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2000年熊本県知事選挙
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2000年熊本県知事選挙(2000ねんくまもとけんちじせんきょ)は、2000年(平成12年)4月16日に投開票が行われた熊本県知事を選出するための選挙である。
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概要
2000年2月に現職の福島譲二知事が急死したことに伴い執行。新人3人が立候補し選挙戦が繰り広げられた。
候補者の擁立にあたって、県議会最大会派の自由民主党熊本県連は当初、自民党、民主党、自由党、公明党、社民党の5党相乗りを目指していた。これを受けて、民主党も自民党との連携を視野に入れて動きはじめていた。しかし、自由党の参議院議員であった阿曽田清が突如、出馬を表明したことで選挙戦の構図が大きく変化。自民党県連は急遽、前副知事の潮谷義子に出馬を要請するととなった。
国政では告示直後の4月1日に、小渕首相が自由党との連立解消を表明。さらに2日には小渕首相が脳梗塞のため緊急入院することとなり、4日には小渕内閣が総辞職して、森内閣が発足するなど情勢が激変していった。連立与党である自民党と公明党は結束強化へと向かい、潮谷は公明党からの推薦を取り付けることに成功した[1]。
一方の阿曽田陣営は、民主党、自由党、社民党、自由連合から推薦を受け、自民対非自民の構図が鮮明となった。加えて熊本県農政連と連合熊本の推薦も獲得し、県政史上初めて両組織が手を結び、労農連携の体制で選挙戦に挑んだ[2]。
また阿曽田が参議院議員を辞職したことに伴い、参議院補欠選挙と同日に実施されることとなった。森内閣発足後、初めての知事選、国政選挙であり、6月実施の総選挙の前哨戦とも位置付けられたため、各党からは幹部(自民党の亀井静香政調会長、民主党の鳩山由紀夫代表、公明党の浜四津敏子代表代行など)が応援に駆け付け激戦が展開された[3]。
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選挙データ
- 選挙事由:現職の福島譲二の死去
- 告示日 - 2000年3月30日
- 投開票日 - 2000年4月16日
- 同日選挙
立候補者
3名、立候補届け出順。
選挙結果
要約
視点
※当日有権者数:1,448,429人 最終投票率:62.46%(前回比:+16.89pts)
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脚注
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