参戦>(#53 5ZIGEN CIVIC)
- 十勝24時間レース・GT1クラス (#30 NICOS PORSCHE)総合優勝
- ポッカ1000km・GTクラス (#30 NICOS PORSCHE)決勝リタイヤ
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1~4,All star>(TEAM TAISAN #55 STP タイサン バイパー GTSR)シリーズ23位
- 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.5~7>(TEAM TAISAN with ADVAN #55 アドバンタイサンポルシェRSR)シリーズ20位
- スーパー耐久・N+クラス(#24 スプーン インテグラ タイプR)<Rd.5>→(#4 ケージーエム アルテッツァ)<Rd.6~8>
- ル・マン富士1000km・LMGTクラス(TEAM TAISAN ADVAN #80 アドバンタイサンポルシェRSR)
- 2000年
- スーパー耐久・N+クラス<Rd.3~4,6~8>(#64 ケージーエム アルテッツァ)
- 2001年
- 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.1,3~7>(シグマテックレーシングチーム #71 シグマMR-S)シリーズ14位
- ポッカ1000km・GT300クラス (シグマテックレーシングチーム #71 シグマ MR-S)総合8位・クラス2位
- 2002年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(HITOTSUYAMA RACING #76 イエローコーンマクラーレンGTR)シリーズ17位
- ポッカ1000km・GT300クラス (シグマテックレーシングチーム #71 シグマ MR-S)総合5位・クラス2位
- 2003年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(HITOTSUYAMA RACING #76 イエローコーンマクラーレンGT-R)シリーズ20位
- スーパー耐久・S4クラス<Rd.1~4,6,8> (#98 Mooncraft S2000)
- 2004年
- スーパー耐久・C-4クラス<Rd.1> (#98 Mooncraft S2000)
- 2005年
- SUPER GT・GT500クラス<Rd.2,6>(HITOTSUYAMA RACING #20 Tajimax McLaren F1-GTR)
- SUPER GT・GT300クラス<Rd.1,3~4>(TEAM GAIKOKUYA #70 外国屋アドバンポルシェ)
- 2006年
- SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 ポッカ1000km スポット参戦>(TOYOTA TEAM KRAFT #35 BANDAI DIREZZA SC430)総合3位・クラス3位
- 全日本スポーツカー耐久選手権・LMGT1クラス(HITOTSUYAMA RACING #20 DUNLOP Ferrari 550 GT1)シリーズチャンピオン・2勝
フォーミュラ
全日本フォーミュラ3選手権
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
ツーリングカー
全日本ツーリングカー選手権
N1耐久レース/スーパー耐久
十勝24時間レース
グランドツーリング
全日本GT選手権/SUPER GT
全日本GT選手権(ノン・チャンピオンシップ戦)
BPRグローバルGTシリーズ
スポーツカー
全日本スポーツカー耐久選手権
鈴鹿1000km
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注釈・出典
関連項目
外部リンク
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